女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

秀樹かんれき?!

2015-04-14 22:25:22 | 日記


ついに、ヒデキが60歳ですね。それに二度の脳梗塞です。

西城秀樹 2度の脳梗塞で「死にたい」 苦しいリハビリを歌で克服

2度の脳梗塞(のうこうそく)を患った歌手の西城秀樹。現在はリハビリを続けながら、仕事を再開しているが、当時の苦悩や、その苦しみを乗り越えたきっかけを明かした。

「1度目は、『脳梗塞』だと言われても、僕からすれば『東名高速?』ぐらいの感じで、治りも早く、障害もなかったんです。ショックだったのは2度目でした。1度目の後、食事も運動も気をつけてきたのに、『どうして僕がなるの!?』っていうのが正直な感想。右手右足にしびれが出てきて、脳梗塞の知識があったぶん怖かった。殴られた後のような感じが続いて、そのまま半年間は立ち直れなかった」

“ワイルドな17歳”として1972年にデビューし、圧倒的な歌唱力と激しいアクションでトップアイドルに。第一線で活動中の2003年に脳梗塞を発症。その後、見事に復帰して11年に芸能生活40周年を迎えるも、同年、再び脳梗塞に倒れた。

「歩く気力が出ないし、努力する気が起こらない。1度目の脳梗塞の後、努力したのに再発したんだから、もう何もしたくないなって。落ち込むとか、そういう程度のもんじゃない。『あ、死んじゃいたい』って思うほどですね。

 そんなある日、このままじゃただ死んじゃうだけ、“息づく”ために自分にできることからもう一回やってみよう、と思える出来事があったんです。僕が公園で、歩くリハビリをしていたときのことでした。僕と同じ脳梗塞の70歳くらいのおばあさんが、足をひきずりながら歩いていました。公園をせいぜい一周しか回れないんだけど、『大変なのにがんばってるんだな』って、僕もできることを見つけなきゃいけないと思ったんです。

 体の状態は良くなくて、足をひきずっている状態。でも朝7時半に起き、最低1時間は公園を歩き回る。そんなリズムをつけることから始めました。ハードルは高くしたらだめ。低くていいから、何年も持続しなくちゃいけない。脳梗塞は、今日何かをやって明日良くなる病気じゃありませんから。年単位で、ちょっと良くなったなっていう程度です。そういう気持ちを受け入れるまでには時間がかかったなぁ。

 リハビリは全部つらいですよ。やさしいものは何一つない。体が鉛のように重いから歩くだけでもつらい。足もおもりをつけているようで、痛いし硬いし、どうしようって感じ。『そんなことできないの?』っていう、子どもがやるようなことも、脳梗塞の患者にとってはすごい大変。肉体的にも精神的にもつらいんです。だからリハビリ中は根気しかない。こんだけ根気あって、こんだけ努力するんだったら、東大でもどこでも受かっちゃうよ。(笑い)」

 そんな苦しいリハビリ生活のなかでも、歌は身近にあった。病気の影響からか、ゆっくりした口調で記者の質問に答えていた西城さんが、歌のメロディーをふと口ずさむと、滑らかで通る声が響き渡った。

「声を出すってことはすごくいいですね。歌には4分音符、8分音符……と、音符がある。それがあることが僕の救いになりましたね。どういうことかというと、普通に話すときはコントロールが大変で、ゆっくり話さないといけない。だけど歌は最初から音符があるためか、ひっかからないんですよ。そこで僕のデビュー曲(『恋する季節』)はアップテンポだけど、バラードで歌うとどうだろうって練習してみたりして、改めてデビュー曲の良さを感じたりもしましたね」

 以前は、冬はスキー、夏はサマースポーツと、自称「四季を全部感じる人」だった。身長181センチだが、現在の体重は病気の前から9キロほど減って71キロになった。病で思うようにいかない部分も受け入れると、これまで見えなかったものが見えてきた気がするのだという。

「病気の前と後とでは、百八十度違うということを認識する。今は何ができるのかを見つける。それしかないです。以前と比べたら落ち込むだけだから、比べちゃいけない。かつてはスポーツマンだったから何でもできました。僕の子どもは言いますよ。昔のビデオを見て『パパ、このときはまだ足、大丈夫だったね』って。『お前、見るなそんなもん』とは言えなくて、見るんですよ、一緒に。しっかり目に焼き付けて、『あのときは健康だったな。よし早く良くなろう』って気持ちを前向きに持つようにするんです。

 今は虫ひとつ見ても『生きてるんだな』と感じたり、花を見て『のびのび育っているな』と感じたりします。そして、幸せなことはどこにでも転がっているということにも気付きました。『病は気から』というように、気は大事。やる気、病気、ヒデキー! 全部キが付くでしょ。(笑い)」

 今後は歌手活動に加え、ひとりの患者として、脳梗塞の体験談などを伝える取り組みも続けるという。

「調子が良くないときもありますが、ステップアップの兆しは自分でもわかっています。病気前は、かっこよく見せたいっていうのが常に先にあって、走っていた気がします。でも今は、僕のありのままを見せてやっていこうと思っています」

※週刊朝日 2013年5月17日号

☆ありのままの、ヒデキはすごいけど、私が子供のころのヒデキも、すごかったな。





犬の殺処分

2015-04-14 18:30:04 | 日記

二酸化炭素による殺処分の現実

朝一番で自治体Bの施設を訪ねました。

その日処分する犬たちを板で人がじかに追い込んでいきます。
犬たちは凶暴どころか肉体的にも精神的にも弱っており、抵抗する力も残されていない犬ばかり。
抵抗して足を踏ん張ってもすぐに引きずられていきます。人がじかに接していても、人に危険はほとんど無い様子です。
危険があるとすれば、恐怖心から抵抗をするときだということです。試用することに抵抗を感じているということではありましたが、最後まで動かない犬は、捕獲棒で連れて行かれます。そして追い込みの機械で、ガス室にいやおうなく追い込まれていきます。

このとき、犬たちは何が起こるのか、まだわからないという表情でした。二酸化炭素は無味無臭です。ガタンと音を立ててドアが閉まり、シューとガスがで始めても、はじめのうちは何が起こっているのかわからないという顔をしていました。犬の何頭かとこのとき目が合いました。

そして、数秒後、犬たちは異変を感じ、叫びもだえ始めます。身体の弱い犬から次々に倒れました。

元気な犬は長い間倒れず、一生懸命に空気を吸おうと頭を上にもたげ、必至で呼吸を試みますが、二酸化炭素濃度はその時は既に90%に近づいていました。痙攣をしながらたおれ、倒れた後も息を吸おうと頭を高く上に上げます。足をばたつかせ、次第に動かなくなりました。

この犬にとっていったいどのあたりが麻酔鎮静作用だったのでしょうか。
全頭が動かなくなるまで、10分弱・・・

倒れて動かなくなってから、ときどき体が痙攣することがあったのですが、このときは酸素欠乏による体の反応であったと思います。その時はおそらく「麻酔鎮静」効果が作用した後だったでしょう。

ガス室の二酸化炭素濃度が90%になったところで、ガスの注入を止め、その後15分ほど放置します。

その後、職員が一頭一頭、遺体を整えながら心臓に手を当て、死亡を確認しました。




そして・・・


焼却ラインには、犬たちのやわらかい糞尿だけが、残されました。
麻酔状態にならない

現在多くの自治体が採用している二酸化炭素によるガス殺という方法について、自治体の職員の方々・環境省は、二酸化炭素には麻酔作用があるため、安楽であるという言い方をする場合があります。私たちはこの目でその正当化の間違いを確かめました。

麻酔は、苦痛を感じないようにするためのものですので、苦痛を感じる前に作用していなくてはなりません。
しかし、二酸化炭素の場合は、精神的な恐怖だけでなく、窒息しもがくという過程を経た後、(沈静・麻酔作用というより)こん睡状態になり、倒れています。
この順序は、環境省がだしている殺処分方法の指針にも書かれています。
そこに付け加えられている「沈静麻酔作用」という記述が、現在の殺傷方法を肯定する根拠となっているのです。
そして「できるだけ苦痛の無い方法」というあいまいな基準が現状を改善しない根拠になっています。



二酸化炭素の殺傷方法は無くならなくてはなりません。
処分場につれてこられる動物は、それまでも決して幸せだった動物ではないのです。
私たちが見た子は、がりがりにあばらが浮き出るほど痩せ、癌が体中にぼこぼこできていました。
死亡確認をした職員の方はその子の歯を見たら決して年を取った子ではなかったと言っていました。
どのような飼育をされたのでしょうか。
おなかいっぱい食べたことはあったのでしょうか。
幸せだった瞬間はあったのでしょうか。彼らには殺される理由は何一つないのです。


そんな動物たちが、最期の瞬間まで苦しみ抜かなくてはならないとは・・・


120キロ豚ばあちゃんの余生?!

2015-04-14 16:49:20 | 日記

ここの地名が中央区になるかもしれない。
それで、ここがよくなるのかもしれないが。

悲惨な毎日を送る自分を、ここの地名が変わることがいいことになる。
そんな期待があるけれど、まあそれもどうなることなのか。

大きなおばあちゃんである私が、生きていく残りの人生を。
いかに、楽にいかに、うまく生きられるのかが、答えである。

再婚はしないし、一人でうまく生きられたらいいと思っている。
一人で生きるのは、なれたけど、たまにこれでいいんだろうかと感じている。

なくしたものは、仕方がないのでおいかけないが。
普通の生活ができない自分が、悲しいときもある。

ドライブとか、温泉旅行とかは、できないのだ。
一人ではできない、一人では楽しめないのだ。

ここの地名がわかったところで、いいことのひとつぐらいあるのだろうか。
さて、中央区になっても、幸せになれるのだろうか。

なれはしないが、特に希望も夢もない。
ひたすら、黙々と死んでゆく道へ歩くのみである。

生きることは死亡することである。
呼吸停止までは、がんばらないといけないので只ひたすら生きる。

デブでも、ブスでも、いいから静かに暮らしたい。
今のところは、声は筒抜けで静かではないのだ。

田舎に行って暮らしたいけど、お金がない。それが一番の問題。
ああああああああ。静かに暮らしたい。

男の声も、女の声もいらない。
ひたすら、静かに余生を送りたいだけである。


そのために、お金がほしい。
そのために、田舎にすみたいが、今の自分では無理なのだ。

一番苦しいのは、いらない声が聞こえる。
壁が薄いのは、家賃がやすいからだから、仕方がないのだあきらめている。

男の声は、本当に神経を圧迫して、ますます肥満になり、120キロになるかも。
120キロなら、田舎の豚小屋にでも、暮らしたらいいのかな。

日本人の性格

2015-04-14 16:37:05 | 日記
日本人の性格を特徴を現すものとして、
過度に集団行動を好む
礼儀正しくきちんと挨拶をする
秩序にこだわる
綺麗好き
美意識が高い
仕事が丁寧
時間や約束を守る
自己主張や自己表現が下手。逆に、それが奥ゆかしく、日本人の美徳にもなり得る
治安が良く、災害時でも冷静。但し危機管理が甘いことも事実
細部までこだわる(例:整理整頓、ギフト包装など)
創造性に溢れている(例:アニメやオタク文化など)
宗教対立がなく、テロもない
貯金が好きで、倹約意識が高い(「勿体無い」という言葉に象徴される)

などが挙げられます。

これは、あくまで外国人目線の、日本人の性格の特徴です。

私たちは普段集団行動ばかりしているので、自分たちを特別に「集団好きの民族」などとは思ったりしないでしょう。

そして、ここに挙げられるものは、プラスとして捉えられるものも多いのですが、マイナスに捉えられるものもあります。

しかしながら、日本人の誠実な対人関係や仕事ぶりは世界中でお手本とされ、日本のイメージはプラスマイナスで言うと、プラスに傾くことが多い気がします。

☆わたしは、日本人ですが、ギフトではきちんと包装したり、ちゃんとお金のあるときは貯金してましたね。無駄使いはしなかったです。秩序にこだわるのは、我慢する精神ですね。刑務所に入らなかったのは、我慢していたからですね。すごい、いやなことでも我慢してきたのです。日本人は、きれい好きで私は好きですね。





在日、朝鮮人、韓国人?!

2015-04-14 13:49:37 | 日記
在日コリアンにはいろいろな人がいます ― 韓国籍と朝鮮籍と…CommentsAdd Star


私たち在日を指す呼称として、いろいろな言葉が使用されています。

ネットでは、これらの定義が使う人によってまちまちで、かなりの誤解をしている例も多いようです。

私の解釈+使い分けの方法を説明することで、いくらかこの人種の理解が進むものと思います。

ただしかなりざっくりした書き方であることは否めません。学術的にはもっと緻密に書くべきでしょうが、その能力がありません。ただ、一次的理解にはこれで必要十分と思います。




朝鮮人…朝鮮半島にルーツを持つ者。朝鮮民族とほぼ同義。

韓国人…朝鮮人のうち、韓国の戸籍を持つ者。

韓国籍…韓国の戸籍を持つ者(韓国に帰化した者も含むので)。

北朝鮮人…朝鮮人のうち、北朝鮮に住む等北朝鮮への帰属が明かな者。

北朝鮮籍…北朝鮮への帰属が明らかな者。

朝鮮籍…朝鮮半島出身者とその子孫で、韓国の戸籍を持たない者(日本での定義)。

在日コリアン…日本に住む朝鮮人。韓国籍も朝鮮籍も北朝鮮籍も含む。いわゆるニューカマーを含まないこともある。


私の解釈では、「朝鮮人=北朝鮮人」「朝鮮籍=北朝鮮籍」ではありません。日本でいう「朝鮮籍」とは、朝鮮半島出身者であることを示す記号に過ぎず、朝鮮籍であることは、韓国を否定することも、北朝鮮を肯定することも意味しないのです。

たとえば、朝鮮における一方当事国の韓国に帰属することで他方の当事国たる北朝鮮を否定することになりそれを拒絶したいという人や、ただ単に韓国への国民登録が手間だし韓国籍と朝鮮籍では差異も無いのでそれをしないという人、などいろいろです。当然北朝鮮の支持という意思表示としてそうしている場合もあるでしょう。(これとは違い帰属の意思を持って北朝鮮のパスポートを所持していたり、北朝鮮の代議士だったりという場合は、「北朝鮮籍者」の要件を外形的に備えるということになるでしょうが。いずれにしろ特殊な例となります)

朝鮮民族、その国籍、在日コリアンを語ろうとするとき、過去において朝鮮は日本の一部であり朝鮮人は日本臣民とされていたこと、大戦後朝鮮の国家が分断したこと、日本が北朝鮮を国家承認していないこと、その他諸々の法的政治的な問題と、人々の思惑が絡み合っています(この辺は本国のゴタゴタも手伝ってかなり複雑です)。

思い込みや偏狭な知識で論を張ると見当違いな論になってしまいます。これらの言葉を使うときも同様、ある程度背景の消化を踏まえて使わないと、要らぬ攻めを仕掛け、攻めを受けた方はお門違いのハタ迷惑、ということになりかねません。

また、こうも言えます。日本人のすべてが、現政権を支持し、天皇や日の丸、靖国などに親近感や畏敬の念を持っている訳ではないように、北朝鮮人すべてが金父子の三世にわたる権力継承を支持しているとは言えない訳です。上記国籍等のカテゴリ分けは、それぞれに属する人らの立場、政治的主張とはリンクしないということも当然に踏まえていなければなりません。

それなのにネット上では、そのようなところまで考えが及ばず、「朝鮮人」というと、全部が全部北朝鮮政府の信奉者、あるいは朝鮮総連の活動をしてて拉致やミサイルに責任がある人間のように短絡的に捉えている向きが散見されます。「朝鮮」という言葉が出てきた瞬間、北朝鮮の現政権に盲目的に追従するという、妄想にも似た固定観念から論拠を作り上げ、ヒステリックに排斥の論を張るのは、余りにも無知であると言わざるを得ません。

私はここで、「韓国籍の在日は、朝鮮籍の奴らとは違って、拉致やミサイルとは関係ないから仲良くしてぇな」みたいに在日の仕分けをし、攻撃の標的を限定したいのではありません。

在日コリアンと呼ばれる人間は、実際帰化した人を含めて何人いるのかはわからないですが(古い記憶だと60万人)、外国人登録の国籍欄も去ることながら、祖先が日本に来た経緯、居住地域と環境、職業、受けた教育、すべて違うわけです。いま北朝鮮の支持を表明しながら生きている在日コリアンにも、発する言葉とは違うところに思惑や打算があったりするのです。(この辺はそのうち別に稿を設けます)

60万人なら60万通りの歴史があり、考えがあるのです。いうまでもないことです。当然に政治的主張も違えば、抱えているバックボーンも違います。民団派か総連派かという単純なものでは全然ありません。これらの組織との距離感は個々人によって違いますし、ひょっとしたらそのどちらにも属していない人のほうが多勢かもしれません。

日本のおばちゃんと一緒になって韓流を追いかけている人もいれば、そのような民族的なものにまったく無関心の人もいるでしょう。自分がナニ人なのかに気づくチャンスすら持たずに育つ人もいるでしょう。北朝鮮の現政権を支持し、自分は貧乏しながら熱心に活動する人も当然いるでしょう。

つまりは、一口に在日コリアンといっても、本当にいろんな人がいるのです。それは日本人にも関西人と関東人、自民党員と共産党員、その他何とでもカテゴリーの分け方はあるでしょうが、本当にいろんな人がいるのとまったく同じことです。

それなのに、「在日」と聞いただけで、ある一定の定型化した政治的主張なりが存在するかのような論拠を張られるのは、どうしても理解できないのです。

日本人にも朝鮮人にも、いろんな人がいるのだから、余り先入観で凝り固まったりではなくて、いろんなことを話し、接することからはじめてほしい、と思うのです。

わざわざ在日を探り歩く必要は無いと思います。

たまたま知り合った人が、あるいは友人知人が在日だったということを知った時から、偏見なく、構えず、ストライクゾーンを少し広げて付き合ってみればいいのです。

そうすれば、インターネットで溢れる在日のネガティブなイメージのほとんどが、悪意に満ちたデマか、無知や未経験、未接触から来る妄想の類であるということがわかるでしょう。

私も、私の周りの多くの在日コリアンも、本当に普通に生活している市民だから、それで当たり前なのです。日本人の中で、日本社会の中で、普通に生き続けている人間なのです。決してモンスターの類ではないのです。それに気づくだけでも付き合い方は変わるはずです。


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