女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

未亡人花子になって。

2015-07-02 08:11:59 | 日記
私は、二十歳のときに結婚した。
ある会社の現場同士のふたりだった。

お互いに知らない同士だったが、おばちゃんの作業場に私が招かれて。
だんなになる人にあったのだ。

だんなは、無口でおとなしく外見は大泉洋のようなひとだった。
ひたすら、休憩でも話はしなかった。

それでも、現場では、男の人たちとおばちゃんと楽しく休憩していた。
私が、お茶や、お菓子を用意してみんなで話していた。

だんなは、何にもしゃべらないで、いつもしずかなひとだった。
あるときに、みんなにチョコをあげるときがきた、義理チョコだった。

その中でお返しがあったのだ、二人死んだだんなと、もうひとり。
みんな、同級生だったのは、あとあとわかるのだが。

私は、とにかくまじめな女で、いろいろなことも知らない人だった。
そのうえに、仕事でも失敗したりして、いろいろ悩みもあった。

返事が来たので、その手紙にある電話番号に電話してみた。
いろいろな悩みやら、私のくだらない話につきあってくれた。

もちろん、無口だから、いつも聞き役。
それでも、だんなの魅力は、運転がうまいことだった。

そのころは、競馬で当てた頭金で、車を買っていたのでそれでドライブした。
初めて行ったのは、ルパン三世という、大垣の喫茶店だった。

そして、赤い糸のはなしだった。
たぶん、付き合った女には、みんな話していたとおもうが。

私には、とてもかんじのいい、いい運転手でたのしかった。
結婚はかんがえていなかったけど、ずっとそれからつきあった。

あるときに、昼間二人で寝ていた、偶然、それをだんなの父親にみつかった。
それでしまったとおもったのか、そのお父さんが、私をもらいたいといい。

二人は、籍だけいれて、結婚したのだ。
でも、おままごとのようでいまでも、なんにもできなかったのをなつかしくおもった。

子供には、恵まれなかったが、20年余りとても楽しい人生だった。
だんなは、体が弱く、40歳で肝機能がよわりきり、酒も飲みすぎて死んだ。

そして、私は40歳で未亡人となった。
再婚をすることは、ないと思ったが、あまりに誰とも付き合わないのでへんにおもわれた。

再婚しないのは、若いときのときめきを誰にも感じないし、たのしくなかったから。
つまり、おとなしく話をずっと聞いてくれる男性がいなかったし、私も若くなかったか。

そのために、馬鹿にされたりした。
男にもてない、結婚できない人間とも思われた。

しかし、一度でいいと感じている。
若いときめきは、一度でいいし、結婚は案外大変で苦労も多いし。

若いときは乗り越えられることも、今では無理だと思うしね。
それでも、再婚しない理由が、レズなんて、とんでもないことに。

死別した女は、昔は尼さんになって、隠れてすんだものだし。
わたしも、ひっそりと、残りの人生をおくりたい。

だから、未亡人になるべくしてなったけど、寂しいことばかりだ。
でも、昔のことを思い出しながら、一人で生きるのは、すこしだけしあわせかもしれないが。

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