近代短歌データベースを検索するだけのブログ 

近代短歌DBは近代短歌15万首の全文検索と簡易分析を提供するサイト。運営は村田祐菜先生。私はそれを検索するだけの人。

検索ワード「動悸」

2022-10-05 22:42:24 | 検索するだけの人
ヒットした短歌: 8件

眼前に在すごとMarburg先生に感謝ささげけり動悸しながら : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1923, 1947

このときに六全大会を報じ来る新勢に動悸を感ず : 斎藤茂吉 『寒雲』, 1939, 1940

あやしくも動悸してくる暗黒を救はむとして灯をともす : 斎藤茂吉 『寒雲』, 1938, 1940

拳闘の猛烈なりし時のまをわれはしきりに動悸して居り : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1935, 1940

同船にて来りし君がベルリンに死にたりといふ動悸しやまず : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1923, 1947

はるばると憧憬れたりし学の聖まのあたり見てわれは動悸す : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1922, 1947

空の藍つよさきはまりて描かれし寺院をも見つ動悸しながら : 斎藤茂吉 『遍歴』, 1924, 1948

断間なく動悸してわれは出羽ヶ岳の相撲に負くるありさまを見つ : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1935, 1940


「動悸」は全て齋藤。さすがお医者さま。遠遊あたりまでは、恩師、友人を思う気持ちの昂りを言っているが、こなれて、ボクシングや相撲の興奮を表すようになってくる。

「あやしくも動悸してくる暗黒を救はむとして灯をともす」が突出している。小題によると、法泉寺住職、陸軍中尉山口隆一氏戦死の電報を受けてのもの。2年後には、宮柊二さんが招集され、この地で戦うことになる。




検索ワード「木炭バス」

2022-10-05 21:50:02 | 検索するだけの人
検索ワード:  木炭
ヒットした短歌: 8件

ある駅に来りしときに木炭がたかだかとしてつみてありたり : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1923, 1947

押しつまりて呼吸苦しき工場なり木炭のにほひ臭く日暮となる : 前田夕暮 『南風』, 1929, [1929]

おのが灰をおのれ被りて消えてゆく木炭の火にたぐへて思ふ : 太田水穂 『老蘇の森』, 1951, 1955

五月末の昏迷した頭に埃をあび、木炭瓦斯をかぎ、さらに心飢ゑ : 前田夕暮 『烈風』, 1940, 1943

木炭を嚢より出すそのときにをとめの車掌も補助してゐたり : 斎藤茂吉 『霜』, 1941, 1951

来た来た、むかふからよたよたと木炭バスが来た、咳をして咳をして : 前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943


このなかで「木炭バス」と思われるのは3件。「ある駅に来りしときに木炭がたかだかとしてつみてありたり」は木炭バスのためのものかと思うが確信がない。時代的には齟齬がない

前田、齋藤は取材が似ている。或いは手数が多くて結果的に同じ取材をしている。ただ、齋藤は前田ほどあたらしい題材に順応しようとはせず、常識的に対応しようとしている

薪バスもくちゃん(平成23年6月)大町市

薪バスもくちゃん(平成23年6月)大町市




検索ワード「前田夕暮の咳」

2022-10-05 21:28:47 | 検索するだけの人
検索ワード:  咳
歌人:  前田夕暮
ヒットした短歌: 10件

笹の葉がさらさら鳴るのをきききき咳をする咳をする : 前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1951, 1951

赤錆びた瓦斯発生器下垂してよろめき走る、咳をして咳をして : 前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943

誰か咳をする咳をする気がつけば微熱に悩む吾にてありし : 前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1950, 1951

咳がきこえる。家を出ても、街にきても、わが子のかすれた咳がきこえる : 前田夕暮 『靑樫は歌ふ』, 1937, 1940

むかふに富士の黒い頭みて坂道のぼるバス、咳をして咳をして : 前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943

来た来た、むかふからよたよたと木炭バスが来た、咳をして咳をして : 前田夕暮 『烈風』, 1941, 1943

わが内臓に自然の翳うつりて日毎に褪化する咳をする : 前田夕暮 『夕暮遺歌集』, 1950, 1951

わが内臓に自然の翳うつりて日毎に褪化する、咳をする : 前田夕暮 『歌稿 晩年歌稿』, 1950, [1950]

風にかすれたわが子の咳がきこえる。枯草枯草、路ばたの枯草 : 前田夕暮 『靑樫は歌ふ』, 1937, 1940

みづきの翳、土ににじんで、六月の朝じめりに咳をするわが児 : 前田夕暮 『靑樫は歌ふ』, 1935, 1940


ひとつの短歌に「咳」が繰り返し出ている。これは必ずしも前田の特許ではなくて、石川の「ふるさとの父の咳する度に斯く/咳の出づるや/病めばはかなし」が早いが、親子を対比させる必然的な部分があり、前田は表現として前面に出そうとしている。

作風は年代とともに変化がみられ、「青樫は歌ふ」では子供たちの咳。「烈風」は、より時代、都市を映すものになり、木炭バス、その瓦斯発生装置と人間のかかわりなど、現代と異なる景色が愉しい。その後の遺歌集や晩年歌稿からは、自らの咳にむきあう前田をみることができる。「笹の葉がさらさら鳴るのをー」は、また新たな作風の変化を予期させている。







検索ワード「石川啄木の咳」

2022-10-05 08:37:38 | 検索するだけの人
検索ワード:  咳
ヒットした短歌: 61件
歌人で絞り込み: 石川啄木4件


故さとの父の咳する度にわれかく咳すると病みてある : 石川啄木 『明治四十一年歌稿ノート暇ナ時』, 1908, [1908]

ふるさとの父の咳する度にわれかく咳すると病みて聞く床 : 石川啄木 『明星 明治四十一年七月号(申歳第七号)』, 1908, [1908]

ふるさとの父の咳する度に斯く/咳の出づるや/病めばはかなし : 石川啄木 『一握の砂』, 1908-1910, 1910
  

『一握の砂』の仕上げがものすごい。読み方によるが 『明治四十一年歌稿ノート暇ナ時』は結句が字足らず。実は四句で終わっていたところ。『明星 明治四十一年七月号(申歳第七号)』で結句の決着をつけたが、意味が通らない。『一握の砂』で三句のわれを削り、結句をドラマチックに仕立てた。こういうのが一目でみてわかるのが、近代短歌データベースのすごいところ。