東京に残る高低几号標。
夕暮れて務め帰りの人たちが行き交う時刻になった京急・泉岳寺駅。
少し行けば高輪大木戸跡。
江戸時代の江戸市中は一町ごとに木戸を設け自身番がいたという。
中でも東海道のこの高輪大木戸はひときわ大きく、旅人はここで旅装を改め見送りもここまで。
伊能忠敬が測量の基点にしたのもここ。
高低几号標は・・・
ご都合の実に悪い面にあった。
ドライバーの皆さますいませんm(_ _)m
非常にクリアな状態だし、間違いなく当時のままの位置だけど、いつまでもいられる場所ではない。
この昭和7年の東京市の案内板の方が今の東京都教育委員会の案内板より簡潔にわかりやすい。
でもその場で読んでる状況ではない。
きっと拡幅拡幅でこうなったんだろうな。
でも残しているということは本当に重要な木戸だったんだ。
ふと、故北原亞以子氏の深川澪通り木戸番小屋を思い出していた。