この間レインボーブリッジを徒歩で渡った目的は第三台場と第六台場を鳥瞰することだった。
1853年(嘉永6年)6月にペリー艦隊が浦賀に来航し幕府に開国を迫った。
これに脅威を感じた幕府は江戸の直接防衛のために11基の海上砲台の建設を始めた。
75万両という莫大な資金を投じての昼夜の突貫工事の末、第一~第三は約1年後の1854年7月に竣工。第五と第六は同年12月に竣工した。第四と第七は未完成で、第八~第十一は未着手に終わった。
今残るのは、第三と第六。
第三は台場公園となっている。
レインボーブリッジから鳥瞰する第三台場。
第六台場。
無人島と化した第六台場の今は貴重な自然保存庫。
第三台場は台場公園となって散策できる。
1854年(嘉永7年)に再び来航したペリー艦隊はこの品川台場を見て、品川沖から浦賀へと向かったという。
意外と手強そうだと思ったのかな。
ペリーじゃなくても私もけっこうに驚いていた。
鎖国していながらこの土木技術力!
あ?
でもそういえば玉川上水もニヶ領用水も江戸時代の土木工事だ。
閉じられた情報環境と限られた材料。どうやって創意工夫していったのだろうと思う。
身分社会でありながら身分の上下に関係なくそういう才能を見いだすことのできた社会もたいしたものだと思う。
結局帰り道でのお茶は自由が丘のルピシアさんだったのだけど。