

かながわの橋100選。逗子市・東郷橋。

逗子市内の道路橋で、日露戦争での東郷平八郎将軍の凱旋を祝って名付けられた。親柱と欄干に重々しさが感じられる。現在の橋は昭和2年に建設されたもので、橋長10・6mの鉄筋コンクリート床版橋。東郷元帥は1847年鹿児島生まれで、ロシアのバルチック艦隊を撃ち破った日本海海戦は1905年(明治38年)のこと。1913年には英国ビクトリアー等勲章を受け、翌年には元帥となった。昭和9年、88歳で没した。東京の明治神宮のそばには東郷神社がある。
ふむふむ( ..)φ
みそぎ橋、富士見橋と渡り、東郷橋にむかう。



かつての名残が残る道。とでもいうのかな?今と過去が混在する。





方向音痴だから道をそれるのヤバイが・・・
やっぱ海を見ながら歩きたいなぁ。

海に出る。


砂浜を歩いていたら、やっぱ行きすぎた。元の道に戻り、引き返す。

そうそう。確かその角から海と反対方向に行く。




お!あの橋ね!(^^)!

能書きからの予想と違って、こう言ってはなんだが、実に可愛らしい。



テキトーに渡る。

やっぱ可愛らしい。


ふと、当時の平均身長を思った。
かなりの個人差はあろうが、男性は155㎝前後くらいだと記憶してる。韋駄天といわれるお人でも180㎝あったかなかったか・・・
正直、なんで日露戦争に勝ってその軍人の親分が神にまで祀られるようになったかは、私にはよくわからない国民心情であった。
が、こうしてこの橋を渡ってみると、戦争の是非とか世論操作とかはともかく、155㎝くらい平均身長の軍隊が20㎝くらい平均身長が高い軍隊相手に勝ったんだから、これは凄かったんだなぁ熱狂するわなぁ、と妙に納得。
でも、できれば戦争なんて無い方がいいよな。
スポーツで競い合うのがいいよな。
でも、平和なら平和でスポマケとかいうわけのわかんない商売が汚していく・・・


東郷元帥は、どんな未来をみておられたのかな・・・

帰ろう。

真っすぐに真っすぐに行く。



逗子市役所が見えてきた。

新厨子は終点で始発。寝ていこう。
