かながわ名木100選めぐりをしていたのは約5年前になる。
たまたまの偶然から始め、資料は手元にあった文庫本の付録の住所のみ。
2013年の7月にめぐったのは、伊勢原市・大福寺のクスノキ。
2013・7・23のブログにアップした。
今でも、伊勢原大福寺と入力すれば私のブログが出てくる。
これにはわけがある。
浄土宗田廣山大福寺は異様なお寺だったのである。
2013年7月。
山門は閉ざされ、山門どころかどこからもお寺に入れないように囲まれていた。
なんの予備知識も無く行っていたから、お留守なのかな?と何気なくくぐり戸に手をかけたら開いた。
入って仰天。
クスノキは一部倒壊しお堂を直撃状態のまま境内を塞ぎ、本堂も何もかもボロボロ。
写真を撮っていたら、どこからともなく年配の女性が現れ観光目的なら出て行ってくれという。お詫びして出て行こうとしたら、本堂の方から写真を消せとの声が不気味に響いてきた。写真消したふりをして脱兎のごとく逃げ出した。
その後、お墓参りがしたいという方からのコメントで、少し調べた。
正直、よくわからなかった。
ただ、なにやらお寺の土地をめぐって争いがあったようだった。バブルの崩壊もあったし、そのあたりの理由で住職が精神に異常をきたしたと解釈した。
拝見した感じはかなりの古刹だったし檀家さんもちゃんとあるようだったから、そのうちに本山がなんとか解決するであろうと思いつつも、お墓を持つ方々とクスノキのその後が非常に気になっていた。
2015年8月。
たまたま路線バスで通りかかったら、かたくかたく閉ざされていた山門が開いていた。
翌日あらためて訪ねた。
山門が開いていた他は、境内は二年分荒廃が進んだだけであった。
それでも、山門が開いたということはなにか進展があったのかな?と思った。
そして、今年、パパァさまから2013年のブログにコメントをいただいた。
ああそうだったんだ・・・
住職死亡→遺族に僧侶の資格がないため本山は立ち退きを要求→僧侶の資格が無い遺族が遺族名義の土地があることを理由に立ち退きを拒否→裁判→立ち退き→遺族名義の土地についてはまだ係争中。。。
2013年7月は、たぶん立ち退き裁判中だったんだ。だから寺を囲み込み籠城していたんだ。そしてあの不気味な声の主は住職でもなんでもなかったんだ。
2015年8月は、たぶん立ち退いた後だったんだ。だから山門が開いていたんだ。
そして、昨日。
箱根に向かう途中に立ち寄った。
小田急伊勢原駅下車。
大山に向かって歩く。
大福寺。
山門は閉ざされていたが、脇から入れるようになっていた。
荒廃ぶりに息をのんだ。。
山門が閉ざされていたのは、もう倒壊寸前で危険だからであろう。
クスノキは痛々しいままだった。
本堂も裏に回ればこれもかなりの傷み。
お墓の方はきちんと手入れされていた。たぶん檀家さんたちが頑張って支えておられるのであろう。
Nさま家のお墓もパパァさま家のお墓も位置はわからないけど、お墓に向かってしばし合掌。
いつ完全に解決するのだろうか?
考えてみたら、お寺が世襲とか私有財産とか、なんかへんなんじゃないのかな?
今はどうかわからぬが、鎌倉のある名刹の住職は代々横浜のある名家から出していたとうかがったことがあった。
出家した以上子供がいようはずもない。秀才の誉れ高い子供を寺の跡継ぎとして出しそれが一族の誇りでもあったということなのだ。
時代の流れで変わることもあるだろうし、それはそれで折り合いをつけていくものなのだろうけど、寺も神社もなにかどこかおかしくなっているのかもしれないなぁ・・・
もちろん立派な方々もたくさんおられるんだけど。。
私はこの5年間と同じように見守るしかないけど、建物もクスノキもまだ手を入れればなんとか再生できるうちに解決して本来の大福寺さまが蘇る日を心よりお待ち申し上げております。
追伸。
2020・3・26現在の状況です。
逆光でわかりにくい時間帯になってしまいました。
山門の修理が始まってる感じでした。
枝が払われてだいぶ良くなってきてました。
再建は大変なこととお見受けしました。
でも水仙が綺麗に咲いていました。