横浜市認定歴史的建造物「横浜税関遺構 鉄軌道及び転車台」は、象の鼻パーク内にある。
なんで象の鼻かといえば。。。
1856年に開港した横浜港であるが、開港当初は2本の突堤が港湾施設の全て。外国からの貨物船は接岸できずに沖合いに停泊し、小船が貨物や人を運んだそうな。その2本の突堤は、東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)。経緯は不明だが、1867年に東波止場は直線から湾曲に変更され、その形状が象の鼻に似ていたからか象の鼻と呼ばれるようになったらしい。。
その後、象の鼻地区は発展を続けた。
やがて線路が引かれ貨物列車が荷を運ぶようになった。
やがてそれは山下埠頭の造成にあわせて1965年に山下埠頭まで延びた。が、本牧埠頭・大黒埠頭と造成されるにつれて山下埠頭のお仕事は移っていって、山下臨港線は1986年に廃線となった。
象の鼻パークの上の歩道はかつての線路。今は、新港地区と山下公園を結ぶ山下臨港プロムナードとして遊歩道になっている。
かつて上屋や税関倉庫が並んだ象の鼻地区は、今は緑地公園。
象の鼻テラスでゾウノハナソフトクリームで休憩。
問いかける窓・・・
象の鼻と赤レンガ倉庫を結ぶ鉄橋。
横浜市認定歴史的建造物「新港橋梁」
所在地・中区新港町1丁目~海岸通1丁目
構造規模・鋼ワーレントラス橋
建築年代・大正元年
設計施工・大蔵省臨時建築部
明治44年に初代横浜駅・現桜木町駅から新港埠頭まで開通した臨港線が大正元年に横浜税関倉庫まで延長されるにあたって架けられた鉄橋。
汽車道の鉄橋たちは外国製なんだけど、この新港橋梁は国産トラス橋!なのです!
浦賀船渠がつくった。浦賀船渠は住友重機工業浦賀造船所となり、更には今はそれも閉鎖された。。
ひき返す。
明治のパワーはすごかったなぁ・・・
昼飯は野毛のばるさん。
後、中央図書館で爆睡。気が付いたら下校時刻だった。