今日のころころこころ

2013・9・6 おばさんの葉っぱ 総生寺様のおへそ

今日は、道場のジムで筋トレ。カツヤマ先生にパーソナルトレーニングお願いした。
それじゃスクワットになってません!うにゃ!腕使うんじゃありません!もっと胸張って!うにゃ!

総生寺様のおへそ♡

その①小田原大森氏の墓。
阿育王山・総世寺様。1441年の創建。開山は、小田原城主・大森信濃守頼明の子の安叟宗楞禅師で、開基は禅師の甥で大森氏第4代の信濃守氏頼と伝えられてる。だそうだ。
ところで?大森氏って?誰?
総世寺様に入ったところで、謎の石が並んでいた。

ん?なんの発掘だ?
写真撮って、おもわず手が伸びかけたところで、いきなし本堂の中から『こんにちわ!』との声がかかった。おもわずギョっとした。これ撮影禁止だったんか?ヤバいことしちまったか???
出てきたのは、作業服姿の改修工事の職人さんのようだった。

とりあえず謝っちまう。
そしたら、いいんですよ!どこどー撮ってもらってもいんですよ!と笑顔。お礼言いながら、職人さんですか?とうかがったら、ダンカソーダイです!とおっしゃる。へ?檀家総代というふうに聞こえたよな?とんちんかんなやり取りの後、このお方が総世寺様の檀家総代様とわかった。あちらも、こちらの目的が名木100選だけで後は無知とわかったようだ。
驚いたな。檀家総代とか氏子総代とかいえば、地元の素封家のご隠居様とのイメージだ。とにもかくにも、若い。お寺のお葬式があって、住職その他関係者全員が出かけ、普請をしてるし留守番をしてるとおっしゃる。そんでも半信半疑だった。だって・・・三スケ持ってるの板に付きすぎ。そしたら、やっぱな。某スーパーゼネコンにいて、今は家業の建築会社の跡をとってるという。
その謎の石は、大森家の墓石及び付帯だそうだ。霊廟を造って永代供養しようと準備してる真っ最中であった。

中には、それこそ土中から掘り出したのもあったそうだ。

どんなふうになるのかな♡

その②秀次公の銅鐘。
総代様は、本堂の中も気軽に案内してくださった。
もう!これが大事なんですよ!

この銅鐘は、1590年の小田原戦役の際に羽柴秀次が陣を張り、後に寄進した鐘である。
戦時中の供出から皆が協力して守り、今に伝えられたという。総代様は、秋にはお披露目できそう♡と張り切っておられた。

一時間に一本しか無いバスだが、次のバスにしてしまおうかと思うほど、楽しい時間であった。
そのバスも、バスが来るまで日陰で休んでいけばいいよ!とおっしゃる。それじゃおいてかれると思ったら、あそこに来るから見えたらバス停に行けば間に合うよ(笑)!なるほど。

お。バスが来た。


それにしても。お幸せだな。総世寺様。
そういえば、本堂から竹林が見えた。手入れの真っ最中であった。

茶室あればいいですねともうしあげたら、そうするつもりなんですよ!とおっしゃっていた。
どんな風にリニューアルするんだろうか?楽しみだ。
そうそう。実は、古墳もあるんだよね♡また来よう。
ありがとうございました!
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