全然違う調べものをしていて偶然目に付いた几号水準点。
なんだろこれ?と気になって少し検索してみたけど、実はよくわからなかった。
国土地理院はなんか几号水準点のことは忘れて無交号という感じだし、個人の方々のはものすごく詳しくて詳しすぎて理解できなかったり、SNS的ノリで軽すぎてよくわからなかったり。
現地に行ってみればなんかわかるか?
で、日比谷線で動いていたついでに、荒川区の円通寺さまと素盞雄神社さまと千代田区の赤坂見附跡に行ってみた。
几号水準点はあったけど、私の頭の中はやっぱり靄がかかったよう。。
昨日は図書館ついでに横浜の几号水準点に行ってみることにした。
特に理由はなかったけどなんとなく南区の中村八幡宮さまへ。
市営地下鉄阪東橋駅から横浜橋商店街を行けば、大衆演劇のブロードウェイ三吉演芸場。
三吉橋を渡る。
大好きな浦舟水道橋が見える(^^♪
中村八幡宮さま。
おお!!!
横浜市教育委員会の説明があるじゃないの!!!
そうか。
そういうことだったんだ。
几号水準点とは内務省地理寮水準点。高低几号標。
近代国家に測量事業は必須。
明治政府は、明治7年1月に内務省地理寮を設置し、開港5港(横浜・神戸・新潟・函館・長崎)や東京・大阪・京都などの主要都市の市街図作成に着手した。
三角測量及び水平測量を行う上で設置された水準点が几号水準点。
「不」の几号を不朽物等に彫刻して標識とするようにとの内務省からの指導で鳥居や石垣に刻まれた。
明治17年以降は、内務省地理寮から参謀本部陸地測量部に移管された。
私が最初に目にした資料に几号水準点と書かれていたから几号水準点という言葉を使ってブログを書き始めたけど、高低几号標という言葉なのか。
横浜は、近代測量による地図が完成した一番最初の開港地で、測量は明治7年~8年。実測図の刊行は明治14年。
この明治14年の実測図は市図書館で閲覧できる。中央図書館の場合は書架にあって書庫から出してもらわなくても誰でも閲覧できる。
さて?
明治17年以降の測量に「不」は使われなかったのかな?
明治24年には無交号が設置されたし。。
これは、ま、そのうちに当たるかも。。。
中村八幡宮の高低几号標。
これは刻まれた当時の位置のままらしい。
ついでにお参り。
高低几号標は当時のままらしいけど、この獅子山の向きはなんか参道を向いてない?
そうそう。
三吉演芸場の並びには、日本国初めての石鹸工場があったのです。