今日のころころこころ

2019・2・16 横浜の野外彫刻 馬車道 小田襄・本郷新 吉田橋でつなぐ3作品

伊勢佐木町から吉田橋を渡れば馬車道。

吉田橋は安政6年(1859年)6月2日に横浜が開港した頃に架けられた木橋が始まり。
明治2年(1869年)に英国人技師R.H.ブラントンによって日本国初のトラス鉄橋として架け替えられた。
明治4年(1871年)までこの橋は関門でもあった。
当時は吉田橋をはさんで伊勢佐木町側が関外で馬車道側が関内。



昭和53年(1978年)に竣工した今の吉田橋の高欄の意匠はトラス鉄橋。

下には車が流れる。







馬車道。

この広場には、明治5年(1872年)に日本国初のガス灯が馬車道に点ったことを記念して東ガスの協力で当時のガス灯が復元されている。





横浜のこのあたりは日本国初のオンパレード。
この広場には街路樹発祥の記念碑もある。

そんな広場に不思議な作品。
「新風」:小田襄:ステンレス:1978年:横浜ロータリークラブ創立50周年記念。

広場の先は馬車道交差点。

角には明治28年創業のいなり寿司の泉平さん。
今はテイクアウトのみ。積み上げられたガツンとしたクラシックないなり寿司が次から次へと売れていくさまは壮観。



りそな銀行横浜支店さんも何気に洒落てる。







「太陽の母子像」:本郷新:ブロンズ:1976年:アイスクリーム発祥記念。



お?一昨日の落とし物の子供靴は結局誰も探しに来なかったのね。。

そうして。
イセザキモールの「若い女」とこの「太陽の母子像」は吉田橋と吉田橋脇広場の「新風」によってつながるという。





これは私にはちょっと難解(^^;
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