東京に残る高低几号標。
文京区の宗慶寺さまと本法寺さまをたずね、次にスマホのナビで向かうは文京区立小日向台町小学校。
水道端から台町へまた坂を上っていく。
この坂は薬缶坂というのか。
小日向台町小学校が見えてきたけど、何やら工事中。
水道管の工事のようだ。
高低几号標はそこにある。
すいません写真撮りたいんですけどと言ったら、現場監督さんが、これってなんですか??とおっしゃった。
これって几号水準点というんです。明治初期の測量に使われていたんですうんぬん。とざっくりと申し上げたら、そうだったんですか!!!
水道管工事が終わったら舗装する予定で、当然高低几号標の上も舗する段取りだったのだけど、どうも気になって気になって測量士に聞いても知らないと言うし文京区に聞いてみようかと思っておられたという。
うぅうう!助かった!!現場監督さんが注意深い上に知的好奇心あるお方で助かった!!!ああよかった今日ここに来てよかったよかった!!!!!
そう。
高低几号標はもうあってもなくてもどっちでもいい任意の文化財なのだ。
有している神社仏閣や個人宅やそれぞれの行政のお気持ちしだい。
都内でも新宿区は教育委員会が案内板を設置していたりなんかするけど文京区はない。
もし現場監督さんが鈍なタイプだったら小日向台町小学校前の高低几号標はアスファルトの下になっていたのであった。
現場監督さんはそこまでは突っ込んでこられなかったけど、かと言って、なぜここに?と問われたら、私にもわからない。
水道端の本法寺さまのは地図に記載があるけど、宗慶寺さまのも小日向台町小学校前のも地図上それらしいのは見当たらないのだ。
補助的なものだったのか?場所が移動しているのか?
江戸末期から明治にかけての地図を見比べると、その進歩に驚く。子供のお絵描きのような地図から短期間で今の地図と比べても遜色のない地図になっているのだ。
それにはこの高低几号標たちの役割が大きかったはずなのだ。
なにはともあれ、現場監督さんありがとうございましたm(_ _)m