東京に残る高低几号標。
今日は一石橋へ。
どこからどういってもいいけど東京メトロ半蔵門線・三越前駅から向かう。
いつも思うのだけどたまたま私の通る時間帯なのかもしれないけど、三越と反対方向は人が歩いてない。
ここの出口を出ると渋沢先生の銅像があるのだ。
階段を上れば一石橋のたもと。
でもまずは渋沢先生にご挨拶。常盤橋。
おや。この屋台はついこの間までメニューが貼ってあったのだけど廃業放置かな?
この橋は「常盤橋」。
大正15年に架けられた。少々野暮ったい。
「常盤橋」の横に架かるのが「常磐橋」。ただいま改修工事中。
こちらは明治10年に架けられた。
橋マニアにはこちらの方が人気絶大。新しい橋も過去の意匠を踏襲している。
渋沢先生。
新一万円札が出たら名所になるかも。
常盤橋の横に架かる一石橋へ。
皇居(江戸城)外堀と日本橋川の分岐地点に架かる一石橋の歴史は古い。
江戸時代初期にはすでに木橋が架けられていた。
大正11年に東京市道路局によって鉄筋コンクリート花崗岩張りの橋に架け替えられ、関東大震災にも落橋しなかった。
平成9年に今の橋に架け替えられたけど、親柱の一本だけが当時のままに残る。
脇には一石橋迷子しらせ石標。
江戸時代の盛り場は迷子が多かったようだ。迷子はそこの町内で保護する責任があり、迷子さがしのための告知石があちこちに建てられて、そこに張り紙をして迷子を知らせた。
ここの説明では、この迷子しらせ石が現存する唯一とあるけど、湯島天神さまの境内にも残っていて、あちらもウチだけと言っているのが面白い。
迷子しらせ石に刻まれた高低几号標。
この地図は明治19年。日銀が建てられたのは明治29年。
それまでは帝国陸軍だったんだな。
一石橋から東京駅へ。
私は高速バスに乗ったことがないから、この道はいろんなバスが見られて楽しいのです。