母が家に帰りたくないと施設に籠ってからというもの、長野の家を出る時はいつも不安。
火の元は大丈夫か?戸締りは大丈夫か?
でもどんなに完全にしたつもりでも、出がけにスマホに着信あっただけで、もうおろそかになる。いつぞやなんて一週間後に行ってみたら窓がひとつ開けっ放しだったのだった。
今は、ひとつひとつ指差し確認をしながらそのたびによし!と声に出して言う。
あの運転手さんのように、だ。
もう10年以上も前になると思うけど、いつものようにバスに乗ろうとしたら、ピッと目の前に人差し指?へ?
この運転手さんなんじゃらほい?
と、観察してみたら、バスの運行に関わること全てに指差し確認をしていたのだった。私ばかりでなく乗り込んで来る乗客皆へっ?となるほどに乗客の定期券ばかりか顔までも指差し確認。指差し確認の鬼だったのだ。
プレートの肩書は、たぶん実際にバスを運転してる運転手さんの中のでのトップ。
なるほどに、確かな運転技術ばかりでなくここまで指差し確認の鬼にならねばならぬのね。
その後も、たびたびその運転手さんに遭遇したけど、いつの間にか畏敬の念すら覚えるようになっていた。
ルートはバス停7つほど。駅前は路駐が多かったりするけど、基本的には広くて酷いカーブもなく真っ直ぐで交通量も多くない。
要は、眠くなるような道なのだ。
その退屈極まるルートを、折り返し運転で何十往復もするのだ。
でも、その運転手さんはいつ見ても同じ緊張感を持って指差し確認の鬼しながら流れるようにスムースな運転をしていたのだった。
そんなの仕事なんだからプロなんだから当たり前だろ。
当たり前なんだろうけど、自分を顧みる時、それはとてつもなく難しいことだと思わざるをえない。
当たり前を当たり前にやるためには、地味な心がけしかないのだ。
と、いうことをその運転手さんから教わった気がしたのだった。
今日は朝から曇り。
風が無いせいか異様に蒸し暑い。