親柱は、橋の顔。
特に、関東大震災の復興事業で架けられ橋の親柱は、もう芸術と言っていいと思う。
めぐりはじめた橋は、「現存横浜震災復興橋梁」。
横浜市橋梁課からいただいた資料と、横浜震災復興誌もとにしている。
横浜震災復興誌は分厚い全4巻。昭和7年3月31日横浜市役所から発行された。非売品。図書館で貸してもらえる。
関東大震災にみまわれた時、横浜には鐵橋35橋・コンクリート及び石橋203橋が架かっていたようだ。どの橋も壊滅状態。
復興事業で新設・改築・修築されたのは、178橋。国施工が37橋。市施工が141橋。
この震災復興橋梁で現存してるのは、約40橋。
今回は試しに「都橋」(^^♪
吉田町と野毛1丁目間の大岡川に架かる。
安政6年、野毛浦と吉田新田堤に仮橋された野毛橋が始まりで、明治5年に都橋と改名され、明治15年に鑄鐵構桁橋(鉄製ボーストリングトラス橋)一径間七十三尺(約22m)幅員十八尺(約5.5m)に架け替えられた。技術者は石黒工學博士なり。
が、関東大震災で落橋。震災復興で架けられたのが、肘木式鋼板桁橋(3径間ゲルバー式鈑桁)・橋長27.15m・幅員10.9mで昭和3年に完成した。そして昭和58年に改築されて現在に至る。
都橋の親柱はほんとうに素敵だ。
私が計測したからいい加減なんだけど、高さ約340㎝。
おや。
カモメさんお昼寝。
それにしても、逆光だったな。反省。
この界隈は、夜の方が綺麗。。