長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館の企画展で、戸隠五社で一番地味で小規模にみえた火之御子神社にかつては奥社に匹敵するかそれ以上の杉並木参道が存在したと知った。


火之御子神社には栗田氏という一族が関係しているようだ。
栗田氏の館から火之御子神社へは栗田氏が神社に奉仕に行くために立道という道まで造られていた。

栗田氏の館ってどこにあるんだ?
と、そば博物館の駐車場でグーグルマップを検索したら、まさかのあった!
城之内城跡というのか。

山間の小さな鳥居とちいさな石橋と小さなお堂が建つこの場所に栗田氏の館があったようだ。


設置された古びた案内板を読んでギャフン!

どうやら戦国時代あたりに栗田氏という有力豪族がいて、山栗田と里栗田に分かれていたらしい。山栗田氏がこの場所に館を構え、明治維新まで火之御子神社に奉仕していたらしい。
ん。
それにしても里栗田って?海彦山彦の信州バージョンかいな?
つーか、そもそも栗田氏って何者なんだ?
そこで思い当たったのは、長野駅東口あたりの栗田という地名。
そういえば、ながの百景に「栗田日吉神社」というのがあった。
検索したら、お!あっぷるぐりむ長野栗田店さんが近いじゃないか。遅くなった昼飯は決定。
ちなみに、あっぷるぐりむさんとは長野のローカルファミレス。リーズナブルでボリュームたっぷりで全国チェーンよりはるかに美味い。






腹ごなしがてらスマホのナビで栗田日吉神社さまを目指す。

このあたりは長野駅東口が近い。再開発がどんどんと進む。
いつだったか車の助手席で母が、ここはどこ?と言った。え?家から車で10分もかからない場所がわかんない?ボケたか?と思ったのだけど、カーナビ見ながら栗田って答えたら、いつの間にこんなに開けた!?!と仰天していた。

栗田日吉神社さまは、あっぷるぐりむ長野栗田店さんから数分の住宅地の真ん中にあった。



ながの百景・栗田日吉神社。

ケヤキの巨木に新緑が豪快に揺れる。

境内には色んな案内板があり、この神社の歴史をナビゲーションしてくれる。



たまたま寄り合いで来ておられた氏子さまに色々と伺った。
本当にありがとうございましたm(_ _)m
この栗田城跡を研究されているのは「栗田城址を整備する会」。
研究成果をカラー印刷のパンフレットにして無料配布しておられる。

栗田日吉神社は城郭の上に建つ神社。

かつてこの場所には里栗田氏の館があったという。
山栗田の館が城之内城なら里栗田の館は堀之内城。
栗田氏は1094年に信濃に配流された村上氏の分家だったようだ。
成り行きはよくわからないけど、室町時代には、戸隠別当と善光寺別当を務めるようになり、戸隠別当が山栗田で善光寺別当が里栗田。
戦国時代が栗田氏の全盛だったようだが、武田信玄と上杉謙信の争いに巻き込まれ、里栗田は武田方で山栗田は上杉方についたらしい。
武田方についた里栗田はその後甲斐の国へと行き、子孫根絶やしというわけではないけど、大方は武田と運命を共にしたらしい。
上杉方についた山栗田は明治維新まで戸隠で暮らしたし、ずっと神社だった火之御子神社の神官だったのけど、廃仏毀釈で寺院が神社となった戸隠神社での奉仕かなわず戸隠から去ったという。子孫は長野県には住んでないけど健在。
そうしてお話しは、善光寺平の家康支配と真田家松代移封へと続いていくのである。
里栗田氏の夢の跡。





そうして。それにしても。
ここまで郷土史を調べたあげた栗田の皆さまに脱帽!!!!!
すっかりと住宅に囲まれて見えないけど、里栗田の頃はここから山栗田の里があるお山が見えたのかな。
