道を一本間違えて、根岸森林公園・一等馬見所。
でも、久々に見て、道を間違えたのも良かったな。
目的の地蔵王廟へ向かうべく来た道を引き返して再び簑沢入口信号機。
今度は間違えない!
うっかりしてれば通過してしまう小道を曲がれば異国。
山手の外人墓地が有名で観光名所にすらなっているが、横浜には他にも3箇所の外人墓地がある。
根岸外人墓地と英連邦戦死者墓地とここ中華義荘。
開港した横浜港入港第1号は、アメリカ系商社オーガスティン・ハード商会の傭船ワンダラー号。ハード商会には香港の中国人もおり、たぶんワンダラー号で来日したのが始まりらしい。彼らは西洋人と日本人の橋渡しを生業に暮らしはじめ、開港20年後には居留外国人の6割を占めるようになったという。
人は生き物である以上、当然のことながらその人の都合は全く関係なく異国の地で落命することもある。今のように飛行機も無ければ冷凍技術も無い時代。火葬だって国によってはタブーであったであろう。落命の地に埋葬せざるを得ない。
当初は山手の外人墓地に葬られていたが、明治6年に日本国で落命した華僑はここに移された。中華義荘。故国に棺を帰すまでの仮安置所だったようだ。
「落葉帰根」。
ゆっくりと階段を登る。
階段の途中が、当初の仮安置所墓地。
「地蔵王廟」は、華僑たちの募金で建てられたという。
所在地・中区大芝台7
構造規模・木骨煉瓦造
建築年代・明治25年
指定認定・市指定文化財
設計施工・不詳
道間違えてうろうろしているうちに秋の日は傾き逆光。
中庭を中心に建物を前後に並べて取り囲む中国は広東省や台湾の廟建築。まるで映画の舞台のようだ。
柱や梁は広州で加工され運ばれてきたという。外壁は煉瓦半枚積の大壁で仕上げ。平成4~7年に解体修理が行われ往時が甦った。
「落地生根」。
地蔵王廟の後ろの建物は納骨堂。
墓地が広がる。
一見日本国のお墓と大差ないようにみえるけど、なんと!全ての墓石に先祖の出身地が刻まれている!◎◎!
時代は下り、今はもうここで永眠する。子供も孫も曾孫も。仮安置所ではない。ここが永眠の地。それでも、こうして刻む。
ここに書いたこれらのお話は、たまたま墓参りに来られていた華僑ご一家さまから伺った。ご供養の日だというのに、嫌な顔ひとつぜず、とてもとても明るくお話くださった。見ていってください!素晴らしいですから!!!と、とてもとても中華義荘を誇りに思っておられる気持ちが伝わってきた。けど、故国にはもう知る親戚縁者はいないという。。
本当に申し訳なかったなぁ。。後姿に再度お礼をこころで申し上げながら見送る。
落地生根。
その後、華僑は様々な時代の荒波にもまれた。関東大震災で壊滅状態になった中華街は、約5700人中約1700人もの華僑が亡くなり、生き残った人々も阪神や本国に避難して135人にまでなってしまったという。更には不幸な戦争で横浜大空襲。。
けれどたくましく落地に根を張り、今の横浜中華街がある。
落地生根。。。
こころでつぶやきながら、階段を下りた。
中華街を歩いていると元気をもらう。お墓でも元気をもらった!がんばれる気がした。