「コズモポリス」 ドン・デリーロ
真っ白な超ハイテクリムジンを、移動するオフィスとして活用する金融マン。
若くして巨万の富を築いた男、エリック・パッカー。
今日も誰かが億を稼ぎ、もしくは破滅し、あるいは暗殺される。
飽くことなく欲望を満たし、狂おしく刺激を求める日々。
彼は、今日、床屋に行きたいのだった─。
先に映画を観てからの原作読書。
映画版は、
あるひとつの経済体制が終焉する予感、を描いてる印象。
いくつもの死が語る哲学。
世界のバランスを考える思想。
王女様のローマの休日ならぬ、金融マンの富豪の平日。
どっちもボディガードが居ないと、自由を感じるらしい…
リムジンのハイテクぶりがクールなのと対象的に、
街並みが普通で、ダイナーや床屋さんは庶民派。
この対比が、なんだかSFチック。
全てを手に入れたいが、全てってなに?
生きる目的ってなんだっけ?
妙な倦怠感を漂わせながら、日課をこなすも。
冷め切った感情に、刺激と興奮を与えないではいられない。
生きている実感が欲しくて無茶をする。
精神と経済それぞれの混乱とバランス、そして崩壊。
暴力とSEX。
『ファイト・クラブ』(1999年)的なんだけど、全く違う映画。
両作品とも、なんとなくゲーム感覚なところが、現代らしさか。
エリックが最初に銃をぶっぱなすシーンの驚きが激しかったので。
原作には細々と心理描写があるのかと期待しつつ。
原作を読むとエリックの心理が、より詳細に。
不眠症ぶりや、高級マンション内の様子など。
眠れないまま部屋から部屋へと徘徊し、明け方に窓から下界?を眺める姿。
専用のエレベーターで降下、居並ぶリムジン。
そして、ニューヨークを高級車で移動。
移動って…結局浮遊してる訳?
夜は住処内を徘徊、昼はNYを徘徊?
秒単位で変動する相場そのものの、この落ち着きのなさ!
新妻との三度の食事も、まるで行きずり。
原作では、映画撮影のシーンがあり。
それホントに奥さんですか?状態。
傲慢な男が、己の生き方に対する疑問を振り払うように、
ごり押しした取引によって破産し、
最後に残った自らの命を、嬉々として賭ける。
存在価値がゼロになり、生きる熱意を失った男。
皮肉な事に、唯一の希望は彼の死に意味を見出す復讐者。
この復讐者についても、原作読むと色々判ります。
捨てられてた机を引きずってきたもんね自慢が激しいのが可笑しい。
超ビンボーなりに、持ってる物自慢してるあたりが、なんとも。
執着心のみで生きてる姿が痛いが。
せっかく果敢に立ち向かった相手がコレかよ!
エリック的には、なんとなく物足りないのか?
とんだお笑い草な盛り下がりを感じる手応え。
更に、復讐者なりにエリックを研究、理解してます的な話しぶりに。
ウググ~。
お腹がチクチクする。
血管がピクピクする。
なんかもう、バカバカしい。
生きる熱意、欲しい。。。
かくして、死亡時には、ただの破産した男。
バランスこそ重要と追求してきた男が、
前立腺が非対称、左側だけ散髪、片手に穴。
見事にバラバラな状態での最期。
惑星に植民できるほどの金額を儲け~
って、そもそもそんな天文学的数字のお金を、
どうやって実感するんだ?
画面に並ぶゼロの連続を見るしか方法がないんじゃないの?
札は用意出来ないだろうし、金塊でも用意できないだろうし。
で、結局はお金を使うことでしか実感できない…とか言わんでくれ。
惑星に、移住しちゃいなよぅう!
って、生憎、欲は有るが夢は無いもんで。
ひとりの男のエゴが、世界経済に混乱をもたらすさま。
ちなみに設定は‘二〇〇〇年四月某日’、出版は2003年。
またしても、答えを探しまくって読んだ結果。
本自体の魅力に気づかず。。。
クローネンバーグ監督がカンヌの記者会見で。
原作の文章の美しさ、特に会話が美しいので、脚本でもほぼそのままにした。
とか発言したもんだから。
慌てて、もう一度読んでみる─。
あ~あーあー。
傲慢さが美しい!!
文もセリフも短めで、簡潔かつ美しい。
“~。スクロールするように明けていく夜明けに向かって長い散歩に出たりはしなかった。
電話をする友人もいなかった。深夜の電話で煩わせてやろうと思うほど愛している友人は。
喋ることなどあるだろうか?それは沈黙の問題だ、言葉ではない。”
“彼はエレベーターで大理石のロビーまで降りた─サティの音楽がかかっているエレべエーター。
彼の前立腺は非対称だった。彼は外に出て、街路を渡った。それから振り返り、自分が暮らしているビルを見上げた。”
行動を述べながら、いきなり、さらりとカミングアウト?を入れるあたり。
なんかよくわからんがスゴいんですけど。
そして、車に居る理由を聞いた部下との会話。
“どうしてそれがわかるんだ?オフィスではなく車にいるって?”
“その質問に答えようとすると”
“どういう前提に基づいているんだ?”
“たいしたことは言えませんが。ほとんどは浅薄で、おそらくはあるレベルで不正確なことになってしまうでしょう。
そうしたら、あなたは私が生まれてきたことを憐れんでくれるでしょうね”
なんちゅー会話じゃ。
数学の証明問題みたいな事になっとる。
しかも、こんな返答どっから沸いてくるんすか?
“彼はトーヴァルが自分のことをミスター・パッカーと呼ばなくなったことに気づいていた。
トーヴァルは今では彼の名前を呼ばない。この省略は、ひとりの男が歩いて通れるほど大きな欠落を自然界に開けていた。”
ロスコ・チャペルを買いたいという彼。
“チャペルごと売ってもらえれば、それを完全な形で保存できるじゃないか。
そう話してくれ”
“どこに完全な形で保存するの?”
“俺のマンションだよ。スペースは充分にある。もっと広くすることもできる”
“でも、みんながそれを見たいのよ”
“見たきゃ買えばいいのさ。俺よりも高い金を払ってな”
“こういう生意気な言い方を許してもらいたいんだけど、でもね、
ロスコのチャペルは全世界のものなのよ”
“俺が買えば俺のものさ”
おっしゃる通りなんすけど、炎上間違いなしの発言ですな。
そして新妻との会話。
“俺は太陽系の惑星のひとつひとつで自分の体重が何キロになるか計算してみた”
“それって素敵。気に入ったわ”と彼女は言い、彼の頭の脇にキスをした。
少し母親的なキス。“科学とエゴがこんなふうに一緒になるなんて”。~
エリックの論理担当主任曰く。
“~。すべての富は、富のための富になってしまった。~”
“~。だって、資産にはもはや重量や形状がないから。問題になるのはあなたが払った金額だけ。~”
そして、同じような大金持ちが暗殺される度に、満足をおぼえるエリックに。
“あなたの才能と敵意はいつでも百パーセント結びついてきたのよ”
“あなたの精神は他人への悪意を糧に成長するの。~”
この一連の会話で出てくる【後ろめたい幸福感】という言葉。
思わしくない相手の不幸に対するストレートな感情。
肯定しちゃいけないんだけど~。
存在は否定出来ないという痛いトコついてます。
金融界に対する抗議行動のひとつとして、炎に包まれる人とか。
ラップミュージシャンの死に対してさえも。
何かしら期待してしまう【後ろめたい満足感】とでも言えるようなもの。
メディア的な考えというか、下世話な感覚というか、なんとも否定したくなる感情の記述。
金持ちは、えげつない存在かもしれんが、世間も十二分に下品。
いや~~。それ言わんといてーな現実。
復讐者がエリックと対峙し、言う。
“俺が何者だと思うか言ってみろよ”
相手の欲求の激しさ──自分が何者か気づかれたいという、半ば媚びるような期待。
勝ち組も負け組みも、かつて勝ち負けた組も。
結局はエゴに縛られている─現実。
いや~。それ言わんといて~。
“「でっかい野心。軽蔑。いくらでもリストアップできるぜ。あんたの貪欲さ、あんたに関わった人々。
ある者を酷使し、ある者を無視し、またある者を虐待する。その自己完結性。
良心の欠如。それがあんたの才能だよ。」と男は悲しげに言った。
そこには皮肉っぽさはなかった。”
彼が死んでも、彼は終わらないだろう。世界が終わるのだ。
傲慢さの最終極点とも言える記述。
この世界観。
否定されがちな、エゴの美しきエクスタシー。
「コズモポリス」 ドン・デリーロ