気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

ぎっくり腰

2010-03-18 13:41:16 | Weblog
近ごろ

私の周辺で

  ぎっくり腰に悩む人が多くなりました。


「ぎっくり」とは

  おもしろい言葉です。

「角立ったもの、物の節目がなどが、こすれてたてる音を表す」

            ・・・ と『日本国語大辞典』にあります。


円滑に動いていた節目が

ぎくりと音をたてて きしむような感じがする

               ・・・ のでしょうね。


感じがするのでしょうね ・・・ といいますのは

私がこの年まで

  ふしぎなことに

    腰の痛みを感じたことがないからなので ・・・


「へえ、痛いのかい」と言っても

相手は

「やったことない人に分かるか」と言って

            ・・・ 不機嫌になります。


不機嫌といえば

ゴリラは年中

  不機嫌な顔をしていますが ・・・

あれは直立のため

  腰痛に悩まされている ・・・ からではないでしょうか。


・・・ スミマセン

つい ゴリラと一緒にしてしまいまして ・・・ 。










スポーツ ≠ 健康法

2010-03-18 10:14:00 | Weblog
相撲をとって 強い・・・ のも結構

ゴルフをやって 遠くへ飛ばせる ・・・ のも結構

しかし事実は

相撲とりも ゴルファーも

  まず100%といっていいくらい

      ・・・ 腰が壊れています。


それでも

腰痛を訴えているうちは

      ・・・ まだノーマル

まだ

腰に力があるから

      ・・・ 異常を訴えているのです。


武道は

質のよいものなら

  キチッとやれば

    本物のいい腰ができるとは思いますが ・・・

スポーツは

  レクレーションにしておいた方がいい ・・・ ですよ。


もともと

スポーツのルールというのは

  人間の体の原理にのっとって

また

  その原理を活かすように考えて

      作られているものではない ・・・ のです。

単なる競争原理に基づいた

  約束事にすぎない ・・・ といっていいのです。

だから

体の方は

  その約束事に合わせて

    無理を強いられる ・・・ ことになるのです。


そういうものは

  遊びとしてやる ・・・ ならいいでしょう。

つまり

  時々生活をリフレッシュために

    スポーツをやる ・・・ ならいいでしょう。


それでも

偏りは避けられないのだ

  ・・・ ということを 憶えておいて下さいな。


その点のマイナスはあってもなお

  生活をリフレッシュする意味の方が大きい

       ・・・ という面は確かにありますよ。

ですから

好きな人は

  スポーツを楽しんでください。


でも

でも

スポーツは健康法ではない ・・・ のです。

             ・・・ くれぐれも、お忘れなく。














箸使い

2010-03-17 22:29:42 | Weblog
その人の箸使いをみて ・・・

「親の顔が見てみたい」 ・・・ と思うことがあります。


日本人にとって

生後百日前後の「お食い初め」のときから

  箸は ・・・ ごく身近にして神聖なもの。


それは

「他人を不快にしない」

  というマナーを守るためでもある ・・・ のです。


たとえば

こんなタブーがありますね ・・・ 。


「移り箸」 ・・・ 一つのものを取りかけて、別のものに変えること。

「かき箸」 ・・・ 茶碗や丼のふちに口をあてて、

                    箸でかきこんで食べること。

「こみ箸」 ・・・ 口に食べ物をたくさん詰めて、箸で押し込むこと。

「刺し箸」 ・・・ 箸で食べ物を突き刺すこと。

「探り箸」 ・・・ 箸で器の中のものをさがすこと。

「涙箸」  ・・・ 箸先からポタポタ汁をたらすこと。

「ねぶり箸」・・・ 箸についているものや箸先をなめること。

「迷い箸」 ・・・ どれを食べるか迷って、あれこれ箸で指すこと。

「横箸」  ・・・ 二本そろえて、スプーンのように食べ物をすくうこと。



どんな立派な学歴があっても

立派な職業についていても

箸使いが満足にできない人は

  立派な日本人

    ・・・ とは言えないのではないでしょうか。












色気、気色 ・・・

2010-03-17 20:52:07 | Weblog
元気、陽気、天気、気色
  ・・・ すべて「き」と読みます。

色気、吐き気、寒気、食い気
・・・ 同じ気なのに「け」と読みます。
そして
「け」のニュアンスは、中国にありません。

平安時代
やまと言葉の「け」は
昔は
中に米を書き ・・・ 「氣」
ご飯を炊いて
  ゆらゆら立上る湯気
実体がつかめない
  正体がはっきりしないもののこと。

中国では
「気色」、「色気」 ・・・ 顔色が良いという意味
ところが
日本では
「気色」 ・・・ よい意味ではなく「気色が悪い」
「色気」 ・・・ 「セクシー」

「き」を「け」と読むときは
気が低下していて ・・・
・・・ ちょっと病的
・・・ ちょっと怪しげ
・・・ 不思議な気を表す ・・・ ときが多いようですね。




2010-03-17 18:14:28 | Weblog
日本語の中に最も多く登場する文字は ・・・ 「気」

気のつく言葉も1000はあるだろう ・・・ と。


空気、湿気、天気、陽気、電気、磁気 ・・・ などの自然現象

元気、正気、陰気、勇気、根気、気力 ・・・ などの心理現象


日本人は全て気のせいにします。


気の意味を調べると「生命の原動力となる勢い」
 

中国人の考える気とは ・・・ 宇宙の根源

それは

 静止しない

 動いて ・・・ 絶えず新たな現象を作り出します。


気 ・・・ 万物を生み

      万物を変化させるエネルギー ・・・ なのです。










なんのために ?

2010-03-17 07:00:54 | Weblog
人は

なんのために

  そんなにいそがなければならないのでしょうか。


なんのために

他に勝つことに

  いっしょけんめいにならなければならないのでしょうか。


目的地につくということは

  いったいなんのためなのでしょうか。


人生の意味は

このような

  時間とか

  スピードとか

  できばえとか

あるいは

  競争 ・・・ によってえられるものなのでしょうか。



時計とか他人などにとらわれずに

つまり

  時間をこえ

  対立の外に出て

じっくりと自分を見つめ

自分がとらえた感覚で

  自分の生き方をさぐってみましょう ・・・ よ。


きっと

きっと

この地球上の一点で

  全宇宙とひとつながりにつながっている自分を

      発見することができる ・・・ はずですから。





あくせく ・・・ きゅきゅうとして

2010-03-17 05:42:55 | Weblog
人間の生活は

  いっそうテンポをはやめていく ・・・ ようです。


そのテンポにおくれまいと

人びとはさらにあくせくと

  時計に追いたてられながら

    ・・・ ふるまっています。


ほかの人よりも一歩でも半歩でも

  先んずることにきゅうきゅう

      ・・・ としています。


ほかの人に勝つことで

  幸福になれる
 
    ・・・ とでもおもっているのでしょうか。


たとえば

せまい道路にひしめき合う自動車の中で

ドライバーたちは

  一秒でも先に目的地にたどりつこうとして

    ・・・ イライラしています。


他より一秒早いことで

生活がゆたかになるのだ

    ・・・ とでもおもっているのでしょうか。





無我夢中 ・・・ 自分の時間

2010-03-17 04:38:01 | Weblog
いそがしいことはよいことだ

それだけ生活が充実しているのだ

  ・・・ という人がいるかもしれません。


ほんとうでしょうか。


つぎからつぎに

追いたてられるようにして生きている人は

  ほんとうの自分の時間をもっていない

  ・・・ というべきでしょう。

自分の時間とは

  時計に監督され

  命令されている時間ではなく

自分が主人公になっている時間 ・・・ のことです。

いえ

それは一定の時間というものではありません。


自分がしたいからする

せずにはいられないからする

たとえそれによって

  よい成績がとれるとか

  よい収入があるとか

  名誉になるとか ・・・ いったことがなくとも

わが身をいとわず

天の呼び声にこたえるように

  無我夢中にとりくんでいく ・・・


そいうときは

その人には

  もはや ・・・ 時間などはありません。









よく聞きなさい ・・・ 小学校で ③

2010-03-15 17:46:15 | Weblog
 ひとの言うことをマトモに聞かず、自分の思いつきを勝手に言い出す安っぽい人間を大量生産していることに憂いを抱く人がないのか ・・・ と不思議です。

 一般的にいって「教育の場」はおだやかで緊張した雰囲気がよいので、トゲトゲしくてガサツで、しかもタルンだ気分の支配するところではよい教育はできません。

 それは学校でも家庭でも ・・・ 同じです。




よく聞きなさい ・・・ 小学校で ②

2010-03-15 14:47:43 | Weblog
 ・・・ 強制とか強圧ということが教育界から一切取り払われることになり ・・・ 子どもの人権は尊重され自由は保証されるばかりでなく、子どもの心理が重視され、その欲するところに逆らうことは、逆コースとか反動などとそしられる恐れさえ感じられるようになりました。

 そういうムードの中の子どもたちはすっかりリラックスしてまことに気楽にやってます。
頭に浮かんだことは何のブレーキもなく軽々と口に出してしまいます。
 ・・・ そういうのが無邪気で、正直で、積極的で、明るい子だとされるのではないか ・・・ と思われます。

 とんでもないことです。
私は教育とはそんなものだとは思いません。
 年がら年中リラックッスして、頭のテッペンだけで反応するような薄っペラな状態に子どもを放置して、どんな教育ができるというのでしょうか。

 心の緊張は直接テストの点数に関する場合以外に生じないような仕掛けの中ではマトモな知育だってできるわけはありません。





よく聞きなさい ・・・ 小学校で ① 

2010-03-15 13:01:25 | Weblog
 あるとき 母校である小学校で子供たちにお話をする機会がありました。

そして まず ・・・
 「ひとが話しているときは隣の人としゃべったり、話の途中で勝手な意見や感想を口に出したり質問を発したりしないで、しまいまでよく聞かなければいけない。この人は何を言おうとしているのかな、と思って聞かなければいけない。折角ひとが一生懸命に話しているのに本気で聞こうとしないのは第一無礼というものだ。誰にでも ・・・ ことに先生や親や先輩に対して無礼を働くことはケシカランことなのだ。これから私が話すことは大事なことだからよく聞きなさい」

 これだけのことを私が言う間にも子どもたちは勝手にささやき合ったり、話の途中で、全く関係のないことを言い出したり、おとなしくしている子のうち二、三名を除いた他の大部分のものはボーッと私の声に耳(コマク)を反応させているだけで、心まで何も届いていない様子です。

 予想以上の有様に驚いて、隣の子とおしゃべりをしている男の子に「私はいま何を話した?」と聞いてみました。するとその子はキョトンとして答えました。
「ひとの話よく聞かなければいけないって言いました」

 私は「ウム、なるほど」と言ったきりことばが詰まってしまいました。
それと同時に私に一つの考えが閃きました。
 「ハハァ、学校で求められる(点数になる)知識とはこういう種類のものだナ」と。

 ことばを憶えて、それをそのまま吐き出せば点になる。言葉が身になってもならなくても問題ではないらしい。

 そこで私は言いました。
 「この話はみんなに理解しなさい、と言ってのではなく、実行しなさい、と言っているのですよ、ひとごとの話をしているのではなくきみたち自身の話をしているのですよ」

 ここまで言ってもまだ、ひとごととして聞いている子が数人いましたが、大部分のものはそれでも目に光を点じてこちらを見つめるようになりました。

 「ヤレヤレ」と思いながら、学校の先生たちはどうやってこの子たちを教育しているのだろう、とすさまじい気さえしました。
いったいどんな技術を用いてこの子らをを操縦しているのか、ソラ恐ろしい思いがしたのです。
あるいは10%か20%の子に通じるだけで満足して、あとの8,90%のものは、どうぞご勝手に、ということにして教育を進めて行っているのでしょうか

 どちらにしても大変なことだと思わないではいられませんでした。

 そこに集まったその子らが特別な習性を身につけた特殊な子供たちばかりだったとはいえません。むしろ平均より質のよい子が多かったと思います。だから、その子たちを大体平均的な小学生と考えてもよいのでしょう。

 ・・・ その後(先生たちの教育研究会で講師をつとめた際)多くの先生方聞いてみましたが、どこの学校でも大体同じような実状らしいということわかりました。
 全く呆れたことです。
                     (②につづく)
















 







大人の遊び

2010-03-14 06:04:21 | Weblog
昨日も 新鮮な野菜をいただきました。


「いつもいただいているばかりで・・・すみませんな~」

「な~に おら~ 畑で遊んでいるだけだから ・・・」


 大根やいも作りを通して自然を味わい知る、
    ・・・ これがまた申し分のない遊びなのでしょう。


 畑を作るのは、立派な作物を育てることに専心するわけですが、その収穫そのものが本当の満足の内容でなく、それを通して自然と直接に接して自然を知り味わうところに畑作りの醍醐味がある、と心得ている人にとって、畑作りは最上の大人の遊び ・・・ ということになるのですね。


「 春は楽しくてな~ 」といいながら

           ・・・ 帰って行かれました。

















ハレ ・ ケ ・ ケガレ

2010-03-13 05:21:57 | Weblog
「ケ」 ・・・ 日常のこと、ニュートラルな状態

「ハレ」と「ケガレ」 ・・・ 非日常の状態


「ハレ」 ・・・ 聖の非日常

「ケガレ」 ・・・ 負の非日常


「ハレ」 ・・・ 「晴れ着」「晴れ舞台」「張れ」

         お祭り(ケンカ祭りとかハダカ祭りなど)


「ケガレ」 ・・・ 「気枯れ(気が枯れる)」

      ・・・ エネルギーの枯渇、穢れ(けがれ)



    ・・・ すべてが一時的な状態なのですね。





おはぎ・ぼたもち ・・・ 彼岸

2010-03-12 13:18:26 | Weblog
今月18日は彼岸の入りです。

むかし
僧が「此岸より彼岸に到る」と
  仏の教えを説いてまわった時期 ・・・ とか。

ちょうど
  春の種蒔きの時期 ・・・ です。


彼岸には「おはぎ」を食べます。
地方によっては「ぼたもち」と呼ぶのでしょうか。

米をハレの日の食べ物として、砂糖が一般庶民に流通しはじめた頃、
  現在のようなものになった ・・・ 聞き及びます。

その後
並べると白い砂糖がボタンの花のように見えるので
    ・・・ 「牡丹餅」

また
小豆の粒の散らしたものが萩の花に似ているとして
    ・・・「萩の餅」 「おはぎ」

このほか
北の窓からは月が見えないので
    ・・・ 「北窓」
また
「月知らず」 = 搗き知らず ・・・ とはお洒落な呼び名。

そして
いつの間にか着(搗)いている意から
    ・・・ 「夜舟」

人に知られぬよう音を立てずにつくるので
  隣家でも気がつかないことから
    ・・・ 「隣不知」(となりしらず)

などなど、
  ・・・おはぎにはいろいろな異名があるようです。


季節によって呼び名を替えて食べるのがおもしろいですね。


それにつけても
今は亡きオフクロがつくった「ぼたもち」は 
    ・・・ 最高でした。





自分を過信しない ・・・ ⑤ やり直し

2010-03-11 17:12:00 | Weblog
 人生は、何度でもやり直すことができます。

 やり直しがきかないというのは、今日の自分も明日の自分も、同じ自分だと考えるからです。

 今日は今日、精一杯に生きる。
明日のことなど、いま考える必要はありません。
いま、この瞬間の可能性を生きればそれでいいのです。

 絶望してみずから命を断つ人がいます。
さまざまな環境と心の景色(幻想)にふりまわされたあげくの哀しい ・・・ 結果です。
あるがままの自分を見つめることを放棄してしまった ・・・ 弱さです。