コーヒーが運ばれてくると、サンヒョクが重い口を開いた。
「ユジンのこと、かなり待ったでしょう?」
ミニョンはサンヒョクをじっと見つめたまま、何も言わなかった。
「ユジンはあなたに会いに行くつもりだったんです。でも、お母さんが止めようとして倒れてしまったんです。あなたが彼女に執着するから、だからユジンも迷ってしまうんです。その結果、お母さんともこじれてしまった、、、。ユジンが苦しむのがあなたの望みですか?それがあなたの愛し方ですか?愛してるのに、なぜ苦しめるんだ?ユジンは確かに長い間チュンサンを愛していました。忘れられなかった、、、。でもあなたは、、、チュンサンはどうだっただろう?チュンサンはユジンを深く傷つけていたんです。チュンサンは死んだから、あなたは知らないだろうが、彼女がどれだけ苦しんできたことか、、、やっと傷が癒えて前を見港としているのに、また傷つける必要があるんでしょうか?散々傷つけてきたんです。もう苦しませるのはやめてくれませんか?あなたがチュンサンだという事実を隠すのは、悪いことかもしれないけれど、あなたは何も覚えていないんです。覚えてない限り、あなたはチュンサンではありません。僕にとっても、ユジンにとっても、あなたにとっても。本当にユジンを愛しているなら、事実を告げずに、ミニョンさんのままでいるべきだと思います。お願いしますね。」
サンヒョクは自分の言いたいことだけ言うと、ミニョンの反応も見ずに席を立った。後に残されたミニョンの表情はどんどん暗くなっていった。自分がチュンサンだと知らなかった時には、こんなことを言われたらすぐに論破していたであろうに、今はただ思い悩むしかなかった。それはまるで、自分の中の見知らぬチュンサンが表面に出てきて、苦悩するような感覚だった。
ミニョンはそのまま、真夜中の高速を飛ばして春川の実家に帰った。春川の実家は暗くてシンとしていた。ミニョンは一人ピアノの前に座ってぼんやりとしていた。頭の中にユジンの声が響いた。
「ミニョンさんはチュンサンではありません。たとえチュンサンが生きていても、私はサンヒョクのそばを離れません。」
そしてサンヒョクの声も響いた。
「何も覚えていないからチュンサンではないんだ」
そこにユジンの声もかぶさってきた。
「もう私を解放してください。これが最後の電話です」
ミニョンはピアノのうえにうつぶせになったまま、やがて寝てしまった。
次の日の朝、ミニョンが起きてリビングに行くと、そこには母親のミヒが座っていた。ミヒは朝一番でソウルからミニョンを追って春川に来た様子だった。そしてミニョンを見ると開口一番言った。
「ごめんなさい、悪かったわ。私は母親として何ができる?」
すると、ミニョンが苦しそうな顔で言った。
「僕の記憶を返してください。今僕の頭にある記憶を取り去ってください。」
「ミニョン、やめて。あの時は、あの時は仕方なかったの。失った記憶を取り戻すよりも、新しい記憶を植え付けた方がよいと思ったの。本当に苦渋の決断だったのよ」
絞り出すように話すミヒの声もまた苦しそうだった。
「決断?僕の記憶なのに、誰が勝手に書き換える決断ができるんだ?僕だろうが!過去も記憶もすべては僕のものじゃないか!なぜ?なぜなんだ?」
「あなたに父親を与えたかったのよ!!父親のいない子にしたくなかった。ミニョン、、、あなたと違って、チュンサンはとても不幸な子だったの。父親がいない母子家庭で育った記憶が、彼を不幸にしていたの。彼は父親がいないことで、私を憎んでいた、、、恨んでいたの。だから記憶を失ったと知ったとき、むしろ喜んだわ。あなたのためにアメリカで結婚して父親を与えたかったの。父親がいる新しいあなたを作りたかった。私はミニョンを、、、チュンサンを心から愛していたの。チュンサンを失って本当に苦しかったけど、ミニョン、あなたを新たに授かって本当に慰められた。あなたは私を憎まずに微笑んでくれたし、いつも励ましてくれた。はじめて愛してくれたの。チュンサンを失っても、ミニョンを授かったから、本当に幸せだった。幸せだったわ。」
そういうとミヒはほろほろと泣き出した。はじめは怒りでいっぱいだったミニョンも、そんなミヒの様子を見ていると、次第に悲しそうな顔になった。母親も母親でチュンサンとの関係にずいぶん苦しんだのだ。本当は子に憎まれるのではなく、愛し愛されたかった母親が哀れに思えて仕方がなかった。また、記憶にないもう一人の自分が母を憎んでいたことも申し訳なく思えた。その後、ミヒは打ち明けてすっきりしたようで、車に乗ってソウルに帰っていった。
車に乗り込む直前、二人はそっと抱き合った。母親が過ちを犯したとしても、ミヒはやはり母親なのだ、ミニョンはミヒを許さないでいることができなかった。ミヒを乗せた車はあっという間につむじ風のように去っていくのだった。ミニョンは車をぼんやりと見つめていた。