晩秋の雨の日の昼下がり、姉と一緒に、母が入院している病院へ行った。
病室へ行くと、母は車椅子の上で、看護師さんに談話室へ連れて行ってもらうところだった。
廊下の突き当たりの左手にある談話室で、買って行ったお菓子と飲み物を出して、看護師さんに確認したら、「大丈夫ですよ」と言われた。
先刻、主治医の先生の回診があったらしい。もう少し早く来たら主治医の先生の回診の様子が見られたのにと残念な気がした。看護師さんが母のために温かいお茶を運んで来てくれた。
テーブルの上にお菓子と飲み物を置き、母と一緒に食べたり飲んだりしながら、お喋りした。
母から話しかけてくる言葉が、いつもより少なかったので、私たちのほうから、いろいろなことを話した。
(あんなに、お喋りなお母さんだったのに)
少し寂しかったが、仕方ない。
窓の傍へ、車椅子を押して行き、外の風景を母に見せた。晴れていれば庭のほうへ連れ出せると思ったが、窓外は雨が止んだばかりの冷たい空気の曇り空。遠くに山並みや畑が広がっているが、曇りのせいで、やや寂しげな光景に感じられた。
「私の誕生日、覚えてるよね。言ってみて」
母に言った。
少し考えた母は、
「もう忘れちゃった」
と答える。覚悟はしていたが、やはりショックだった。
「思い出して。お母さん」
「もう忘れちゃったよ」
「この間まで覚えてたのに。じゃ、いいわ」
話題を変えた。忘れたことをいつまでも言ってると、母は自信をなくすし、不機嫌になる。他の話をしながら私は、
(7月に私の誕生日を聞いた時は、お母さん、即答したのに……)
そう思った。母に会うたび、自分の誕生日と子供たちの誕生日を覚えているか聞いてみた。すべて答えられると、安堵した。亡き父の誕生日は忘れていた。7月に会ったその時、私の誕生日を「○月○日」と即座に答えた。姉の誕生日は数秒間考えてから、○日と答え、数秒間考えてから、○月と答えた。兄の誕生日を聞こうとしたら、「もういいよ、忘れちゃったわよ」と語気を荒げて母は不機嫌になった。その次に会った時は聞かなかった。次に会った時は聞いたが、間違っていた。もう聞かないほうがいいのかもと思いながらも、その日、聞いたのだった。こうして母の記憶が少しずつ失われていくのだろうかと悲しかった。
やがて、談話室に、女性理学療法士さんが来て、
「リハビリの時間ですよー」
と、明るい声で、母に告げた。
テーブルの上を片付けて、私と姉も一緒にエレベーターに乗り、リハビリ・ルームへ行った。
車椅子の上で、理学療法士さんに言われるまま、母は短い棒を使って腕のエクササイズをした後、車椅子を移動してもらってフロアの中央近くへ行き、身体の両側にそれぞれ長い棒が伸びている所で止まった。
母が左右の手で、その棒につかまって、車椅子から立ち上がり、歩行練習を始める。
私と姉は、
「デイ・サービスの体操より、ずっといいわよね」
「それはそうよ。理学療法士さんのほうがいいに決まってるわ」
「あそこにいる患者さんぐらいになるといいわね」
そんなやり取りを交わしながら、母のリハビリの様子を見ていた。
リハビリがすんで、病室に戻る。母はベッドに横たわり、疲れたのか眠いのか目を閉じそうになってしまう。看護師さんが、今、眠ったら、ぐっすり寝込んでしまうかもしれないからと、熱いタオルを持って来て、母の顔を拭いた。
少しは目が覚めたようだが、時々、眠そうにする。夕食まで、あと1時間ぐらいだからと、私と姉は母に言ったりした。
そこへ、院長で主治医の☆☆先生が来た。この日は看護師さんに、主治医の先生の話を聞きたいと言っていないので、うれしかった。
主治医の☆☆先生は、私と姉に説明をしに来たという感じで話し始めた。
「この間、脳の検査したら、もう梗塞のほうは大丈夫です。麻痺も言語障害もないですしね。明日、リハビリ病棟に移ります」
「えっ、リハビリ病棟?」
何度も病院のHPを見ているので、聞き返した。病棟といっても別の建物ではなく、他の階の病室ということだった。
「リハビリする患者さんだけがいる階です。どの程度回復するかわかりませんけど、数か月間、リハビリして様子をみてみます」
主治医の☆☆先生が、そう言った。
他に少し質問して、答えて下さった後、主治医の☆☆先生が、
「○○さあん」
と、母に近づきながら、明るい声で名前を呼んだ。すると母は、
「はい」
まるで少女みたいに可愛らしい声で答え、パッチリと開けた目の笑顔で、ベッドから起き上がった。私と姉は驚いた。ベッドは自動式介護ベッドで、スイッチを操作して椅子の背もたれの形にできるが、その時は平らなままだった。
平らなままのベッドから、母は両手をベッドにつくこともなく、手すりにもつかまらず、上体を起こしたのだ。まるで腹筋のエクササイズみたいにである。姉が、「私、あんなこと、できない」と笑った声で言う。自宅では自動式ベッドではなかったからかもしれない。
しかも母は、リハビリ疲れも眠気も遠のいてしまったように、丸い目をクリンとさせて、うれしそうな笑顔で主治医の☆☆先生を見つめて返事している。
☆☆先生は微笑しながら、母の頬と首筋にやさしく手を当てて言葉をかけてから、私たちにも軽く会釈して病室を出て行った。
☆☆先生が病室を去ると、母はまたベッドに横になってしまった。
間もなくして、理学療法士さんが病室に入って来た。
「明日からはリハビリ病棟の理学療法士がリハビリの担当します。私はこの階の患者さん担当ですから、今日で終わります」
そう言った。私と姉は感謝の言葉を述べた。母にも声をかけて、理学療法士さんは病室を出て行った。
その後、食事の時間になり、病院のスタッフ女性がトレイに食事を乗せて運んで来た。
夜勤の看護師さんが来て、ベッド横のスイッチを操作して椅子のような形にすると、トレイを乗せたテーブルをベッドの上にセットした。ご飯、魚料理、煮物、和え物、吸い物、フルーツ・ゼリー。カロリー計算もしてあり、カルテのような紙に朝食・昼食・夕食ごとに、完食か食べ残したかが記入されている。
小さめのどんぶりに、ご飯が盛ってあり、その量の多さに少し驚く。平均的な大人のご飯茶碗の容量より多めである。おかずは刻んであったり柔らかく煮てあるが、ご飯は普通の炊き方だった。
看護師さんが、ベッドの両側に椅子を置いてくれた後、「お願いします」と言って病室を出て行った。私と姉はベッドの両側の椅子に座った。大きなトレイなので、ご飯のどんぶりや小鉢や皿を、母が欲しがる順番に、「美味しそうね」「美味しい?」などと言いながら母の手に渡した。お箸ではなく大きなスプーンで寄せて食べるが、食欲がある口への運び方だった。
食べる様子を見ていると、予想以上に、母は、よく噛んでいる。上顎の左に1箇所と下顎の右に1箇所の部分入れ歯もあるが、噛む様子は以前と変わらなかった。そのことに安堵した。ご飯は2口ぐらい残したが、おかずとデザートは、すべて食べた。
食事がすみ、お茶を飲むと、母は自分で2箇所の入れ歯をはずし、ブラシ付きの器の中に入れた。洗面所でそれを洗おうとしたら、病院スタッフの人が洗ってくれて、トレイを片付け、母の口中清掃をした。
食後の母は、☆☆先生が来た時のように目もパッチリと開け、声も大きくなり、自分から話をしたりした。噛むという行為が脳の血流を良くしたのかもしれないと思った。疲れも眠気も去ってしまった感じの母と、しばらく話した後、まだ面会時間が終わりではなくて心残りだったが、帰ることにした。
「お母さん、また来るね。明日のリハビリ、頑張ってね」
そう言うと、「うん、うん」と、母は笑顔でうなずいた。
病院を出ると、私も姉も空腹を感じた。買って行ったお菓子とコーヒーを飲んで時間が経っているから無理もない。4時間半、母と一緒に過ごしたが、今度はもっと長くいようと思った。
「お母さんの笑顔って可愛いわね」
歩きながら、そう言うと、
「可愛い。笑顔を見ると、ホッとするわ」
姉も微笑んだ。
「今日、一番、笑顔になったのは、☆☆先生が来た時」
「そうそう、あの時は、うれしそうな笑顔だったわね」
「お母さん、疲れも眠気も飛んじゃって、本当にうれしくてたまらないみたいな顔で、先生の顔を見てたものね」
「看護師さん、理学療法士さん、病院のスタッフさん、私たち、みんな女性ばかりなのに、男性が来たからじゃない?」
クスクス笑いながら姉が言った。
「お母さん、あのイケメン先生を、きっと好きなのよ。胸がときめいたんじゃない?」と私。
「ま~た、そういうこと言う。そうかもね」
私と姉は噴き出し、クスクス笑い続けた。
「☆☆先生、私たちが来てること知って、説明に来てくれたのね」と私。
「この間、最初は、同じことを2度説明しないことになってるとか何とか横柄な感じだったけど、いい先生ね」と姉。
「リハビリで回復改善するといいわね。運動は身体だけじゃなく脳にもいいって、認知機能を回復できるって、ネット記事で読んだわ」と私。
当分、母は病院でリハビリをすることになったと、数日前、姉が実家に電話して聞いていた。その電話で義姉が、母のリハビリを私たちが主治医の先生に頼んだと誤解して激怒し、姉と激しい口論になってしまい、途中から兄が電話を代わり、取りなしてくれたらしい。リハビリして少しでも回復するほうが寿命が延びるという主治医の先生の提案に、兄が同意したということだった。
義姉の誤解と激怒の理由がわからず、その時のことを思い出した様子の姉は、憤慨した電話の内容のことを一しきり喋り続けた後、
「お兄さんもやっぱり、お母さんの実の子なのよね」
と、しみじみとした口調になった。
「それはそうよ、お母さんに長生きして欲しいのは同じだわ。お兄さんとお姉さんと私は、お母さんの実の子供だもの」
実の子供という言葉を強調するように私は言った。
病室へ行くと、母は車椅子の上で、看護師さんに談話室へ連れて行ってもらうところだった。
廊下の突き当たりの左手にある談話室で、買って行ったお菓子と飲み物を出して、看護師さんに確認したら、「大丈夫ですよ」と言われた。
先刻、主治医の先生の回診があったらしい。もう少し早く来たら主治医の先生の回診の様子が見られたのにと残念な気がした。看護師さんが母のために温かいお茶を運んで来てくれた。
テーブルの上にお菓子と飲み物を置き、母と一緒に食べたり飲んだりしながら、お喋りした。
母から話しかけてくる言葉が、いつもより少なかったので、私たちのほうから、いろいろなことを話した。
(あんなに、お喋りなお母さんだったのに)
少し寂しかったが、仕方ない。
窓の傍へ、車椅子を押して行き、外の風景を母に見せた。晴れていれば庭のほうへ連れ出せると思ったが、窓外は雨が止んだばかりの冷たい空気の曇り空。遠くに山並みや畑が広がっているが、曇りのせいで、やや寂しげな光景に感じられた。
「私の誕生日、覚えてるよね。言ってみて」
母に言った。
少し考えた母は、
「もう忘れちゃった」
と答える。覚悟はしていたが、やはりショックだった。
「思い出して。お母さん」
「もう忘れちゃったよ」
「この間まで覚えてたのに。じゃ、いいわ」
話題を変えた。忘れたことをいつまでも言ってると、母は自信をなくすし、不機嫌になる。他の話をしながら私は、
(7月に私の誕生日を聞いた時は、お母さん、即答したのに……)
そう思った。母に会うたび、自分の誕生日と子供たちの誕生日を覚えているか聞いてみた。すべて答えられると、安堵した。亡き父の誕生日は忘れていた。7月に会ったその時、私の誕生日を「○月○日」と即座に答えた。姉の誕生日は数秒間考えてから、○日と答え、数秒間考えてから、○月と答えた。兄の誕生日を聞こうとしたら、「もういいよ、忘れちゃったわよ」と語気を荒げて母は不機嫌になった。その次に会った時は聞かなかった。次に会った時は聞いたが、間違っていた。もう聞かないほうがいいのかもと思いながらも、その日、聞いたのだった。こうして母の記憶が少しずつ失われていくのだろうかと悲しかった。
やがて、談話室に、女性理学療法士さんが来て、
「リハビリの時間ですよー」
と、明るい声で、母に告げた。
テーブルの上を片付けて、私と姉も一緒にエレベーターに乗り、リハビリ・ルームへ行った。
車椅子の上で、理学療法士さんに言われるまま、母は短い棒を使って腕のエクササイズをした後、車椅子を移動してもらってフロアの中央近くへ行き、身体の両側にそれぞれ長い棒が伸びている所で止まった。
母が左右の手で、その棒につかまって、車椅子から立ち上がり、歩行練習を始める。
私と姉は、
「デイ・サービスの体操より、ずっといいわよね」
「それはそうよ。理学療法士さんのほうがいいに決まってるわ」
「あそこにいる患者さんぐらいになるといいわね」
そんなやり取りを交わしながら、母のリハビリの様子を見ていた。
リハビリがすんで、病室に戻る。母はベッドに横たわり、疲れたのか眠いのか目を閉じそうになってしまう。看護師さんが、今、眠ったら、ぐっすり寝込んでしまうかもしれないからと、熱いタオルを持って来て、母の顔を拭いた。
少しは目が覚めたようだが、時々、眠そうにする。夕食まで、あと1時間ぐらいだからと、私と姉は母に言ったりした。
そこへ、院長で主治医の☆☆先生が来た。この日は看護師さんに、主治医の先生の話を聞きたいと言っていないので、うれしかった。
主治医の☆☆先生は、私と姉に説明をしに来たという感じで話し始めた。
「この間、脳の検査したら、もう梗塞のほうは大丈夫です。麻痺も言語障害もないですしね。明日、リハビリ病棟に移ります」
「えっ、リハビリ病棟?」
何度も病院のHPを見ているので、聞き返した。病棟といっても別の建物ではなく、他の階の病室ということだった。
「リハビリする患者さんだけがいる階です。どの程度回復するかわかりませんけど、数か月間、リハビリして様子をみてみます」
主治医の☆☆先生が、そう言った。
他に少し質問して、答えて下さった後、主治医の☆☆先生が、
「○○さあん」
と、母に近づきながら、明るい声で名前を呼んだ。すると母は、
「はい」
まるで少女みたいに可愛らしい声で答え、パッチリと開けた目の笑顔で、ベッドから起き上がった。私と姉は驚いた。ベッドは自動式介護ベッドで、スイッチを操作して椅子の背もたれの形にできるが、その時は平らなままだった。
平らなままのベッドから、母は両手をベッドにつくこともなく、手すりにもつかまらず、上体を起こしたのだ。まるで腹筋のエクササイズみたいにである。姉が、「私、あんなこと、できない」と笑った声で言う。自宅では自動式ベッドではなかったからかもしれない。
しかも母は、リハビリ疲れも眠気も遠のいてしまったように、丸い目をクリンとさせて、うれしそうな笑顔で主治医の☆☆先生を見つめて返事している。
☆☆先生は微笑しながら、母の頬と首筋にやさしく手を当てて言葉をかけてから、私たちにも軽く会釈して病室を出て行った。
☆☆先生が病室を去ると、母はまたベッドに横になってしまった。
間もなくして、理学療法士さんが病室に入って来た。
「明日からはリハビリ病棟の理学療法士がリハビリの担当します。私はこの階の患者さん担当ですから、今日で終わります」
そう言った。私と姉は感謝の言葉を述べた。母にも声をかけて、理学療法士さんは病室を出て行った。
その後、食事の時間になり、病院のスタッフ女性がトレイに食事を乗せて運んで来た。
夜勤の看護師さんが来て、ベッド横のスイッチを操作して椅子のような形にすると、トレイを乗せたテーブルをベッドの上にセットした。ご飯、魚料理、煮物、和え物、吸い物、フルーツ・ゼリー。カロリー計算もしてあり、カルテのような紙に朝食・昼食・夕食ごとに、完食か食べ残したかが記入されている。
小さめのどんぶりに、ご飯が盛ってあり、その量の多さに少し驚く。平均的な大人のご飯茶碗の容量より多めである。おかずは刻んであったり柔らかく煮てあるが、ご飯は普通の炊き方だった。
看護師さんが、ベッドの両側に椅子を置いてくれた後、「お願いします」と言って病室を出て行った。私と姉はベッドの両側の椅子に座った。大きなトレイなので、ご飯のどんぶりや小鉢や皿を、母が欲しがる順番に、「美味しそうね」「美味しい?」などと言いながら母の手に渡した。お箸ではなく大きなスプーンで寄せて食べるが、食欲がある口への運び方だった。
食べる様子を見ていると、予想以上に、母は、よく噛んでいる。上顎の左に1箇所と下顎の右に1箇所の部分入れ歯もあるが、噛む様子は以前と変わらなかった。そのことに安堵した。ご飯は2口ぐらい残したが、おかずとデザートは、すべて食べた。
食事がすみ、お茶を飲むと、母は自分で2箇所の入れ歯をはずし、ブラシ付きの器の中に入れた。洗面所でそれを洗おうとしたら、病院スタッフの人が洗ってくれて、トレイを片付け、母の口中清掃をした。
食後の母は、☆☆先生が来た時のように目もパッチリと開け、声も大きくなり、自分から話をしたりした。噛むという行為が脳の血流を良くしたのかもしれないと思った。疲れも眠気も去ってしまった感じの母と、しばらく話した後、まだ面会時間が終わりではなくて心残りだったが、帰ることにした。
「お母さん、また来るね。明日のリハビリ、頑張ってね」
そう言うと、「うん、うん」と、母は笑顔でうなずいた。
病院を出ると、私も姉も空腹を感じた。買って行ったお菓子とコーヒーを飲んで時間が経っているから無理もない。4時間半、母と一緒に過ごしたが、今度はもっと長くいようと思った。
「お母さんの笑顔って可愛いわね」
歩きながら、そう言うと、
「可愛い。笑顔を見ると、ホッとするわ」
姉も微笑んだ。
「今日、一番、笑顔になったのは、☆☆先生が来た時」
「そうそう、あの時は、うれしそうな笑顔だったわね」
「お母さん、疲れも眠気も飛んじゃって、本当にうれしくてたまらないみたいな顔で、先生の顔を見てたものね」
「看護師さん、理学療法士さん、病院のスタッフさん、私たち、みんな女性ばかりなのに、男性が来たからじゃない?」
クスクス笑いながら姉が言った。
「お母さん、あのイケメン先生を、きっと好きなのよ。胸がときめいたんじゃない?」と私。
「ま~た、そういうこと言う。そうかもね」
私と姉は噴き出し、クスクス笑い続けた。
「☆☆先生、私たちが来てること知って、説明に来てくれたのね」と私。
「この間、最初は、同じことを2度説明しないことになってるとか何とか横柄な感じだったけど、いい先生ね」と姉。
「リハビリで回復改善するといいわね。運動は身体だけじゃなく脳にもいいって、認知機能を回復できるって、ネット記事で読んだわ」と私。
当分、母は病院でリハビリをすることになったと、数日前、姉が実家に電話して聞いていた。その電話で義姉が、母のリハビリを私たちが主治医の先生に頼んだと誤解して激怒し、姉と激しい口論になってしまい、途中から兄が電話を代わり、取りなしてくれたらしい。リハビリして少しでも回復するほうが寿命が延びるという主治医の先生の提案に、兄が同意したということだった。
義姉の誤解と激怒の理由がわからず、その時のことを思い出した様子の姉は、憤慨した電話の内容のことを一しきり喋り続けた後、
「お兄さんもやっぱり、お母さんの実の子なのよね」
と、しみじみとした口調になった。
「それはそうよ、お母さんに長生きして欲しいのは同じだわ。お兄さんとお姉さんと私は、お母さんの実の子供だもの」
実の子供という言葉を強調するように私は言った。