一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

母の入院

2012年10月27日 | 最近のできごと
 母が入院した。
 その半月前──。義姉からの連絡で、母が食欲がなく、眠ってばかりで意識がないとか、夜は明かりをつけて起きているということを聞かされた。「お医者さんは?」と聞くと、明日、在宅診療所が来る日だと言う。夜、そのことを姉と電話で話した。
「私、お義姉さんに言ったのよ。在宅診療所の人たちは看護師さんで、お医者さんじゃないでしょうって。病院に連れて行くほうがいいと思ったから」
 姉が言った。
「私もそう思うわ。お義姉さんは、何て言ったの?」
「いつも来る2人のうちの若いほうの人は、何とかいう講習受けて、医師と同じ資格持ってる人だからって」
「医師と同じ資格持ってる看護師さん?!」
「そうなんだって。だから、医師の診察を受けるのと同じって、お義姉さんは言うの。それでね……」
 姉の話を聞きながら、
 ──医師と同じ資格持ってる看護師さん──
 という言葉が、不思議で、意味不明で、理解できなかった。講習を受けて医師と同じ資格を持っている看護師なんて聞いたことはないし、そんな看護師がいるのだろうか。医師免許は、学生が取得するのに何年もかかるが、看護師の資格を持っていると、短期間の講習で取得できるものなのだろうか。
(まさか……)
 そんなことは、あり得ない。確かに、看護師の資格を取得するのにも医療に関する膨大な知識を学ぶに違いない。だから短期間の講習で医師の資格が取得できるということなのだろうか。
(それなら看護師さんたちが講習受けて医師の資格取れば医師不足なんて解消するじゃない。でも看護師不足はどうなるのかしら)
 笑っている場合ではないのに、姉と電話で話しながら、自分の考えに噴き出したくなった。義姉の勘違いと、わかっている。在宅診療所の看護師は、一般の病医院の看護師とは違って、講習を受けて、在宅患者を診察し、薬を処方できると聞いている。
 翌朝、義姉に電話した。昨夜の母の様子を聞いた後、義姉から、在宅診療所の診察の結果を電話すると言われたので、午後はずっと落ち着かなかった。
 夕方、義姉から電話がかかってきた。その日の母は1日中動き回り、来客の部屋へまで来て、義姉はてんてこ舞いだったと、たて続けに昂奮したように喋る。私は、早く聞きたかったので、途中で遮るようにして言った。
「在宅診療所、来たんでしょう?」
「来たわよ。ハイになる日と眠ってばかりいる日と、交互に来るんですって」
「それで、薬は?」
 薬嫌いの母という想いがかすめたり、〈医師と同じ資格を持っているという看護師〉から薬を処方されたかどうかの興味も湧く。
「出してもらったわ。精神安定剤」
 義姉が答えた。
「精神安定剤?!」
 驚愕し、思わず、声を高くした。
「その薬の副作用、聞いた? 最近は薬出すと副作用の説明があるんでしょう?」
「副作用はね、寝てばかりいるようになるんだって」
「寝てばかりいたら、食欲、ますますなくなっちゃうでしょう。運動能力も落ちちゃうし」
「でもね、もう高齢だから、いつ、どうなってもおかしくないって、先生が言ってたわ」
「……!」
 私は、言葉が出なかった。〈講習を受けて医師と同じ資格を持っているという看護師〉のことを、義姉が先生と呼んだからではない。
 ──もう高齢だから、いつ、どうなってもおかしくない──
 その言葉に、愕然となり、怒り心頭に達するほど憤慨したのである。何て無神経で冷酷で無慈悲で、人間の言葉と思えず悪魔か魔女の言葉! と言いたくなる。医療者の言葉とは、とても思えない! 人の生命、人の人生を、どう思っているのか。医師と同じ資格を持っている看護師というのが存在するのかどうか知らないが、私はそんな医療者には絶対出会いたくないと思った。
 その翌日、実家へ行った。母は、眠っていて、声をかけても両肩をつかんで小さく揺さぶっても起きなかった。ただ、息づかいで返事をしたり、買って行ったお菓子を食べるかと聞くと、首を横に振った。義姉は、
「昨日はハイで一日中、動き回ってて、今日はこんな感じなの。朝も果物しか食べてないし」
 もう私はショックでショックで泣き出しそうだった。「お母さん起きてよ、○子が来たんだから起きてよ」と繰り返しながら涙がこみあげた。母が、実家に来た私を迎えてくれなかった、喜んでくれなかったことは、ただの一度もなかった。こんな日が来るなんて信じられなかったし、現実とは思えず、悪夢を見ているような気持ちだった。
「精神安定剤、飲ませた?」
 思わず、きつい口調になってしまったことを、内心、悔やんだ。義姉がビクッとしたような表情になり、
「飲ませてない!」
 と、答えたからである。その言葉を信じる気持ちと疑う気持ちと半々だったが、信じようと思った。義姉も持病があり、多剤服用中の身体で母の面倒を見ているのだ。そのことについての感謝の言葉を口にし、お兄さんはあまり協力してくれないんでしょうと言うと、
「お父さん(私の兄のこと)は仕事で忙しい人だから。私はお父さんの代わりにしてあげてるんだから」
 義姉は、そう言った。兄は定年後に、県のある協同組合の副組合長に迎えられ、昨年から組合長になったため仕事が多忙ということは理解していたが、私と姉は小さな不満を持っていた。
 しばらく話し続けると、義姉が母のことを、
「頭のいい人だからね。私のことをバカにしてるから。ずっとそうだったから。認知症になったって口喧嘩したら、かなわないもの」
 そんな愚痴も聞かされた。母の部屋で、義姉と2時間近く話した。
 その日、以前から義姉が望んでいると知っていたことだが、母を施設に入れるのを承知しておいて欲しいと言われた。はいと言うしかなかった。姉がやって来て、その話を続けた。医療設備の整った有料老人ホームのことを姉が口にした。私と姉は、週に4日デイ・サービスへ母が行っている間に、専業主婦だが地域の婦人会の役員をしている義姉にさまざまな用事をすませて欲しかったが、それも不可能らしい。
 義姉が他の部屋へ行き、私と姉がお喋りしていると、急に母が話に加わって喋り出した。私と姉はベッドに駆け寄り、母の手を取って、ようやく、いつものように言葉を交わせた。この日、私と姉が帰る時、母が玄関か門の前で見送ってくれなかったのは、初めてのことだった。
 翌週、義姉から電話で、兄の知人の紹介で○○病院に○日○曜日午前10時、母が入院することが決まり、検査と様子見の後、その系列の○○療養病院に移るという連絡が来た。電話を終えて、パソコンに向かい、○○病院のHPをじっくりと読んだ。医療法人で、いくつか建物があって、昨年、新病院オープンと知って安堵した。新築同様なら、きれいな病室だと思ったからである。実家から車で20分と知ったのは、従兄とのメールのやり取りでだった。最寄り駅から徒歩圏内。私が実家へ行く所要時間と、ほぼ同じ。HPを読んでいるうち、希望が湧いてきた。いきなり老人保健施設ではなく、外来もある病院に入院するのだ。母の体調は良くなるかもしれない。○日○曜日の朝から夜まで1日中、入院した母のことばかり想って過ごした。
 数日後、義姉は電話で昂奮したような口調で話し始めた。
「入院したとたん、自分で起きて食事して、毎食、完食ですって! 食欲すごくあって、きれいに食べちゃうって。家では全然、食べなかったのに。だから、話が違うって、こんなに元気ならって帰されそうになったの。でも、お父さん(私の兄)の知り合いの紹介だから、帰されなかったけど」
「食欲出るのが一番だわ! 良かった! それで検査って言ってたけど?」
「脳のMRI検査したの」
「その検査、お母さん、初めてね」
「そう。レントゲンや血液検査はしたことあるけど」
「結果は?」
「脳梗塞起こしてたって」
「脳梗塞……」
 ショックを受けた。
「昼夜逆転は? 夜、起きてるのは同じだって?」
「それはないみたい。看護師さんが交替で見てるから」
 あとは、母の病室は○階何号室で、エレベーター降りて右手にナースステーションがあってと、義姉が教えてくれた。
 数日後、姉と一緒に○○病院へ行った。外観を見て、「きれいな病院」、中へ入って、「きれい」「広い」「大学病院みたい」などと口々に。エレベーターで○階に上がり、病室へ行く前にナースステーションで、担当の看護師さんに母の様子を聞く。食欲もあって、夜もちゃんと眠るし、昼間はリハビリをしたりして、心配ないような口ぶりだった。まるで大学病院の看護師さんみたいに、やさしそうで、知的で、落ち着いていて、優秀な看護師さんだった。
 その看護師さんと一緒に、母の病室へ行く。またしても私と姉は、
「きれい。広いわ。清潔」
 きれい好きな母のために、良かったアと喜んだ。母が69歳の時に入院した病院より、80歳の時に入院した病院より、ずっとずっと広いスペースがあって清潔できれいな病室だったのだ。私と姉は母のベッドに近づき、話しかけると、先日の実家での様子が嘘のように、ちゃんと答えたり、話したり、何より、その眼が以前のようにいきいきしていた。頬も血色が良かった。腕の点滴を、眠りながら自分ではずしてしまうらしく、足に点滴されているということだった。
 看護師さんの話を一通り聞いた後、主治医の先生にお話を聞きたいと言うと、看護師さんが病室を出て行った。
 間もなく、主治医の先生が現れた。30代後半に見える勤務医師という印象だった。
 最初、主治医の先生は、すでに義姉に説明してあるため、同じ説明を見舞客にまたすることが煩わしそうと感じられる言葉を一言二言口にした。
「入院した日から、元気だし、よく食べるし、話が違うという感じでした。脳梗塞は、ごく小さな梗塞です。1年も半年も前ではなく、最近、起きたものです。梗塞が起きた場所も、心配ないです。点滴に、脳梗塞の薬が入れてあります。脳梗塞の治療は2週間で終了します」
 というようなことを、主治医の先生が、わかりやすい言葉で説明してくれた。話が違う、という表現は、義姉から聞いていたのと同じだった。また、母が脳梗塞を起こしたのが、あの意識障害のころだということも、主治医の先生の説明でわかった。
 母が在宅診療所から処方されていたのは、この数年、降圧剤とカルシウム剤だけだったことを義姉から聞いていた私は、認知症の薬について質問した。母は認知症の薬を処方されたことは一度もない。その薬についての説明と、その薬は処方していなくて、今までどおりの降圧剤と、脳梗塞の薬ということだった。話が一区切りついた時、私と姉に、
「○○さん(母の姓)と、どんなご関係ですか?」
 と、主治医の先生が私を見て質問したので、
「実の娘です。姉は、次女、私は三女です」
 何となくだが、戸籍どおりの答え方をした。母が生んだ1人目の子が長男、2人目の長女は4歳で病死、3人目の子は流産、4人目が次女の姉、5人目が3女の私である。
 主治医の先生が、
「いつも来られる方は?」
 と、聞いた。
「兄嫁です」
 そう答えると、
「あ……兄嫁さんか……」
 虚空の一点を見つめるまなざしで呟いた。その時、私は、この先生は数多くの患者と家族を見て来たのだと感じられた。
 そのやり取りの後、主治医の先生の口調が、やさしく親切気に感じられ、先刻の私の質問に対する追加説明のような話になった。すると私は次々、質問したくなり、姉が傍で、お忙しいのにお時間取らせてとか遠慮がちな言葉を口にした。私は最後にという感じで、母が先刻、「○子、パン、買って来てくれる?」と言った時のことを話し、義姉からは菌の感染予防のため、衣類も食品も病室に持ち込んではいけないのが病院の決まり、と言われたので、母の好物の菓子を買って来なかったと言うと、主治医の先生は、そんな決まりはないと答えたので、義姉の勘違いとわかった。
「ただし、看護師に一言、断ってからにして下さい。その時の体調もあるかもしれないし、食べさせる物を看護師に見せてからのほうがいいです」
 主治医の先生が言った。
「飲み込みにくい物は駄目ということでしょうか?」
「まあ、そういうこともあるけど、○○さん(母のこと)は嚥下能力は、かなりあります。驚くほど嚥下能力は、しっかりしてますね」
 主治医の先生がそう言った時、母が、
「私は、身体は丈夫だから」
 と、自慢気な口調で言った。主治医の先生がやさしく笑い、私たちもクスッと笑った。母に言われた時にパンを買いに行こうとしたら、夕食をあまり食べられなくなるからと姉と看護師さんに止められ、母にそう話すと、「うん、うん」とうなずいたことも話した。
 その後、義姉が姿を現した。母が入院してから義姉は連日、病院に来ている。
 義姉も加わって話すようになり、私は母のベッドの横にしゃがみ込んで、ずっと母の手を、両手で包み込んでいた。
 やがて母が、主治医の先生を中心に義姉と姉と私がペチャクチャ喋り続けて、うるさいと言わんばかりに、
「もういいよ、もういいから、もう帰る」
 と、我がままそうな口調で言った。主治医の先生が、また、やさしく笑って、母に話しかけてから、病室を出た。
 入れ替わるように、若い女性理学療法士さんが来て、母を車椅子に乗せ、リハビリ室へ連れて行った。私と姉も一緒に行った。広くて清潔なリハビリ室で、若い男性女性の理学療法士さんが、それぞれ患者のリハビリをしている。義姉は帰宅し、私と姉は母のリハビリの様子を見ながら、お喋りした。
「良かったわね、お母さん、この間と全然違って、ちゃんと言葉も交わせるし、食欲もあって、リハビリもしてくれるし」
「何より、病室はきれいだし、主治医の先生の説明もていねいだし、最初は同じことを説明するなんてって感じだったけど」
「でも、ずいぶん、いろいろ話せたわよね。私たちが実の娘ってわかったら、何だか、やさしくなったし」
「高齢のお母さんにしては、私たちって若く見えるからね」
「そうそう。ふふふ」
「看護師さんも理学療法士さんもやさしいし、梗塞が起きた所も大事なところじゃなくて良かったわね」
「MRI検査で小さな梗塞ってわかって良かったじゃない。あの意識障害の時、在宅診療所は……」
 やがて、母のリハビリが終わって、病室に戻る。理学療法士さんと看護師さんと話をした後、私と姉は帰ることにした。母の手を、両手で包み込んで、
「お母さん、また来るね、もう帰るけど、また来るね」
 そう言うと、
「○子、泊まってかない? 泊まって行きなさいよ」
 期待をこめた口調で私を見て言う傍らで、姉が、病室じゃなく、自分の家と勘違いしてるのかしらと呟いた。 
 理学療法士さんと看護師さんと一緒に病室を出て歩きながら、主治医の先生のネームプレートを見てなかったことに気づいた。理学療法士さんと看護師さんのネームプレートは見て、挨拶やお喋りの時は名前を口にしていたのに、白衣姿の医師には緊張するし、質問や説明の理解に夢中だったから、無理もないということかもしれない。
「主治医の先生の名前は知っておかなくちゃ。お姉さん、聞いて来て」
 姉が廊下を戻って、看護師さんを呼び止めた。
 戻って来た姉が、驚きと微笑を浮かべて言った。
「☆☆先生。院長先生ですって」
「ええっ、院長先生?! あんな若くて?!」
 エレベーターで一階に降りると、事務室のような部屋から出て来た☆☆先生と出会って、私と姉は、ていねいな挨拶をした。やさしい笑顔で☆☆先生も会釈を返して下さった。病院の院長を、映画やテレビ・ドラマで見ているだけで、現実に会ったのは初めて、言葉を交わしたのも初めての経験である。何て貴重な経験と、感激してしまった。
 実家の最寄り駅構内の駅ビルのレストランで食事しながら、私と姉は母のことばかり話し続けた。
「お母さんは生命力の強い人、運の強い人、幸運な人。日記を読むと、幸せな人」
 そう言うと、
「本当ねえ」
 姉も、母の顔を思い浮かべるような表情で呟いた。
 翌日から、パソコンに向かうと真っ先に○○病院のHPを見て、今日も母が元気で過ごしますようにと祈る習慣がついた。






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