2011年11月、熊本県山鹿市の国指定重要文化財の芝居小屋『八千代座』の舞踊公演
出演=坂東玉三郎、花柳寿太一郎、花柳昌克、他
構成・振付=花柳壽輔
演目=『春夏秋冬』「梅林」「花見のそぞろ歩き」「春の川面」「蛍」「蝉時雨」「夏の境内・縁日」「耳無し芳一」「鎮魂」「よへほ節」「雪姿」「フィナーレ」
坂東玉三郎の舞踊を、テレビで初めて観た。セリフのない舞踊は、すぐ飽きるかもと予想したが、最初から舞台の美しさに眼を奪われ、深く引き込まれてしまった。春夏秋冬の季節ごと、光り輝くような美しさや、はかなげな美しさが表現された踊りに魅了された。坂東玉三郎のこの上なく美しい姿と舞、素晴らしくよく似合う華麗な彩りの衣装、繊細で情感のこもる踊りを観ながら陶酔させられるような心地だった。他の舞踊家との共演では、男女の熱い想いが濃密に伝わってきた。舞踊という芸術に、これほど感動したのは初めてで、坂東玉三郎の天賦の才能をつくづく感じ、生の公演をいつか観たいと思った。
ところで、数年前から舞台芸術に興味を持つようになった私と違って、子供のころに映画や舞台の公演を観ていた友人がいる。映画の他に、歌舞伎、宝塚、N響コンサート、新国劇やその他の芝居など、小学1年生の時から両親や親戚に連れられて行ったという○○さんに、
「子供の時から映画や舞台芸術を観ていたなんて、うらやましい」
そう言うと、
「娯楽だ。あのころは、それくらいしか楽しみがなかったんだ」
と、○○さんは答えたのである。
「それくらいしかって、それだけ楽しみがあったら恵まれてるわ。でも、歌舞伎や宝塚って、子供が入場できるの?」
「昔は入(はい)れたんだ。子供はすぐ飽きて騒ぐけど、最後までおとなしく観てるから、よく連れてってくれたんだ」
おとなしい子供時代の○○さんを見てみたかったと思ったが、映画や歌舞伎や芝居は両親が好きだったこと、宝塚は親戚に宝塚女優がいたこと、N響コンサートは習っていたヴァイオリンの教師がN響の団員でチケットをもらうことなど、ずいぶん幸運な家庭環境である。
以前、遊びに来た○○さんに、歌舞伎や能や狂言の舞台のテレビ録画を見せた時、古典芸能の精通ぶりに感心したことがあった。
そんな○○さんが興味を持たないのが、オペラである。
「西洋のオペラは、日本の歌舞伎」
と、○○さんは言うが、歌舞伎は音楽がないと思えば、笛や太鼓の囃子や長唄や三味線がある。けれど歌はない。
「日本人は、オペラはまだ未熟。西洋人と同じような鑑賞は無理。アリアの原語を正確に理解して聴けない。字幕はあっても。海外のオペラ歌手は、日本人に対して偏見があるんじゃないかな。オペラはまだ未熟な国という認識だと思う」
というような見解らしい。確かに、イタリアのソプラノ歌手のDVDの特典映像で、日本の音楽評論家のインタビューに答えて、「日本人の皆さんも、もっと、こういう音楽を聴くようになれば」というようなコメントがある。そのインタビューは素晴らしくて、私はそのソプラノ歌手をいっそう好きになったのだが、海外のオペラ歌手がイタリアやオーストリアやアメリカで公演するのと、日本公演では、意識の違いがあるのは無理もないことかもしれない。
ともあれ、感動できて、楽しめれば、何だっていい。私にとっての、映画や舞台芸術の魅力は、胸を熱く揺さぶられたり、陶酔させられたり、現実離れした夢の世界に酔わされることだから──。
出演=坂東玉三郎、花柳寿太一郎、花柳昌克、他
構成・振付=花柳壽輔
演目=『春夏秋冬』「梅林」「花見のそぞろ歩き」「春の川面」「蛍」「蝉時雨」「夏の境内・縁日」「耳無し芳一」「鎮魂」「よへほ節」「雪姿」「フィナーレ」
坂東玉三郎の舞踊を、テレビで初めて観た。セリフのない舞踊は、すぐ飽きるかもと予想したが、最初から舞台の美しさに眼を奪われ、深く引き込まれてしまった。春夏秋冬の季節ごと、光り輝くような美しさや、はかなげな美しさが表現された踊りに魅了された。坂東玉三郎のこの上なく美しい姿と舞、素晴らしくよく似合う華麗な彩りの衣装、繊細で情感のこもる踊りを観ながら陶酔させられるような心地だった。他の舞踊家との共演では、男女の熱い想いが濃密に伝わってきた。舞踊という芸術に、これほど感動したのは初めてで、坂東玉三郎の天賦の才能をつくづく感じ、生の公演をいつか観たいと思った。
ところで、数年前から舞台芸術に興味を持つようになった私と違って、子供のころに映画や舞台の公演を観ていた友人がいる。映画の他に、歌舞伎、宝塚、N響コンサート、新国劇やその他の芝居など、小学1年生の時から両親や親戚に連れられて行ったという○○さんに、
「子供の時から映画や舞台芸術を観ていたなんて、うらやましい」
そう言うと、
「娯楽だ。あのころは、それくらいしか楽しみがなかったんだ」
と、○○さんは答えたのである。
「それくらいしかって、それだけ楽しみがあったら恵まれてるわ。でも、歌舞伎や宝塚って、子供が入場できるの?」
「昔は入(はい)れたんだ。子供はすぐ飽きて騒ぐけど、最後までおとなしく観てるから、よく連れてってくれたんだ」
おとなしい子供時代の○○さんを見てみたかったと思ったが、映画や歌舞伎や芝居は両親が好きだったこと、宝塚は親戚に宝塚女優がいたこと、N響コンサートは習っていたヴァイオリンの教師がN響の団員でチケットをもらうことなど、ずいぶん幸運な家庭環境である。
以前、遊びに来た○○さんに、歌舞伎や能や狂言の舞台のテレビ録画を見せた時、古典芸能の精通ぶりに感心したことがあった。
そんな○○さんが興味を持たないのが、オペラである。
「西洋のオペラは、日本の歌舞伎」
と、○○さんは言うが、歌舞伎は音楽がないと思えば、笛や太鼓の囃子や長唄や三味線がある。けれど歌はない。
「日本人は、オペラはまだ未熟。西洋人と同じような鑑賞は無理。アリアの原語を正確に理解して聴けない。字幕はあっても。海外のオペラ歌手は、日本人に対して偏見があるんじゃないかな。オペラはまだ未熟な国という認識だと思う」
というような見解らしい。確かに、イタリアのソプラノ歌手のDVDの特典映像で、日本の音楽評論家のインタビューに答えて、「日本人の皆さんも、もっと、こういう音楽を聴くようになれば」というようなコメントがある。そのインタビューは素晴らしくて、私はそのソプラノ歌手をいっそう好きになったのだが、海外のオペラ歌手がイタリアやオーストリアやアメリカで公演するのと、日本公演では、意識の違いがあるのは無理もないことかもしれない。
ともあれ、感動できて、楽しめれば、何だっていい。私にとっての、映画や舞台芸術の魅力は、胸を熱く揺さぶられたり、陶酔させられたり、現実離れした夢の世界に酔わされることだから──。