18世紀に入ると、アメリカへ敷物が大量に輸入されはじめます。
イギリス経由でインド産、中国産のストローマットが輸入された記録が残っている1720年からです。
1760年代、日本製の敷物がアメリカに渡ります。もっとも古い記録がジョージ ワシントン(アメリカ合衆国・初代大統領)が来客用のバンケットルームに使用したというものです。
ヤード幅の物を縫い合わせて使用したとされています。畳表、ゴザであったと思われます。
これが、アメリカの歴史にあらわれる日本製敷物の最初です。
1780年代、敷物の輸入はイギリス商船経由からアメリカ商船での直接輸入へと変わります。中国からイ草マットやストローマットが安く入ってくるようになります。18世紀終盤から19世紀初頭にかけ、これらのマットが庶民の間で多くつかわれ、台所のマットやリビングなどに使用されていきます。
日本製の敷物が本格的にアメリカ市場へ参加するのは、ジョージ ワシントンが日本製の敷物を使用してから100年以上後のことで、イ草マットがその対象でした。
大量に安価なマットが輸入されていく中、Hooked Rugはアメリカ全土で、作る人の夢とイメージを自由に表現できる織り方として広まっていきました。
1840年代、これまで主婦たちが自分で下絵を描いて、配色し織りあげていたHooked Rugの製法にかすかな変化が生じてきます。
それは、各家庭を回って下絵を何枚か布に直接画き、配色や織り方を指導するプロのデザイナーが現われてきたことです。
この続きは次回。
Hooked Rugにとてもよく似た敷物に Shirred Rug(シャーリングラグ)というのがあります。これは、目の粗い刺繍式の敷物で、パイルはループパイルの場合が多く、プリーツ状になったものやキャタピラ状になっているもの、バイアスになっているものなどがあります。
柄は花柄や木の葉柄がよく作られていました。花には赤やピンク、ブルーを木の葉にはグリーンを使ったものが多く作られていました。
イギリス経由でインド産、中国産のストローマットが輸入された記録が残っている1720年からです。
1760年代、日本製の敷物がアメリカに渡ります。もっとも古い記録がジョージ ワシントン(アメリカ合衆国・初代大統領)が来客用のバンケットルームに使用したというものです。
ヤード幅の物を縫い合わせて使用したとされています。畳表、ゴザであったと思われます。
これが、アメリカの歴史にあらわれる日本製敷物の最初です。
1780年代、敷物の輸入はイギリス商船経由からアメリカ商船での直接輸入へと変わります。中国からイ草マットやストローマットが安く入ってくるようになります。18世紀終盤から19世紀初頭にかけ、これらのマットが庶民の間で多くつかわれ、台所のマットやリビングなどに使用されていきます。
日本製の敷物が本格的にアメリカ市場へ参加するのは、ジョージ ワシントンが日本製の敷物を使用してから100年以上後のことで、イ草マットがその対象でした。
大量に安価なマットが輸入されていく中、Hooked Rugはアメリカ全土で、作る人の夢とイメージを自由に表現できる織り方として広まっていきました。
1840年代、これまで主婦たちが自分で下絵を描いて、配色し織りあげていたHooked Rugの製法にかすかな変化が生じてきます。
それは、各家庭を回って下絵を何枚か布に直接画き、配色や織り方を指導するプロのデザイナーが現われてきたことです。
この続きは次回。
Hooked Rugにとてもよく似た敷物に Shirred Rug(シャーリングラグ)というのがあります。これは、目の粗い刺繍式の敷物で、パイルはループパイルの場合が多く、プリーツ状になったものやキャタピラ状になっているもの、バイアスになっているものなどがあります。
柄は花柄や木の葉柄がよく作られていました。花には赤やピンク、ブルーを木の葉にはグリーンを使ったものが多く作られていました。