存在すると思うものは、何でも存在するのである。意識が存在を決定するからである。
無や空という概念は、カクレの存在であり、無として空として存在する。
真空は、何も存在しないと言うが、それは条件つきの状態である。
何故なら、真空が存在するではないか。錯覚・妄想・幻想が存在するから魔王が存在することになる。
つまり、意識は想像し創造するエネルギーである。
そのエネルギーは神の領域のものであるが、そう人間が思えないから、神が存在しないと、
錯覚・妄想・幻想し持てるチカラを遊ぶ事になる。
死とは、魂体エネルギーが肉体から離脱し、霊体エネルギーと一体化する瞬間の状態をいう。
自分の意識エネルギー体の三次元から四次元の移行の通過点を死という。
顕在意識が無意識と一体化することである。無意識といっても意識が無いという事ではない。
氷山の僅かな一角が顕在意識なのである。
釈尊は、その意識をハリタカシュニアターと言われ、聖人がそれを僅かなる真空妙有と訳されたのである。
あなたの顕在意識の事である。
大事な事は、その意識が法図の真解の為に、神が創造されたものなのに、それを忘れてしまった事である。
自分が被創造物であり、神の所有物であるとの自覚の欠如である。
【神の御意図】に従わず、オノレの意識に従うものは、神拝が無いから、心配でおおわれて、
人生が尽生になっていることに気付かないのである。
永遠に存在したいなら、神縁し、法図を学び、永遠の存在になれば良い。
大神により【最終章】がめくられた今、人類が、自分で魂の救済が出来ると思うなら、やってみれば良い事である。
人類は自分の霊魂が、停止条件付き存在である事を忘れている。
この世の結果の世界があの世である。
この世もあの世もヒトツであり、同時に存在する。
【全ての存在】そのものが【神】である。
神の掟に従えとの警告期間は過ぎた様である。
無や空という概念は、カクレの存在であり、無として空として存在する。
真空は、何も存在しないと言うが、それは条件つきの状態である。
何故なら、真空が存在するではないか。錯覚・妄想・幻想が存在するから魔王が存在することになる。
つまり、意識は想像し創造するエネルギーである。
そのエネルギーは神の領域のものであるが、そう人間が思えないから、神が存在しないと、
錯覚・妄想・幻想し持てるチカラを遊ぶ事になる。
死とは、魂体エネルギーが肉体から離脱し、霊体エネルギーと一体化する瞬間の状態をいう。
自分の意識エネルギー体の三次元から四次元の移行の通過点を死という。
顕在意識が無意識と一体化することである。無意識といっても意識が無いという事ではない。
氷山の僅かな一角が顕在意識なのである。
釈尊は、その意識をハリタカシュニアターと言われ、聖人がそれを僅かなる真空妙有と訳されたのである。
あなたの顕在意識の事である。
大事な事は、その意識が法図の真解の為に、神が創造されたものなのに、それを忘れてしまった事である。
自分が被創造物であり、神の所有物であるとの自覚の欠如である。
【神の御意図】に従わず、オノレの意識に従うものは、神拝が無いから、心配でおおわれて、
人生が尽生になっていることに気付かないのである。
永遠に存在したいなら、神縁し、法図を学び、永遠の存在になれば良い。
大神により【最終章】がめくられた今、人類が、自分で魂の救済が出来ると思うなら、やってみれば良い事である。
人類は自分の霊魂が、停止条件付き存在である事を忘れている。
この世の結果の世界があの世である。
この世もあの世もヒトツであり、同時に存在する。
【全ての存在】そのものが【神】である。
神の掟に従えとの警告期間は過ぎた様である。