「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず…」
800年前、鎌倉時代の鴨長明の随筆「方丈記」の一文。
水の流れのように世の無常を説く言葉が改めて今、見直されて関連書籍の刊行が相次いでいるらしい。
しかし、もとの水にあらずとはナニか?
雨が降り、それが山の氷や山水になり、川水になり、河水になり、海水になり、北極南極の氷や蒸気水になり、雲になり、雨になる。
水は水ですから、もとの水にあらずとは、水の状態の変化や場所の移動を言っているのかな?
水の状態は変化し移動するが、水の物質は変わらない。変わらないから質量は一定している。
ということは、変化する状態を、人間は世の無常と理解しているのか。
カタチ在るものは壊れる、でもカタチを構成していた元素は無くらない。
風化する事を無常といいアワレというらしい。
万物は流転するからアワレという、流転するとは、流転しないモノが在る。
変化する一定が宇宙の法則である。有限から無限へ、無限から有限に輪廻する一定がある。
一定を万物の本質といい真理という。真理知らずは、アワレなる無常世界しか認識できない。
側面や片面しか見ない、アワレと言う人間のアタマが、アワレといわざるを得ない。
世の無常、支持されて800年
仏教の「サラウ゛ァ.サンスカラー.アニチャヤ」の誤訳の「諸行無常」が支持されて千数百年、
真の仏教を知らない者が、仏教の根本思想が「無常」だと祭り上げた、笑えるではないか。
祭り上げた「ア・ニチャヤ」の「無・常」の正しい訳を、いい加減、しっかり学んだらどうだろ。
ブッダ釈尊のお仕置きは、「かなりキツイ」事だけ伝えておきましょう!
"The flow of the river that passes through it constantly, and moreover, there is no source of water ..."
800 years ago, a passage of "An Account of My Hut" essay Kamonochomei of the Kamakura period.
Now, the words to preach the impermanence of the world, as the flow of water is the publication of a series of books seems to have been revised again.
However, what is not original in the water?
It rains, it becomes ice and mountain landscape, river water will be in river water, sea water will be in the water vapor in the Antarctic and Arctic ice, become cloud, it will rain.
The water from the water, in the water and not the original, how are you talking about the movement of change in the state and location of water?
Although the move to change the state of the water, the water does not change the substance. Mass is constant do not change.
大宇宙を癒す秘密の言霊
アヤナワン・アリンガトワ!
A YA NA WA-n ・ A Linga TA-o WA
あやなわん・ありんがとわ