死にかける体験はしたくないですが、
一度あればいいですね。
一部の愚か方を除けば、必ず目が覚めます。
死ぬ瞬間、「これが最後か?このまま死ぬのか!」「あっけないもんなんだなぁ」と、
うら悲しくなり、意識と肉体が別物だとハッキリ認識します。
目の前が真っ暗闇になり…。
何気なく目を開けると、「アッ!この世いるではないか!」
たった一つのかけがえのない命と、
たった壱ページの人生を大事に生きねばならない!
死んだつもりで、今この瞬間から一日一日一瞬一瞬の与えられた貴重な時間を、
真剣に新しく生きよう!と決意します。
「人の死」を他人事ではなく、「人の師」にしないと意味がない!
そうだね。上を仰いで見る青々とした大空と悠々と流れる雲たち、
素肌に通り抜ける、爽やかな一瞬の風、
「これがこの世の最後のシーンかもしれない…。
今までの慌ただしい出来事は、本当に一体何だったろう?
自分にとって、この世に残す物は何一つ無いし何を土産に帰ろうか?
やはり、あの方が言われていたように
〈あの世の備え〉が必要だったんだね…」。
みじかな人の死は、私の近未来の姿なんだからね…。
人の「命は砂時計」のようなものです。
私達は、宇宙で一番美しく光り輝く愛に満ちた、
たった一つのかけがえのない命の
素敵なあなたを、いつも愛しています!
愛する人達の為に、もう少しもう少しだけ、
頑張りましょう!
「原点」とは、物事の根拠・根源になる出発点です。
「私は過去世は~だった」と言う方がいますが、
その誰がしの肉体を構成した元素だったに過ぎない場合があります。
「全ては一つです」から、元素がその御霊だったと勘違いする。
つまり、勘違いするのは霊格が、まだ到らないからです。
そんな方をリーダーにしている群れがあります。教材ですね。
ナンモノヒカリは、過去世の元の「御霊の原点」を教えています。
それが「宇宙創造と同じ原点」の意識だと、何人かはハッキリと思い出す事でしょう。
その意識次元になれば、宇宙意識・宇宙即我・永遠の生命になっていますから、
その説明がいらない状態です。
日常のくだらない悪口や愚痴るよりも、「偉大なる自覚」を目指して、果敢に挑戦した方がいいのです。
何でも自分の意識レベルまで落として、分からなくなっています。
「人間の思考の延長線上に無いですよ」と、最初から教えてあるのに、
おのれの寸足らずの曲がり尺で測るから分からない、
分からないから続けようとしない。そして地獄(ニラヤ)に堕ちます。
ですから、正しい意識の方向性と、真摯な求道心(ぐどうしん)の継続が必要なのです!
明日の備えはしても、死後の備えと、再来世何をするか、そこまで考えて、今日を生きている人間が一人もいないようです!
今世で終わりにするということのようですね。
霊魂は永遠でも不滅でもありませんからね。霊魂は死なない!と言う方は、
己の不勉強さを自白しているということです。
私達は、いつも宇宙一素敵なあなたがどこに居ても、いつも愛しています!