今日の出来事

茅ヶ崎市に住んでいます。会社は平塚市にあり、毎日歩いて通勤しています。日常のいろいろな出来事を載せてみたいと思います。

ラグビーの話

2010年12月14日 15時05分21秒 | Weblog
高校、大学とラグビーをしていました。卒業してからラグビーをやれる環境でなかったので、すっぱりやめましたが数十年たった今、昔の仲間と思い出話として花を咲かせています。今朝、高校の仲間から日経新聞に載っていたラグビー談話がメールで送られてきました。

これを読んだ高校の別の仲間が皆にラグビーマガジンに載った自分の記事を送ってきました。ご覧下さい。

「名誉ある敗戦」

関東大学リーグ戦6部の試合を見に行った。(リーグ戦グループは6部まである)到着したのは前半半ばで、熱戦の真っ最中だったのだが、よく見ると双方14人で戦っている。A大にはリザーブとおぼしき選手が1人おり、14人同士の事情がわからなかった。しかしB大の大量リードで迎えたハーフタイムに経緯がわかった。双方15人で始まったこの試合、B大に負傷退場者が出たが、控選手がおらず14人での戦いを余儀なくされたため、A大主将が同じ人数で戦いたいとして、自チームの1人を下げたというのである。それまで勝ち星はなく、この試合も劣勢の展開だったにも拘らず、期せずして訪れた数的優位をあえて放棄した決断にA大主将の矜持を見た。
これと似た古い話がある。1930年の日本代表のカナダ遠征、対ブリティッシュコロンビア(BC)選抜戦で開始早々日本のウイングが負傷退場した。当時、交替は一切認められていなかったが、BC選抜の監督は日本の香山蕃監督に交替を入れるよう求めた。香山監督は規則でもあり、交替など考えもしなかったが、気がつくと、負傷した選手の対面だったBC選抜のウイングがピッチの外で所在なさそうにしていた。聞けば監督に下がるよう指示されたという。重ねて交替選手の補充を求められた香山監督は遂に折れ、交替選手を入れた。試合は白熱し、3-3で引き分けたという。競技規則を超えて不測の事態に配慮した話として、語り継がれた話である。(宮井国夫氏の著書より引用)
先の話には続きがある。ハーフタイムにレフェリーがまずB大のベンチに赴き、負傷退場した選手を気遣い、後半も復帰できないことを確認した上で、A大ベンチに赴き、A大主将に「イーブンで戦う気持には敬意を表するが、せっかく来ているのに人数を揃えるためピッチ外に出された選手のためにも、後半は彼を入れ、15人で戦ってはどうか」と話し、A大はこれに従った。後半は白熱した展開となり、A大は敗れたものの見事なトライをいくつか奪った。
A大主将の判断には異論があるかもしれないが、劣勢でもあえてイコールコンディションをという決断には敬意を表したいし、又、この決断を尊重しながらも、状況を熟慮し適切な采配をしたレフェリーにも喝采を送りたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンベル

2010年12月14日 07時44分19秒 | Weblog
昨日からの雨が今朝も続く。今朝は高速道路の高架下をなるべく歩くようにした。モンベルの合羽は軽く、結構暖かい。上着は晴れた日にコートとしても使えそうだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする