月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

【乃木大将(19)】第3次旅順総攻撃(その10)

2012-03-26 21:34:33 | 乃木大将
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
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写真左から:関東軍司令官ステッセル中将 、 猛将コンドラチェンコ少将 、
      セルゲイ・スミルノフ専用ティエレンタオツー
      (旅順要塞司令官スミルノフ中将の写真がなかったので・・・
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【乃木大将(19)】第3次旅順総攻撃(その10)
猛将コンドラチェンコ少将の死
12月5日、ついに第3軍は屍山血河(しざんけつが)の203高地を完全占領し、海軍陸戦重砲隊は直ちに観測所を設け、午後には旅順港に観測砲撃を開始した。
しかし、8月7日から行われた海軍陸戦重砲隊の砲撃、砲撃で逃げ出した末の黄海海戦、10月1日からの28サンチ榴弾砲と海軍陸戦重砲隊の砲撃で、旅順艦隊は壊滅していた。
その戦果を知る由もない日本軍の砲撃は3日間続き、完全に旅順艦隊の息の根を絶った。

しかし最強の三大堡塁は健在であり、旅順の死命を制してはいない。
そして12月10日、乃木は新たな攻撃命令を発する。
狙いは松樹山堡塁、二龍山堡塁、東鶏冠山堡塁の三大堡塁および、その後方に控える望台堡塁と旅順要塞内への突入である。

しかし、203高地での戦いは第3軍も甚大な損害を被ったため、強襲突撃は控え坑道を掘り進めて正面を突く正攻法に徹した。

本来は、速やかに旅順要塞を陥落させ満州北方に転進しなければならないのだが、挟撃の憂いをなくすためにも、最小限の損害で確実に旅順要塞を陥落させなければならない。
各師団は受け持ちの堡塁を目指して、工兵と歩兵は急ピッチで坑道を掘り進め、その間、比較的砲弾の数に余裕のある28サンチ榴弾砲で断続的に砲撃を続けた。

12月15日、猛将コンドラチェンコ少将は、東鶏冠山北堡塁に日本軍の坑道などの視察に赴いた。

コンドラチェンコは、工兵アカデミーで近代要塞の築城技術・戦術(攻防)を学んだエキスパートである。
ロシアと日本の関係が悪くなってきた開戦前年(1903)に旅順に赴任してきたが、赴任当時の旅順要塞は永久要塞と呼ぶには程遠い存在で、急遽コンドラチェンコが要塞構築の指揮を執り、強力な防御要塞に変貌させた。

第3軍の旅順要塞攻囲戦が始まると、常に前線に赴き陣頭指揮を執る姿は、兵士からの人気も高く、ステッセル中将とスミルノフ中将からも非常に頼りにされ、司令官的な存在であった。

奇妙なことにロシア軍の司令官は二人もいた。
「旅順要塞司令官」はスミルノフ中将で、人望厚い猛将コンドラチェンコ少将はスミルノフの部下であった。
ステッセルはスミルノフの前任で、スミルノフ着任後に満州北方に移動するはずであったが、なぜか遼東半島全域の要塞地帯の「関東軍司令官」を任命され、そのまま旅順要塞に居座ってしまった。
必然的にステッセルは指揮に介入し、守備兵にとっては甚だ迷惑この上ない指揮権の争奪戦が行われ、これが後々第3軍が勝利を引き寄せる伏線にもなっている。

203高地が陥落し旅順艦隊が殲滅されたといっても、三大堡塁は今なお健在でありコンドラチェンコの闘争心は、いささかも衰えを知らず将兵を励まし続けた。

そして、この日は視察の他に将兵の一層の奮闘を鼓舞するため、激戦を潜り抜けた将兵に勲章を授けていた。
そこへ、偶然にも第3軍が放った28サンチ榴弾砲の砲弾がひゅるひゅると飛来し、その直撃を受けコンドラチェンコは戦死してしまった。
ロシア軍屈指の猛将の死は、司令官のステッセルばかりか多くの兵士にも稲妻のような衝撃が走り、ロシア軍の士気を著しく挫いた。

 前の記事 屍山血河の203高地占領 
 番外編=機関砲= 
 旅順要塞陥落!につづく~ 
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(18)】第3次旅順総攻撃(その9)

2012-03-21 22:10:30 | 乃木大将
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
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りっくんらんど:地下戦闘指揮所

【乃木大将(18)】第3次旅順総攻撃(その9)
屍山血河の203高地占領
もはやクロパトキンの援軍を期待できないロシア軍守備兵は、遼東半島の先端にある旅順要塞で頑固に抵抗していたが、日本海軍によって港は封鎖されているので、海上から逃げ出すこともできない。

しかも本来護るべき旅順艦隊はすでに壊滅し(知らないのは日本軍だけだ)、こうなると、第3軍をなるべく長期間、旅順に引き付け満州北方へ転身させないよう釘付にしなければならない。
そして、バルチック艦隊が到着して現状を打開してくれることを信じて、旅順要塞の防衛を使命としたからこそ死に物狂いで噛みついているのだ。

明治37年(1904)12月1日、203高地山頂で、50時間以上にも渡る熾烈な攻防戦を演じた両軍は、ともに疲労困憊しながら狭い山頂で睨み合いとなり、一時的に小康状態を保っていた。

そもそも、児玉は8月7日からの海軍陸戦重砲隊の砲撃と、8月10の黄海海戦、さらに10月1日から6日間の28サンチ榴弾砲と海軍陸戦重砲隊による砲撃によって、旅順艦隊がほぼ壊滅していると判断したため、旅順港に向けた砲撃をひかえさせ、あくまで東北正面からの正攻法での旅順要塞陥落を主張していた。

その児玉が乃木との会見後、幕僚会議を経て全力で203高地攻略のサポートに徹した。
幕僚会議に臨席し、既に実行中の28サンチ榴弾砲、海軍陸戦重砲隊の砲撃に加え、重砲27門の砲陣地の移動させることで、
さらなる砲撃の集中を進言した。

ちなみに、28サンチ榴弾砲は、砲身だけで11トン近くもあり、砲床の構築に9日程度はかかるため、おいそれと移動できるような代物ではないが、射程距離が7,800mあり方向射界が360度なので、全ての28サンチ榴弾砲は203高地を狙うことができた。

12月2日から4日までの3日間は攻撃準備にあて、工兵と砲兵はコンクリートのように凍てついた地面をツルハシで掘り起し、新しい重砲陣地を構築し12サンチ砲15門、9サンチ臼砲12門の合計27門を変換。
第7師団は陣地を死守すべしと体制を立て直し、弾薬、水、食料等の補給に務め逆襲に備えた。

12月5日 早朝から28サンチ榴弾砲をはじめ、すべての砲門が203高地とその周辺に狙いを定め、猛烈な砲撃を開始した。

午前9時 第7師団が死守する南西山頂の防衛陣地から、ロシア軍への突撃を開始。
壮絶な白兵戦の末、1時間ほどで南西頭頂部全域の制圧に成功するとすぐさま体制を立て直し、14時ごろ北東山頂突入した。
白刃を振りかざし、銃剣で突きかかり果敢にロシア兵に肉薄するもコンドラチェンコ少将は、次から次へと増援を繰り出してくる。
狭い山頂で彼我の斃れた兵士を踏み越え、一進一退の激戦になった。

北東山頂では、まだまだ戦闘が続いていたが、午後には観測所を設け旅順港に向けて観測砲撃が始まり、戦艦ポルワータに一弾が命中した。

その間も、203高地周辺への援護射撃は断続的に続き、わずか1,000名程度にまで激減しながらも第7師団は、次々と繰り出されるロシア兵を白兵戦で圧倒し、北東山頂の占領を揺るぎないものとした。
そして、午後9時ごろコンドラチェンコ少将は、ようやく203高地の奪回を諦め攻撃を停止。
第3軍は203高地の完全占領に成功した。

屍山血河(しざんけつが)の203高地をめぐる戦いで、ロシア軍は戦死5,308名、負傷者約12,000名の出血を強いられ、初めて死傷者17,000名を超える大損害を被った。
しかし第3軍の損害もロシア軍とほぼ同等の戦死5,052名、負傷者11,884名の16,936名の損害。
両軍合わせて、約34,000名もが戦死傷した。

しかし、203高地が落ちたからといって、旅順要塞が陥落したわけではない。
まだまだロシア軍の戦意は高く、なおも壮絶な戦いが続く。

 前の記事 番外編=征露丸= 
 猛将コンドラチェンコの死へつづく~ 
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将】番外編=征露丸=

2012-03-19 22:10:30 | 乃木大将
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りっくんランド:ヘルメット、バックパック、防弾チョッキなど
防弾チョキは12kgもあるそうな、バックパック(背のう)は15kgくらいあって、小銃を持ったら装備は30kg以上にもなる
歩くだけでも辛いよね
せめて、日露戦争の時にヘルメットだけでもあれば、死傷者の数も減ったかもしれない・・・

さてさて日露戦争時、日本軍は脚気、赤痢、チフスなどに苦しめられた
そこに登場した腹痛、下痢から歯痛にも効き、ロシアまで征討してくれるかもしれない万能薬、正露丸、いや「征露丸」←丸薬のつもり・・・
現在なら脚気はビタミン不足と誰もが知っていることも、明治37年頃は細菌性の病気と思われていた時代で、脚気にも効くと本気で思われていたそうです

征露丸は、人気の商品になって、さまざまな会社から成分を少し変えながら、たくさんの正露丸が発売されたそうです
商標とか利権関係は、さぞかしたいへんなことだったでしょうね。。。
でも、ラッパのマークは意外にも明治44年からだそうですよ

あ~現在は、放射能の万能薬があればいいのに。。。
現代の宇宙戦艦ヤマトはいずこに。。。放射能除去装置はいつ届くのだろうか

 前の記事 児玉源太郎の覚悟 
 屍山血河の203高地占領 へつづく~ 
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【乃木大将(17)】第3次旅順総攻撃(その8)

2012-03-17 16:57:11 | 乃木大将
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
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写真:左から児玉源太郎、旅順の航空写真
大まかな堡塁の位置を示しておいたが、旅順の街がすべて丘陵で囲まれていることがわかる。
当時は旅順を囲む山々と、その稜線に沿って堡塁・砲台が築かれていた。
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【乃木大将(17)】第3次旅順総攻撃(その8)

 児玉源太郎の覚悟
そもそも、児玉や大本営も旅順の情報収集を怠り、3日もあれば落ちると本気で思っていた。
児玉は参謀総長として、旅順要塞の内情を過小評価して伝え、第3軍を苦戦に陥れたことに密かに心を痛めていたことだろう。

203高地への攻撃目標の変更と28サンチ榴弾砲での集中砲撃は、乃木が単独で決定したものである。
児玉が来て指揮権を奪ったわけでもなく、攻撃目標を変更させたわけでもない。
乃木が決定したのだ。

乃木と児玉は、203高地からわずか2~3km程度しか離れていない、高崎山にある戦闘指揮所付近で会見した。
そこは、敵の射程の範囲内にあり、ここには時々砲弾も降ってくる。
第3軍司令部は要塞の東北正面から約7km離れた柳樹房にあったとはいえ、軍司令部だって敵の射程内だ。
それにも関わらず、乃木は攻撃目標の2~3kmあたりの師団司令部付近に戦闘指揮所を設置し、必ずそこまで進出してくる。

さて、外国人記者等が乃木と児玉の会見の内容を聞いても、児玉は乃木の屁は臭かったなどと煙に巻くばかり、二人だけの話など、本当の所は誰にもわかるはずがない。

乃木にしてみれば、満州軍総司令部が主張する正面攻撃の戦略的重要性と、崇敬する明治帝の御前会議における「203高地主攻」の決定も無視できず、どちらの指示に従い攻撃方針を策定するべきか、胸を痛めていたのではなかろうか。

きっと児玉は、明治帝から異例の勅語まで下され、速やかに軍務を遂行すると奉答し、もう旅順を陥すか死ぬしか選択肢がない。
そんな乃木の考え方に納得していたからこそ、幕僚会議で参謀長の伊地知少将等を厳しく叱責した上で、全力で203高地を攻略すべく、重砲27門ほどの砲陣地の変換、28サンチ榴弾砲とともに砲撃を集中させることを進言し、203高地の完全占領まで、乃木のサポートに徹したのだと考えたい。

しかし、もしも今回の攻撃で乃木が203高地の攻略に失敗したら、もしも乃木が死ぬようなことがあったら、その時こそ児玉自身が指揮権を引き継ぎ、全責任を負うつもりであったに違いなく、そのための指揮権剥奪の命令書であり、旅順出発前に認めたという遺書であり、児玉の覚悟であったのだろう。

 前の記事 満州軍総参謀長 児玉源太郎大将の到着 
 番外編 乃木大将シリーズ 征露丸もあるのよ 
 屍山血河の203高地占領 へつづく~ 
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【乃木大将(16)】第3次旅順総攻撃(その7)

2012-03-13 21:58:15 | 乃木大将
      りっくんランド あさかちゃん りっくん

   
写真左から児玉源太郎 、 攻撃ヘリ コブラ
     90式戦車 、 がんばろう!!日本のステッカー
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がんばろう!!日本へ  月乃和熊も賛同しております
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【乃木大将(16)】第3次旅順総攻撃(その7)
満州軍総参謀長 児玉源太郎大将の到着
11月27日、乃木は満州軍総司令部の意向に反し、突如として単独で203高地に攻撃目標を転換し、その攻略に全力を傾けたが、ロシア軍も猛将コンドラチェンコ少将指揮のもと頑強に抵抗した。
しかし、5日間に渡る息継ぐ暇もない戦闘で、両軍ともに疲労困憊し、12月1日より203高地山頂での睨み合いとなった。

12月1日
この日、満州軍総参謀長 児玉源太郎大将が前線に到着した。
満州軍総司令部で、攻撃目標を203高地に転換したと聞き、急遽乃木のもとへ駆けつけたのだ。

これに先立つ、11月14日の御前会議で、海軍より初めて正式に203高地の早期奪取を要請され、203高地主功に決定されたにも関わらず、満州軍総司令官 大山巌元帥と児玉は、あくまで東北正面の最強の三大堡塁への攻撃から、要塞の象徴ともいえる望台堡塁を抜き、旅順要塞そのものの陥落を基本戦略としていた。

それはなぜか。
陸軍としては203高地を攻略して、海軍が旅順港への照準砲撃で旅順艦隊を殲滅したとしても、旅順の死命を制する事にはならないからだ。
さらに旅順攻略後、第3軍は速やかに満州北方へ移動し、来たるべき大会戦の一翼を担ってもらわなければならない。

児玉が来た本当の理由は、乃木が満州軍総司令部の意向に背き東北正面攻撃を棚上げにして、203高地を主攻としたことに驚いたからではなかろうか。
それならば、上官の方針に背いたのだから、乃木を更迭する意味で、児玉が満州軍総司令官 大山元帥から預かったという、指揮権剥奪の命令書を持参していた、ということはあったかもしれない。

大山は11月28日、203高地への攻撃がはじまってから、乃木へ訓令を与えた。
今までの戦闘・苦戦に長々と敬意を表し、旅順要塞の死命を制するため今までの失敗に懲りず、さらに奮励努力し初志を貫徹して欲しい。としたあと、
「予は自今貴官とともに再興三興を厭わず、一難ごとに堅忍の度を加うるの精神をもって任務を遂行せんと欲す」と、なんとも微妙な表現だ。

捉え方によっては、「3度目の総攻撃となるが、今までの失敗に気落ちせず、苦難を耐え忍んで正面攻撃を貫き陥落を目指せ。」とも取れる。
あるいは、乃木が「203高地主功に転換したことを渋々ながらも承知するが、旅順要塞は正面攻撃で陥せ。」と言っているのではないかと思う。
「任務の遂行」とは、「旅順要塞の死命制す」ことであり、旅順要塞そのものの陥落であることに他ならない。

 前の記事 攻撃目標は203高地 
 児玉源太郎の覚悟」へつづく~ 
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(15)】第3次旅順総攻撃(その6)

2012-03-07 22:30:36 | 乃木大将
先日、ちょっと横須賀まで散歩してきました
戦艦三笠をクリックしてみてね
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戦艦三笠  第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃
28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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左:203高地
右:28サンチ榴弾砲での砲撃
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【乃木大将(15)】第3次旅順総攻撃(その6)
攻撃目標は203高地

11月26日の第3次総攻撃の第一日目は、ことごとくロシア軍に撃退され、目標を一つとして達成できなかった。
そして乃木は、突然203高地を攻撃目標に転換する。

なぜ、乃木は突然203高地に攻撃目標を変更したのか?
(1)このまま正面攻撃を続けても、望台は容易に抜けないと判断したのか。
(2)あくまでも望台を主攻としながらも、203高地へ敵の注意を振り向け、ロシア軍の予備兵力の壊滅を狙った大規模な陽動作戦だったのか。
(3)それとも、御前会議において決定された「203高地主攻」と、満州軍総司令部がこだわる「正面攻撃」に対する、乃木なりの回答を示した作戦なのか。
ともかく攻撃目標を203高地へ転換し、死に物狂いの攻撃が始まった。

11月27日~29日
乃木は、戦闘指揮所を203高地にほど近い高崎山に設置し、攻撃目標を203高地に転じた。
第9師団と第11師団は、攻撃目標を変更せず、牽制行動をとる。
27日午後3時 28サンチ榴弾砲は、攻撃目標を203高地に方向転換し猛然と準備砲撃を開始した。

午後6時30分ごろ、砲撃の効果を待っていた第一師団は、夜陰に乗じて203高地へ突撃を開始し、50時間以上に及ぶ死闘が始まった。

203高地は、南西山頂と北東山頂の二つの頂上がある。
第1師団は203高地山頂に突撃を繰り返し、ロシア軍の頑強な抵抗にあいながらも、ようやく南西山頂の一部を占領し、そこに防御陣地を築いた。
それを見たロシア軍は、次々を増援部隊を繰り出し日本兵を追い払う。
負けじと、第1師団も予備兵力を差し向け再占領するなど、一進一退の壮絶な死闘を繰り広げた。

11月30日
第1師団の苦戦に対応するべく、乃木は総予備である第7師団全ての投入を決意。
第7師団は、第1師団の残存部隊を収容し203高地への攻撃を開始。突撃を繰り返し、ついに北東山頂の一角を占領した。
しかし、またまた203高地の後方2km付近の北太陽溝に進出していた、ロシア軍のコンドラチェンコ少将は、次々と援軍を繰り出し、斃しては斃され、獲っては取り返されの白兵戦による熾烈な争奪戦が展開される。

ちなみにこの日、乃木の二男 保典は飛来した砲弾の炸裂で戦死した。
日露戦争開戦時、第一師団歩兵第一旅団歩兵第15連隊の小隊長として出征したが、長男 勝典が戦死したことで後備歩兵第一旅団の副官として任務についていた。

12月1日
頑強なロシア軍の抵抗によって、第7師団は一旦山麓まで後退するが、すぐさま体制を立て直し、日没後に再突入を敢行。
突貫に次ぐ突貫で、ついに山頂の一部を占領したが、ロシア側の増援軍との戦闘は熾烈を極め、水、食糧、弾薬は尽き、一時的に203高地の北東山頂と南西山頂を占領するものの、奪っては奪い返され、それをまた奪っての大乱戦。
南西山頂の防衛陣地を守り抜くことで精一杯の状況となった。
203高地頂上をめぐる4日間の戦闘で、両軍ともに精根尽き果て、疲労困憊し睨み合いとなった。

 乃木大将シリーズ前の記事 白襷隊 
 満州軍総参謀長 児玉源太郎大将の到着につづく~ 
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赤穂事件  乃木と赤穂事件  聖樹無憂樹
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【乃木大将(14)】第3次旅順総攻撃(その5)

2012-03-05 22:31:38 | 乃木大将
     28サンチ砲木製模型(浦賀 観音崎)

   クリックすると拡大するよ
左:白襷隊       
右:那須乃木神社から乃木別邸の間にある乃木将軍像。日の光が、まるで意図的にライトを当てたように「乃木将軍像」部分を照らしています
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(14)】第3次旅順総攻撃(その5)
 白襷隊
11月26日第3次総攻撃第一日目、他の各師団の戦況は、まるで第1次総攻撃での悪夢を再現するがごとく、見渡す限り死屍が横たわり、負傷兵の収容もままならない。
累々と横たわる屍を踏み越え、何度も突撃を繰り返すが、榴散弾を浴びせられ、機関銃、小銃による激しい十字砲火、無数の手榴弾攻撃、壮絶な白兵戦でロシア軍に圧倒され、思うように進撃でず目的を達成することができなかった。

この夜に登場したのが、第1師団歩兵第2旅団長 中村覚(なかむら さとる)少将率いる特別支隊の奇襲作戦だ。

白襷隊の名称は、この特別支隊将兵全員が白い襷をしたことに由来し、各師団から歩兵、工兵を選抜し、到着したばかりの第7師団も例外ではない。
また、第7師団からは衛生隊も選抜され合計3106名で組織された。

松樹山堡塁後方の堡塁、砲台を占領し、堡塁間を分断し三大堡塁の一つ松樹山堡塁を孤立させる目的で編成された決死隊で、退却は許されず拠点を確保した後は、その場に留まり援護を待つというもので、実質的に予備兵力や援護はなく、本攻撃が首尾よく松樹山堡塁を陥するまで、守り抜かなければならないという厳しい作戦だ。

白襷隊は、あらかじめ水師営付近に進出し、乃木の激励を受けた後、夜を待って松樹山第4堡塁へ前進を開始。
3000人余りの兵士は粛々と前進し、夜9時ごろ、今まさに先陣が第一線の散兵塹壕へ突撃しようとした刹那、小規模な爆発音が起き、さらに次々と誘発を引き起こした。

地雷原のど真ん中をものともせず進撃し、うっかり地雷を踏んでしまったのだ。
地雷は敵兵を殺害できなかったとしても、重傷を強いることで確実に兵力を削いでいく。

地雷の爆破音とともに、すべての兵士は、反射的にその場で身を伏せ、岩陰に身を寄せるが誘爆は止まらない。
一瞬、前進行動は止まり白襷隊に動揺が走った。

ロシア兵が爆発音の方向へ探照灯(サーチライト)で辺りを照らし出すと、いつのまにか地雷原を超え、鉄条網を突破し、光の中に浮かび上がる白いX印の群れが、堡塁正面を埋め尽くしていた。
しかも先頭は、手榴弾の投擲範囲にまで迫っているではないか。
その光景に仰天したロシア兵は、慌てて機関銃、小銃を乱射し、手榴弾を投げつける。

ことここに極まり、白襷隊は歓声を上げて猛然と突撃を開始し斜面を駆け上がるが、不幸にもサーチライトに照らしだされた白い襷が、格好のターゲットになり、榴散弾、機関銃、小銃から猛烈な銃砲弾を浴びせかけられ、あるいは狙い撃たれ、散兵塹壕に近づけば無数の手榴弾が降り注ぎ、死傷者が続出した。

それでも怯まず、累々と横たわる屍を踏み越え、突撃を繰り返し、散兵壕、堡塁に突入すると白刃を振りかざし、銃剣で突き鬼気迫る壮絶な白兵戦をしかけるが、ロシア軍の熾烈な抵抗は徐々に日本兵を圧倒する。
しかし、中村少将が重傷を負い、次々と指揮官が倒れ、死傷者は約2000人に達し、ほぼ全滅といってよいほどの混迷を極めた
白襷隊は、翌27日未明乃木の命令により残存部隊は退却した。

なんとこの白襷隊は驚くべきことに、撤退命令が出るや、動ける兵は銃砲弾が飛び交う中、匍匐して死傷した兵士に接近し、襟を掴むなどして、匍匐しながら引きずって戦線を離脱させ、夜明けまでに死傷者すべてを収容したのだ。

健康体の人は、大人の男子を担いでみるとよい。とても人間一人を担いで駆け足などできるものではない。
もしくは、老人ホームなどに行って老人介護を経験してみるとよい。老人とはいえ身を任せられると、重いし本当に手に余る。
それを地面を這いずり回りながら、兵士一人辺りが二人の死傷兵を収容したことになる。

無謀のように見えた、白襷隊の奇襲攻撃は、果敢に白刃を煌めかせ、命を惜しまず鬼神のごとく奮戦し、突撃を繰り返し、激しい銃撃を恐れず整然と撤退する様は、ロシア軍司令官ステッセルの心胆を寒からしめ、後々ボディーブローのように効いてくることになる。

 前の記事 第3次総攻撃開始(第1日目) 
 203高地を獲れ!につづく~ 
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【乃木大将(13)】第3次旅順総攻撃(その4)

2012-03-04 21:56:16 | 乃木大将
    28サンチ榴弾砲(実物大木製模型

NHKスペシャル「映像記録3.11 あの日を忘れない」を見ています
あの日、池袋のサンシャイン60も波打って揺れていました
倒れてくるのかと思いましたよ・・・

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現在の203高地の航空写真。緑の矢印が南西山頂。
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(13)】第3次旅順総攻撃(その4)
第3次総攻撃開始(第1日目)
11月26日 午前8時、28サンチ榴弾砲が一斉に砲門を開いた。
砲撃の効果を待って、東鶏冠山の塹壕で待機していた第11師団、二龍山、磐龍山の塹壕で待機していた第9師団、松樹山堡塁を攻撃目標とした第1師団は、自軍の機関銃の援護射撃の許、一斉に塹壕から飛び出し爆進した。

日本兵は、かなり敵堡塁に近接した塹壕陣地から進撃しているにも関わらず、防御を固め直したロシア軍から機関銃による掃射、小銃による斉射、手投げ弾、榴散弾などありとあらゆる猛攻を受け、バタバタと薙ぎ斃される。

敵堡塁への榴散弾砲撃は効果がなく、榴弾での砲撃を依頼するため幾人も伝令兵を派遣するが、一人として帰ってこない。

逆に日本兵は、榴散弾をまともに受けると、一度に20人ほどの兵が斃れ、機関銃の掃射を受け、1人で数十発もの弾丸を浴びることもほどの激しい銃撃を受け、前進中に指揮官が後ろを振り返ると、後続がほぼ壊滅していた小隊もあった。

指揮官といえども無事で済むはずがない。
とかく指揮刀を持った指揮官は狙い撃ちされやすく、隊長である佐官が斃れれば尉官が、大尉が斃れれば中尉、中尉が斃れると少尉がと次々と指揮官が変わり、そのたびに新しい指揮官は残兵をまとめ、指揮刀を振りかざし「前へー、前へー」と督励した。

堡塁のすぐそばまで前進しながらも、機関銃の銃撃が激しく匍匐前進でジワジワとしか進めず、岩陰に隠れ銃弾を避けながら攻め登ろうにも、思うように進撃できない。
指揮官は覚悟を決め、残兵をまとめると果敢に突撃を命じた。

やっと堡塁や砲台に取り付ついても、ロシア兵は機関銃を引きずり出し掃射を浴びせ、小銃で斉射を浴びせ、手榴弾を投げつける。
日本兵は先頭の突入部隊が壊滅しようがかまわず、折り重なるように斃されながらも、累々と積み重なる屍を乗り越え、踏み越え、土台として、次々と歓声を上げ白刃を振りかざして突入する。
ロシア軍も占領されてはならじと、次々と援軍を繰り出し壮絶な白兵戦が展開された。

第1次総攻撃第2次総攻撃と一貫して東鶏冠山堡塁を攻め続けた第11師団は、初めて坑道から爆薬で敵堡塁を破壊した。
突入口が開くと、歓声を上げて次々と白刃を振りかざし、なだれ込みながら、出会った敵に切りつけ、銃剣で突きロシア兵に肉薄するも、その都度ロシア兵は頑強に抵抗し日本兵を撃退した。

 前の記事 待望の増援軍 
 白襷隊に つづく~ 
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【乃木大将(12)】第3次旅順総攻撃(その3)

2012-03-03 21:40:12 | 乃木大将

乃木希典や日露戦争とか旅順攻囲戦とか、なんの関係もない我家のお雛様ですが、
いちおう、3月3日の雛祭りなのでお雛様を
桃の花はどこかで咲いているのかしらん

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第1次総攻撃  第2次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(12)】第3次旅順総攻撃(その3)
待望の増援軍
ちょうど第1次総攻撃から3ヶ月が経った11月20日、待望の増援部隊である大迫 尚敏(おおさこ なおはる)中将が率いる旭川第7師団が大連に上陸した。
第7師団は北海道内の旭川、札幌、函館、釧路の各連隊からなるが、当時まだ北海道は人口が少なく、定員のほぼ半数は、東北出身者などで構成されたいた。
寒冷地に強く、なによりも兵力の補充が乏しい第3軍にとって、約2万の精鋭が乃木の指揮下に入ったことで、全軍の士気は上がった。

大迫は、薩藩士として薩英戦争に従軍し、西南戦争では少佐として熊本鎮台参謀として参戦。
日清戦争では少将で参戦し、乃木の殉死後の後任として学習院院長に就任するなど、乃木とは縁浅からぬ関係である。

ちなみに、八甲田山死の雪中行軍で有名な、立見尚文中将が率いる青森第8師団は、満州北部に派遣され総予備となった。
立見尚文は、幕末物が好きな方にとっては「桑名の立見勘三郎」と言ったほうが、通りが良いかもしれません。月乃和熊が好きな歴史上人物のひとりです。

さて、乃木は攻撃目標を東北正面の松樹山、二龍山、東鶏冠山の3大堡塁とした上で、第3次総攻撃を策定した。
攻撃は2段構えとし、第一目標を後方から東北正面をすべて見渡せる望台とし、第2目標を望台攻略後、速やかなる旅順城内へ突入である。

第3軍は相変わらず砲弾不足に頭を抱えながらも、第7師団を総予備として兵力は約64,000人、火砲約420、機関銃は約70ほどに増強された。

機関銃は、1個師団あたり20~24丁程度装備されており、師団長の指揮下にあった。
機動力に欠けるため攻城作戦時は、主に歩兵の突撃時の支援用兵器として、突撃壕陣地からやや後方に配備された。

ちょっと面白のは、ロシアと協力関係にあったフランスが開発元のホッチキス機関銃を日本が採用し、日本に同情的なアメリカが開発元のマキシム機関銃をロシア軍が採用しているのは、歴史の妙というべきか・・・。

塹壕や坑道はずっと掘り続け、一部の塹壕陣地は、敵堡塁の50m手前にまでに進出したが、全体的には、敵の銃撃などの妨害もあって、十分接近することはできなかった。
また、これまでの戦いで鉄条網破壊時に、電流の流れている鉄条網に触れて感電死したり、切断に手間取っている間に機関銃や小銃での十字砲火を浴びて、しばしば工兵隊が全滅するほどの甚大な損害を被った経験から、堡塁への突入訓練も行っていた。

鉄鋏は感電しないように握りの部分を竹で囲い、杭が抜けなければ速やかに鋸で切断するなど、工兵主体で行っていた鉄条網の破壊を歩兵にも訓練させた。

今度こそは三度目の正直。11月26日~12月5日までの11日間の戦闘が始まる

 前の記事 ロシア軍の備え 
 第3次総攻撃開始(第1日目) につづく~ 
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【乃木大将(11)】第3次旅順総攻撃(その2)

2012-03-02 21:20:26 | 乃木大将

どうもどうも、第3次総攻撃のシリーズは、 (その1)乃木の覚悟で始まり、ちまちまと次回以降は、こんな感じで進める予定です

(その3)第3軍待望の増援軍
(その4)総攻撃開始(第一日目) 
(その5)白襷隊
(その6)203高地を獲れ! 
(その7)満州軍総参謀長 児玉源太郎大将の到着
と、続いていきまふのれ、お楽しみに

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第1次総攻撃  第2次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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【乃木大将(11)】第3次旅順総攻撃(その2)
ロシア軍の備え
ロシア軍のコンドラチェンコ少将は、日本軍は脆弱な北西方面から攻めてくると予想し、203高地の防御を強化し、後方に予備兵力を待機させ、その他の堡塁、砲塁なども、地雷を埋め直し、鉄条網を張り直して電流を流し、散兵壕、連絡網などを修復した。

日本兵は攻め登ると、まず地雷原を突破しなければならない。
踏むと爆発する地雷を設置し、さらにその地雷の左右に導火線を配線し、兵士の体を隠せそうな窪みや、岩陰などに導火線をつないだ地雷を設置する。
こうすると、まず地雷を踏んだ兵士を吹き飛ばし、その爆発音に反応した別の兵士は、付近の窪みに身を伏せたり、岩陰などに身を隠すが、導火線で配線された地雷が誘爆し、危険を避けたはずの兵士を吹き飛ばす。

仮に地雷原を突破しても鉄条網に妨げられ、これが夜間であれば爆発音の方向や鉄条網付近を探照灯で照らすと、攻め登る兵士や鉄条網に釘付けにされている日本兵を容易に発見することができる。
網に引っ掛かった魚を狙うように、機関銃と小銃で十字砲火を浴びせ、榴散弾を降り注ぐという、恐ろしく巧妙な罠が仕掛けられた。

ロシア軍のマキシム機関銃は装輪で防楯が装備されているので、野砲や山砲のように、どこにでも引き回すことができた。
銃身は冷却水の入った太い冷却器で覆われ、ズックの布ベルトで200発程度給弾でき、20秒ほど撃ち続けることができる。
旅順要塞が日本軍に包囲されてから補充がないので、やや減って40に満たなかったが、それでも攻める側に与える脅威に変わりない。

このところ勝ち続けているロシア軍の士気は高く、擱座した艦艇の艦載砲を砲台に据え付け、水兵も加え兵力は約32,000人、火砲約640までに回復し第3軍を待ち受ける。

今日の記事は、ちと短かった

 前の記事 乃木の覚悟 
 待望の増援軍 へつづく~ 
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