月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

平和を望む(青山 表参道)

2013-06-09 12:00:00 | 旅行・散歩・日記
こんにちは!月乃和熊(ツキノワグマ)です!!

3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!

クリックで救える命がある。
一日一回ポチッとクリックをお願いいたします

---------------------------------
平和を望む(青山 表参道)

青山通りの表参道交差点のみずほ銀行の前に、”平和を望む”の碑がある。

昭和20年(1945)5月25日 太平洋戦争末期、東京はアメリカ軍の無差別空襲を受け続けていたが、それまで空襲を受けていなかった、山の手地区は大規模な空襲を受けた。

アメリカ軍のB29は、これまでで最大の約460機余りが襲来し、3月10日の東京大空襲より多い焼夷弾をばらまいた。

3月10日の東京大空襲から比べると、死者は約7500人と的犠牲は少ないように感じるが、疎開が進んだため東京都の人口は、700万人からほぼ半分にまで減少していたことが幸いしていたのだが、、、

表参道から原宿への通りは、明治神宮に避難しようとする人々で大混雑したところに、家屋を飲みこんで成長した恐ろしい炎は、広々とした表参道交差点に達すると、一気に噴き出すように襲いかかり、川のように流れながら、表参道交差点から原宿までの広々とした参道を舐(なめ)つくしたという。

今はファッショナブルな若者で、いつも賑わっている表参道の交差点。
その石灯籠あたりでは、逃げ道を失った多くの人々が折り重なって倒れていたそうだ。

表参道交差点に建つ山陽堂道書店さんは、当時の生き証人だ。
山陽堂さんの前は豆腐屋さんが建っていたそうで、地下に井戸水をくみ上げる設備が残っていたことが幸いし、それを使って消火に勤めながら、炎に追われて逃げ惑う多くの人を救ったそうだ。
青山通り(246号線)の拡幅工事で、お店は縮小したものの建材は当時のままだという。

太平洋戦争も末期になると、日本はアメリカ軍にやられっぱなしの感があるが、山の手空襲のときばかりは、日本軍も反抗し約100機のB-29を撃墜、撃破したのだそうだ。

原宿や表参道に行ったときは、表参道交差点で平和を望んでみては、いかがだろうか。

---------------------------------
気が向いたらポチッとな    blogram投票ボタン
毎週土曜日か日曜日にツタンカーメンからblogramのココポイ!ポイントプレゼント!・・・の予定・・・
---------------------------------
<乃木神社の行事>・・・乃木神社の最新情報 ◆毎月1日と13日は月次祭齋行
【乃木希典大将】シリーズリンク集
--------------------------------
 忘れない!たすけあおうNippon!飲んで食べて東日本を応援!
福島県フェア!   宮城県フェア! 

岩手県フェア  新潟県フェア  

アフィリエイトで得られた金額は寄付します。ここから注文してね


最新の画像もっと見る

コメントを投稿