月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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【乃木大将(17)】第3次旅順総攻撃(その8)

2012-03-17 16:57:11 | 乃木大将
  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
   月乃和熊も賛同しております
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写真:左から児玉源太郎、旅順の航空写真
大まかな堡塁の位置を示しておいたが、旅順の街がすべて丘陵で囲まれていることがわかる。
当時は旅順を囲む山々と、その稜線に沿って堡塁・砲台が築かれていた。
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【乃木大将(17)】第3次旅順総攻撃(その8)

 児玉源太郎の覚悟
そもそも、児玉や大本営も旅順の情報収集を怠り、3日もあれば落ちると本気で思っていた。
児玉は参謀総長として、旅順要塞の内情を過小評価して伝え、第3軍を苦戦に陥れたことに密かに心を痛めていたことだろう。

203高地への攻撃目標の変更と28サンチ榴弾砲での集中砲撃は、乃木が単独で決定したものである。
児玉が来て指揮権を奪ったわけでもなく、攻撃目標を変更させたわけでもない。
乃木が決定したのだ。

乃木と児玉は、203高地からわずか2~3km程度しか離れていない、高崎山にある戦闘指揮所付近で会見した。
そこは、敵の射程の範囲内にあり、ここには時々砲弾も降ってくる。
第3軍司令部は要塞の東北正面から約7km離れた柳樹房にあったとはいえ、軍司令部だって敵の射程内だ。
それにも関わらず、乃木は攻撃目標の2~3kmあたりの師団司令部付近に戦闘指揮所を設置し、必ずそこまで進出してくる。

さて、外国人記者等が乃木と児玉の会見の内容を聞いても、児玉は乃木の屁は臭かったなどと煙に巻くばかり、二人だけの話など、本当の所は誰にもわかるはずがない。

乃木にしてみれば、満州軍総司令部が主張する正面攻撃の戦略的重要性と、崇敬する明治帝の御前会議における「203高地主攻」の決定も無視できず、どちらの指示に従い攻撃方針を策定するべきか、胸を痛めていたのではなかろうか。

きっと児玉は、明治帝から異例の勅語まで下され、速やかに軍務を遂行すると奉答し、もう旅順を陥すか死ぬしか選択肢がない。
そんな乃木の考え方に納得していたからこそ、幕僚会議で参謀長の伊地知少将等を厳しく叱責した上で、全力で203高地を攻略すべく、重砲27門ほどの砲陣地の変換、28サンチ榴弾砲とともに砲撃を集中させることを進言し、203高地の完全占領まで、乃木のサポートに徹したのだと考えたい。

しかし、もしも今回の攻撃で乃木が203高地の攻略に失敗したら、もしも乃木が死ぬようなことがあったら、その時こそ児玉自身が指揮権を引き継ぎ、全責任を負うつもりであったに違いなく、そのための指揮権剥奪の命令書であり、旅順出発前に認めたという遺書であり、児玉の覚悟であったのだろう。

 前の記事 満州軍総参謀長 児玉源太郎大将の到着 
 番外編 乃木大将シリーズ 征露丸もあるのよ 
 屍山血河の203高地占領 へつづく~ 
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第1次総攻撃  第2次総攻撃  第3次総攻撃  28サンチ榴弾砲  旅順要塞降伏
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