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渡辺貞夫氏の半生を独断でまとめてみました・その2

2022-09-29 09:23:02 | 音楽・ライブ・楽器・演奏・芸術・文化
日本のジャズを世界に発信
アフリカ音楽のエッセンスも吸収し、自身の音楽世界に反映させる。

1968年(35歳)にはニューポートジャズフェスティバルに呼ばれたり、
1970年(37歳)には、スイスのモントルージャズフェスティバルに出演するが、全て日本人メンバーでバンドを組む。結果は大成功!
サダオ氏は1970年(37歳)、73年(40歳)、75年(42歳)と3度モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演しています。

1969年Someday In Suburb(ある日郊外で)


サダオ氏の次の転機となったのが、アフリカ訪問でした。
1972年(39歳)彼はテレビのドキュメンタリー番組のリポーターとして初めてアフリカを訪れる。
「ジャズの源をたどっていくと、アフリカの民族音楽に行き着く。一度は訪れてみたいと思っていたので、リポーターの打診があった時点ですぐに飛びつきました」書籍「秋吉敏子と渡辺貞夫」

ケニアの首都ナイロビに到着したサダオ氏は、その夜に早くもライブ・ハウスを訪れ、ステージに飛び入り。
「現地のバンドと共演していると、大地の鼓動を思わせるようなリズムに圧倒されました。簡潔で力強く土着的で、どこかロックのリズムにも通じる。そこに浸っていると、何とも言えぬ陶酔感を覚えるのです。アフリカの地を踏み、よかった。心底、そう思いました」(同上書籍)

5年間続いたアフリカ音楽
74年6月には、映画「アサンテサーナ・わが愛しのタンザニア」の撮影に同行して再びアフリカを訪れる。
「この2回の旅で、アフリカが僕の音楽の柱の一つになったのは間違いないですね」本人談。
1977年(44歳)まで、およそ5年間にわたってサダオ氏のアフリカ音楽巡りは続いた。


サダオ氏は、アルトサックスとソプラニーノとフルートを吹きますが、ソプラノサックスは吹きませんでした。あのアフリカのイメージにソプラニーノがあっていたとは思いますが、ソプラノサックスはBb楽器で、アルトサックスとソプラニーノはEb楽器で同じキーなので指の動きが同じ為、扱いやすかったこともあると思います。フルートは、ピアノやギターと同じC楽器ですね。
ちなみに、コルトレーンやデイヴ・リーブマンなどのテナーサックス奏者は、テナーサックスとソプラノサックスをよく持ち替えますが。これらはいずれも同じBb楽器ですので同じキーで同じ指使いですから、扱いやすさもあったと思われます。

1976年 My Dear Life


1977年 Samba Em Praia


浜辺のサンバ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=JSYu8HTJ6CA

1983年(50歳)の時、C型肝炎で10か月入院する。
1984年(51歳)アメリカのWEAに所属して、病み上がりの中でCDアルバム「ランデブー」(‎ワーナーミュージック)録音。これが、ビルボード誌ジャズチャート2位になる大ヒット。

渡辺貞夫 Rendezvous - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=diklM_b-c3s

この「ランデブー」というアルバムは、サダオ氏が退院したあと、アメリカの作曲家やアレンジャーとかが参加して曲を作ったのですが、サダオ氏は、このアルバムは、彼らに吹かされたんだ!と言っていますね。私はシャレていて、力が入っていないので、聞きやすいと思いますけど・・。コマーシャルベースに乗りたくなかったのですね。

その後、1996年(63歳)に、テレビ企画でチベット旅行があり、チベットの人々とふれあううちに、素直にかっこいいと感じたものを自分はやりたいと思い、商業ペースで無いものを追求して行くことを決意!

ESCOLA JAFRO(エスコーラ ジャフロ)について
1995年の栃木県内中学生約200名と渡辺貞夫さんの共演がきっかけで、1996年から貞夫さんを指導者に迎え「スクールアート推進事業(リズムスクール)」(ブラジルのサンバとレゲエをミックスさせたもの)のドラムチームがスタート。
2005年に宇都宮市を中心とするグループをESCOLA JAFRO(エスコーラ ジャフロ)と命名。
同年に愛知県で開催された「愛・地球博」では、世界のパーカッションチームや国内の子どもたち約400名とともに出演する。
2007年のJAVA JAZZ(ジャワジャズ)フェスティバルに貞夫さんと共に参加、ジャカルタの子供たちと共演。
2008年スペインで開催されたサラゴサ国際博覧会ジャパンウィーク「Share the world 渡辺貞夫と世界の子どもたちコンサート」に参加し、ポルトガル、セネガルのパーカッショングループやスペインの子どもたちと共演。
現在も、宇都宮市を中心とする小学生から20歳までの青少年約40名が、月2~3回程度の練習に励み、貞夫さんの理想である、いつでもトコトコと太鼓の音が聞こえるまちづくりをめざして、多くの方がたの支援を受けながら楽しくドラムをたたいています。ESCOLA JAFRO(エスコーラ ジャフロ)HPより抜粋。


サダオ氏は、楽器は何度か変えましたけど、マウスピースやリガチャーやリードのメーカーにはあまり興味を示さないようですが、以前TVでライブ用のリードの選択には、何と80枚から一枚を選び出している様子が映し出されていまして、ここだけは執着されるのか!っと驚きましたね(笑)。
ライブ中でも、結構リードを変えている様子が見られますもんね。
現在只今の最高のカッコいい音を観客に届けたいという思いが強いんですね。

来年2023年は90歳になりますサダオ氏、一日に3回も散歩をされまして、体調も万全のようですね。
今後の活躍も大いに期待しています~。 


参考:日本経済新聞「私の履歴書」、徹子の部屋、サワコの朝、書籍「秋吉敏子と渡辺貞夫」「ぼく自身のためのジャズ」、オリジナルソングブック1、ウィキペディア、ESCOLA JAFRO・HP他・・
            
                        2022年9月27日 記す

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