9月、快晴に誘われてバイクで出発。午後の半日行動なので近場の当別町へ
おお、冒険心をそそる道を発見!これは行くしかない。ワクワクです!
どんどん坂を上っていくと
鉄塔が眼下に続いています。気持ちの良い秋の空と山でした。
坂を下り元の道を進むと、当別町と石狩市を結ぶ林道「五の沢線」前に到着。初めての林道で、またワクワク!
坂の途中で小樽方面の風景が見えます
そして下っていくと、石碑があったのでバイクを停めました。
この道も最盛期は人、馬車、車の往来が、かなりあったことと思います。
五の沢林道を抜けて、石狩市側から振り返っています。こんなに立派なのに「林道」です。贅沢すぎですよね。酷道を走っているライダーさん、申し訳ない!
もう少し石狩市側に来ると、木造の看板が。「石狩町」なのが懐かしい。
この看板の近くに、古民家を改造した素敵な宿ができていました。新聞や雑誌にも取り上げられています。「古民家の宿 Solii」です。
再び五の沢林道を通り、当別町から札幌に帰宅しました。
知らない道は、やっぱりワクワクでした!
んー、空が広い。生き返るー
おお、冒険心をそそる道を発見!これは行くしかない。ワクワクです!
どんどん坂を上っていくと
高い鉄塔のそばに到着
今上ってきた坂道を振り返ります
鉄塔が眼下に続いています。気持ちの良い秋の空と山でした。
坂を下り元の道を進むと、当別町と石狩市を結ぶ林道「五の沢線」前に到着。初めての林道で、またワクワク!
走ってみると、狭いながらも道路は簡易舗装。「あれ?」
坂の途中で小樽方面の風景が見えます
そして下っていくと、石碑があったのでバイクを停めました。
「石狩油田八の沢鉱業所跡」
石狩に油田があったとは!知りませんでした。
安政5年(1858年)厚田望来(あつたもうらい)の海浜で石油湧出発見、明治12年(1879年)、ここ春別(しゅんべつ)で試掘開始、昭和初期の最盛期には年間一万キロリットルも産油していたとのこと。さらに後で調べてびっくりしたのは、ここから札幌の手稲駅までパイプラインが通っていて、列車で輸送していたとのこと。スケールでかい!そのために米軍の爆撃が手稲であったことなどがわかりました。そして石油が枯渇し、昭和35年(1960年)、81年の歴史を閉じたそうです。(私はこの年の生まれなので、なんだか感慨深いものがありました)
昭和23年(1948年)頃の近辺の様子が描かれていますが、色々な建物があります。
今は小学校の校門以外は往時をしのばせるものはありません。
この道も最盛期は人、馬車、車の往来が、かなりあったことと思います。
五の沢林道を抜けて、石狩市側から振り返っています。こんなに立派なのに「林道」です。贅沢すぎですよね。酷道を走っているライダーさん、申し訳ない!
もう少し石狩市側に来ると、木造の看板が。「石狩町」なのが懐かしい。
この看板の近くに、古民家を改造した素敵な宿ができていました。新聞や雑誌にも取り上げられています。「古民家の宿 Solii」です。
再び五の沢林道を通り、当別町から札幌に帰宅しました。
知らない道は、やっぱりワクワクでした!