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扱いにくい娘でごめんなさい

2019-08-16 15:17:00 | 私と私の対談
私は家族が大好きだ。

優しい両親と祖母が暮らす実家までは、一人暮らしのマンションから車で15分。

それなのに、盆・正月・GW・母の日父の日誕生日 くらいしか顔を出さない私。

しかも長時間は居られなくて、正月の夕食後
「じゃ、帰るわ。」
と言った時に、泊まりで来ている兄夫婦に
「もう帰るん!?」
と驚かれ、その時に
「もう!?だって7時間もいたやん!」
と咄嗟に答えた自分に
「あぁ、私は7時間が限界なのか…」
と、自分でも驚いた。


どうして私はこんなに実家に寄り付かないのか。

せっかくのお盆なので(?)、自分の頭の中をまとめてみることにした。


元々独立心が強いというか、環境的には甘い環境で育ってはきているんやけど、「自分のことは自分で決めたい」という気持ちが強い子供だった。

いや、というより、「自分のやることを放っておいてほしい」子供だった。
乱暴な言い方をすれば、「私が自分で決めてやってることに口出しせんとってくれ」と思っていた。なんて可愛くない、そして甘ったれた子供なんだ…。。

だけど同時に、親の愛、期待をひしひしと、それはひしひしと感じていた。

親がどういう生き方を望んで、私がどういう発言・行動をしたら喜んで、安心するのかをわかっていて、それに長年自動対応していた。(あかん、書いてて泣きそう。)


親を悲しませてはいけない
親を安心させてあげなくてはいけない
親の望む人生を歩んであげないといけない


ずっとずっとそう思っていた。
なんなら今もその呪縛から完全には抜けきれずにに苦しんでいる。


『好きにやりたい自分』
『親を悲しませたくない自分』


どっちも確かに自分だから、自分の中で

「こうしたい」

「こうしなきゃ」

の区別をつけることが苦手なまま、大人になってしまった。


進学や就職、結婚。

そこにあった数々の、「こうしたい」と「こうしなきゃ」。

「こうしなきゃ」と思ってとった行動を、私は「これは自分で決めてやったこと。だから私は“私の希望”を叶えてあげている。自分のやりたいようにやっているんだ。」と信じて疑わなかった。


だけど一人暮らしをし、色々な価値観の人と話し、自分の内面と対峙したりしているうちに、
「頭で判断して取った行動」と、「心で“やりたい”と思って取った行動」
が別ものなんだということに、恥ずかしながら、ここ一年くらいでやっと気がつくことができた。




両親のことは好きだから、
「あ、このパンお父さんが好きそう」
と思ったら買って急に持って行くこともある。
そして渡して10分くらいですぐ家を出る。

私だって、両親を気にかけてはいる。
元気に暮らしていてほしい。

だけど、私の近況は聞かないでほしい。

近況を報告すると、その背景に想いをめぐらされるし、そこから今後のことも想像されて、あれこれ心配されてしまう。

それがほんとにほんとに苦痛。
友達にはペラペラと言えるのに。

(「親やねんから心配させたったらええやん!」と思うかもしれへんけど、そこそこいい子ちゃんが長かった私にとって、“親を心配させる”ということは禁忌事項になっているんやと思う。あぁ、これも根が深い問題や…。)

近況報告を求められて身構えてしまう理由に、やっぱり再婚のことがある。

一人の休日の話をしても、
誰かとどこかに行った話をしても、
誰かの近況を話しても、

すべて「現在、結婚前提で付き合っている男性はいるのか」方面に結び付けられてしまう。(もっと正しく言えば、親の心の中で自動的にその方面に結び付けられてしまっているのを私が感じ取ってしまう。つまり、親は、私に関してずっとそのことを気にかけているのだ。)
言葉ではっきり言われずに、声のトーンや電話の間などで感じるところがまた辛い。

本音を口に出せていない者同士だ。お互い大事に思っていることには変わりないのに。

特に再婚云々に関しては、母親からの強い想いを、どうしたってビシバシと感じないわけにはいかない。

母親は素直で天真爛漫で嘘が下手くそで可愛らしい人間。

娘の私に、口では
「もう再婚なんてしなくてもいいと思うよ!」
とは言ってくれるけど、兄夫婦と甥っ子がが来る時には
「ほら、○○もいつか子供を産むかもしれないんだから、その時のいい勉強になるでしょ。」
とか言っちゃう人。悪気はないんだけどな〜〜。気持ちがだだ漏れだよ〜〜。(苦笑)

もう、色々不器用な母親すぎて、私も会う度にあちこちの方向から胸が痛んで、母親の前では近況を話せなくなってしまった。
(その点父親は私と波長が同じ人間だから楽。“好きなようにしているんやね。良い良い。 ^^”という人間。)

すごく遠慮した感じで、でもすごく聞きたいんだろうなっていうのが分かる感じで「最近どうしてるの?」と聞かれると、

「親が喜ぶ近況を報告しなくっちゃ」

という気持ちが瞬時に沸き起こるけど、

「でも“喜ばせる回答”をしてしまったら今までの私と同じで、いつか耐えきれなくなって自爆する」
「でもほんとのこと言ったら色々想像・心配されてしまう」

そんな想いが脳内でぐるぐるしてしまって、結局はフリーズして、無表情で「別に…まぁ、それなりに…」
としか答えられなくなってしまう。友人の近況も一切話せなくなってしまった。つらい。そして我ながら面倒くさい。。


「どんな近況であっても、その都度一生懸命生きていることには変わりないから、近況の中身は聞かないでほしい。」(あかん、書いてて泣きそう②)

そんなこと言えないよ。

言えるような娘だったらこんなに色々こじらせてない。


実家に足が向かない原因、突き詰めるとそこはやっぱり私の心の問題だね。

私が向き合わなくてはいけない、私の心の問題。

親は、私を愛してくれている。
娘の幸せを望んでいる。(切望している。)

ただ、それだけ。

こんなに苦しいのは、私の中に「後ろめたさ」や「自己肯定感の低さ(=今の私で幸せなんだよ!と胸を張って言えない何か)」があるから。

そう、私の心の問題。

だからこそ、今までみたいに、親が喜ぶ回答を脊髄反射でしてしまってはいけないと思う。
そんなことしてたら一生自分を見失ったままだと思う。


実家に足を運べないこの気持ちは辛いけど、そこを掘り下げて、出てきた黒い塊たちを直視しなくてはならない。
いっこいっこ手に取って、潰していかなくてはならない。
いつまでも白い布を被せておくわけにはいかない。

・怖がり
・見栄っ張りでプライド高い
・ええかっこしい
・悪く思われたくない

優しい両親にさえ(だからこそ?)本当の自分を見せられない弱さ。

どういう形で落とし込むのが正解なのかは、現在模索中。もがき中。