その時は必ず来てそして必ず去って行く

頭の中でうるさい独り言たちを昇華させる場所としてOPEN!ようこそようこそ。

これから何度、意味のある寄り道を

2019-10-15 23:48:00 | 私と私の対談

ちょうど一年前の秋、失恋の痛手から引き寄せの法則にハマった。

本を読んだりネットで調べたりしている時は、痛みが紛れた。

ノートに書いたり思考を変えたりと引き寄せの法則に関係することをしている時は、前向きな気分でいられた。



でも、ほんとは怖かった。



おみくじが、引けなかった。


「今の私に怖いもの無しやし。笑 私にみくじりたいことなど無い。笑」


って笑ってたけど、ほんとは
「もし凶を引いたら」
と思うと怖くて引けなかった。


それくらいギリギリの精神状態で、

「私ってば幸せ!何もかも上手くいく!」

って言ってた。



怖い?



他人が見たら怖いかな。怖いよね。

今の私が当時の私を見たら、「怖い」じゃなくて、「痛々しくて可哀想」だよ。

アホくさいとも恥ずかしいとも思わない。
ほんとにギリギリやったんやな、って去年の自分のために胸を痛められる。なんなら泣ける。


で、気が済むまで引き寄せの法則やって、季節が変わって、5月にピタッと引き寄せノートを書く手が止まった。
特に何かがあった訳ではない。
気が済んだ。それだけっぽい。
飽きたのとも違う。やって良かったと思ってる。

そして興味深いことに、“引き寄せの法則への執着”がなくなった初夏から、どんどん生きやすくなってきている気がする。

なんか素の私になった。

ハロー・ニュートラル。

悲観もしてないし浮き足立ってもいない。

あぁ、やっと地に足が着いた…かな?

今ならおみくじ引ける。

凶が出たら、
「まーじか~!!。°(° ˆᴗˆ °)°。」
って笑えそうな気がする。


不思議だなぁ。

生活も仕事も何も変わってないし、似たようなもん食べて似たような服着てるのに、一年前の自分より今の自分の方が大好き。

一年前は、嫌いやってん。

嫌いから、普通と好きを通り越して大好きって、しかもその“大好き”は、頭で「自分を好きでいないと!」と思おうとして思っている“大好き”ではなくて、ナチュラルにニュートラルに“大好き”なんだ。

なんてこった。

なんでこんなことになったのか自分でも分からん。└(’ω’)」

これがいわゆる“日にち薬”ってやつ?
分からん。L(’ω’)┘


どうやら、人生のイベントなどなくても、人は日々生きる中で変われるみたいだ。

厳密に言えば、私を取り巻くものも私の表面も何も変わってなくて、変わったのは私の心だけ。(もっと厳密に言えば2kg増えているが。)

面白いなぁ。
だから人生って面白い。

「私が鳴こう、ホトトギス」

2019-09-16 15:51:49 | 私と私の対談
私はめんどくさい人間である。

前に、「我ながらめんどくさい奴やな〜」と思ったエピソードは、「飲みの席で出されたお題を持ち帰って後日答えた」こと。

お題について真剣に考え、一週間後にLINEで報告したのです。(もちろん自分も相手もとっくにシラフ)

相手が優しい(器の大きな)人物だったので、冷たくあしらわれることなく真面目に反応してもらえたから良かったけど…、、

ほんと私は人に恵まれている…。


いや今日は、「私はめんどくさい人間です」っていう話じゃなくて、その持ち帰ったお題が味わい深いものだったからここに残しておきたくなったんのす。

私にはラブぞっこんな相手がおるのだが、その時一緒に飲んでいたのはそいつの仲良しさんで、私とそいつの共通の知人。

なかなかの片想いに苦戦している私を見て、彼は

「あの子がホトトギスだとして、あなたは、“殺してしまえ”“鳴かせてみよう”“鳴くまで待とう”、どれなんですか?」

と、鶏をつまみながら私に問いました。


……私、沈黙。


あぁ、適当に答えられない性分。
。°(° ˆᴗˆ °)°。


「“殺してしまえ”ではないですよね?“鳴くまで待とう”だと思ってるんですが違いますか?」

(腕を組んで難しい顔をして、私)
「……分からない。」

偏屈オヤジか。
。°(° ˆᴗˆ °)°。


「ちょっとそれについては考えさせてください。」と、まさかの飲みの席で出たちょっとしたお題を持ち帰るという。客観的に見るとやっぱりちょっと変な人やな。


そうしてそのことを考えながら日々を過ごしているうちに、ピーン!と閃く私。

「分かった!!私は、“鳴かぬなら、私が鳴こうホトトギス”です!!」

と報告。

それについて熱く語りたかったけど、さすがにその押し付けは良くないよねと思い、その話はそこで終了。

あ、だからここで昇華させたくなったのか、私は。笑

その時生まれた

「私が鳴こう、ホトトギス」

これは、

「彼が振り向いてくれないなら私から告白しちゃうもんね!」

とかいう話ではなく、

“幸せ=ホトトギスが鳴くこと”

この方程式から疑ってかかろうや。 って話。


このお題を考え続けてたら、ある日

「なんで私はホトトギスが鳴かないと幸せになれないって思ってるんやろ」

ってハッとしたんよね。


「ホトトギスは鳴かない。じゃあ私は自分の力で幸せになったらええんやん。」

そう思ったから、「私が鳴こう、ホトトギス」。

そうやって私は私で楽しく幸せに鳴いてたらさ、なんかその場の空気も楽しい感じになってさ、ホトトギスも気が向いたら鳴くかもしれんやん。とか思っちゃったりしてさ。
う~ん、やっぱり私はつくづくめんどくさい人間やな。(鳴いてほしくはあるんだよもちろん。)

お団子食べたいのです。

2019-09-13 22:35:00 | 私と私の対談

「笑っていてほしい」と願う人が休みの日は、自分が仕事でもなんだか嬉しくなってしまう。



たっぷり寝られたかな。

疲れは取れたかな。

楽しい予定はあるのかな、きっとワクワクしてるんやろな。

たくさん笑えてたらいいな。



そんな想像をして心が温かくなる。母ちゃんか。



そんな日の前日は、職場を出た時に夜空を見上げて、

「ふぅ~、明日は休みだ!」

と笑顔になり、駐車場までスキップしたくなる。

あんた(私)は明日も仕事やっちゅうねん!


そんな自分に今まで何も感じたことはなかったけど、「HSPは自分の事と他人の事の境界が曖昧になりがち」ということを知って、目から鱗。
というか、「えっ、みんなはそんなことないの?('ω')」ってキョトン感の方が強いかな。


でもHSPやからどうとかではなくて、そんなんは全然重要なことでなくて、取るに足らないことで、ただ、ほんと


「明日はいい休日になったらいいね。」


って心の底から思うのです。


月が明るくて風が気持ち良い夜にそんな風に思えるということ、それは望んで得られるものではないのです。

生まれてから今までの毎日を生きた結果、そう思える自分がそこに存在しているのです。

それだけで、今までの選択あれこれが間違ってなかったって気がするのです。


それって幸せなのです。


お団子食べたいのです。

「その時は必ず来てそして必ず去って行く」について

2019-08-23 12:00:00 | 私と私の対談
「その時は必ず来て、そして必ず去って行く」

これは言わずもがなこのブログのタイトルなのですが、そこにはやっぱりタイトルにするだけの思い入れがありまして。

元々は、中学生の時に父親からかけられた言葉。

高校入試が終わって合格発表を待つ、あのなんとも気が気でない一週間。

「あ〜気になる。あ〜気になる。あ〜受かってんかなー落ちてんかなー。」
とそわそわが止まらない私(どんだけ危なかったんだ笑)に向かって、父が一言。



「…その時は必ず来て、そして必ず去って行く。」



……!!(゚ω゚)



この言葉について、父親からそれ以上は語られなかったと思うけど、15歳なりにその言葉を解釈した。


「ほんまや…。そわそわしてもしなくても絶対合格発表の日って来るし、一週間後には終わってる話なんや…。」


目から鱗でした。


この言葉がすっかりお気に入りになった私は、それ以降折にふれて自分に向かって使っているんやけど、まー使い勝手のいい言葉で。


私がこの言葉をどんな状況で使っているか、ザッと思い浮かぶのを挙げてみると…、、


*何かを心待ちにしてそわそわしている時

(心の声)
だいじょぶだいじょぶ、そんな前のめりにならんでもちゃんとその時はやって来るんやから、安心して今を生きたらええ。


*良いことがあって調子づいている時

(心の声)
今はうまくいってるけど、このままの状態は続かない。この上昇気流もいつかは終わることや。必ず去る。それを肝に命じて今どう生きるかを考えよ。


*嫌なことがあった時、失敗した時

(心の声)
だいじょぶだいじょぶ、今はこの世の終わりみたいに感じてるけど、この絶望もいつかは絶対終わるから。必ず去って、次の日常が回り出すから、大丈夫よ。


*憂鬱なことが待ち受けている時

(心の声)
そうだよね〜、気になるよね〜。何も手につかないよね〜。
でもね、絶対その日は来るねん。で、来たと思ったら終わってんねん。で、気がついたら過去になってるねん。
だから、まぁ気になる気持ちはそのままでええから、「絶対終わる」ってことは覚えとき。これでだいぶ気が楽になるから。



まぁ主にこんな感じかな。使い方としては。
(うまく機能することばかりじゃないけど。頭と心は別物だから。)

あ、引いた?
でもほんまに、私の頭の中いつもこんな感じです。喋ってても喋ってなくてもうるさい人間。笑
ぼ〜って顔して、頭の中でこんだけ喋ってんねん。そりゃ生きてるだけで疲れるわ。


「その時は必ず来て、そして必ず去って行く」

「慰め」としても「自戒」としても「冷や水」としても使えるこの言葉、人生に一つ持っておくと何かと便利やね。
(一時期、キュウソのHPの赤い文字がこれになってて嬉しかった思い出がある。笑)

HSPとの出会い、とか。

2019-08-18 11:26:52 | 私と私の対談
私がHSPと出会ったきっかけ。
それはほんと偶然やった。

婚活(←たった一ヶ月)に疲れ果ててもう辞めて、休日に家でダラダラする慶びを噛み締めていたころ、ネットで、“カンの鋭い人”について話している場を発見。

「カンの鋭い人…?なんや怖い響きやなぁ、そんな人が職場におったらたまらんなぁ…」

ちょっと勉強のつもりで読み進めていたところ、

「………えっ?これってカン鋭いん??普通ちゃうん??え、私まさかそっち側の人…??」

もう、心ざわざわっすよ。

「職場でピリピリしている人がいると自分の仕事が手につかない、とか、これ万人共通のことじゃないん…!!?」

もう、衝撃っすよ。

そしてその中でちょいちょい出てきていた“HSP”という言葉。

「HSPの人とかカン鋭いよね〜」
「私HSPだから〜」

??となった私は、貼られていたリンクで勉強

「ハイリティ…?センシティブ…?パーソン…?」

(HSP(Highly Sensitive Person)とは、人一倍繊細で人の気持ちや光・音・香りなどの刺激に敏感な人たちを表す概念で、全人口の15~20%は生まれつきこの気質(≠病気)を持つといわれている、とのこと。)

よくわからないまま、またもそこに貼られていたリンクで自己診断。
「HSP診断テスト」
…もうね、診断テストしているときから衝撃で胸がドキドキと。。

な〜んとなく自分の性格、体質やと思っていたことが、この診断テストでは“HSP”という括りにまとめられている…!!

・威圧的な人がいると萎縮してしまう
・音楽や風景に感動しがち
・働いているところを見られていると緊張してミスが増える
・カフェインで体調をくずす
・人と会うとどっと疲れる
・鼻がいい
・すぐにびっくり仰天しがち
・ある事をしている時に別件で話しかけられるとイラッとする
・やることが沢山あるとまいってしまう
・ニュース、バラエティ番組がしんどい
・ルーティン大事。イレギュラーは避けたい。穏やかな生活最優先。
・気圧の変化で体調を崩す

↑これらの、どこが一体「ある気質で結びつけられることができる」と思う!?

どれもいたって小さな、個人的な体質、性格に関わることやと思っていて気に留めないものやと思う。(いやむしろ特に認識するほどでもなく、「これが私の普通」やと思っていた。)

案の定診断テストでは「あなたはHSPですよ〜」となり、

そこからいっぺんに興味が湧き、調べるようになったというわけです。

思えば昔、朝食の席で父親がめくる新聞のにおいが気持ち悪くてつらかったり、

合わなかった職場では
「だってみんなの色んな思惑、顔はこうやけどこう思ってるからああいう行動をするとか、誰と誰の会話がどういう風に食い違っているとか、どう思われたいからああいう声の出し方をするとか、そういうのが部屋の中に充満してて息苦しくってそれが嫌やねん!」
と言っていた。

「そうなのか…。そういう気質があるのか…。」

HSP存在を知って何より良かったことは、やっぱり

「何かと生きづらいと思えていたのは、自分がダメ人間のせいだからだと思っていたけれど、そうじゃなくて生まれつきの気質による部分が大きかったんだ」

ということに気がつけたこと。

どれだけ衝撃だったことか(何回言う)。


例えば、私はめいっぱい遊べない。

周りの人は、休日をめいっぱい使って遊んでる。
退社後に友達とご飯に行ったりしている。

そんなこと、私には心身共にしんどくて出来ない。
脳内→なんて体力のない人間なんだろう。仕事で全パワー使い切ってその後に予定を入れられないなんて、なんて周りと比べて劣っているんだろう。。。

遊ぶとしても、体を休める余白、一人でホッとする余白、家事をしてウィークデーに備える余白、これらの余白を確保してからでないと予定を入れられない。その余白が減ってくると、焦りと不安で楽しめない。
脳内→他の人はパワフルに遊んでいるのに、なんて私はビビりで体力なくて時間のやりくりが下手なヘタレなんだろう。。。

そんな感じで、
「他の人が楽しそうにやっていることが、私にはしんどくてできない」
ことが多く、それを目の当たりにする度に
「なんで私はこんなんなんだろう。情けない…。しくしく…。」
という風に落ち込んでいた。

びっくりすること、ショックを受けることも多くて、ニュースを見るのも辛い、勝ち負けがつくことを見るのも辛い、雨が降っても辛い、職場がいつもと違う状況だったら辛い、、、

でも周りの人も、ある程度はそうやと思っててん。

みんなこんな感じで日々つらいことがいっぱいあって、でもそれを乗り越えたり我慢したり折り合いをつけた上で、笑って仕事をしたり遊んだりしていると思っててん。

だからよく、大学〜卒業してすぐくらいは
「生きてるとしんどいことだらけやん!?みんな、どうやってこのしんどさを乗り越えてるん!?日々いっぱいあるしんどいこと、どうやって消化して生きていってるん!?涙」
と、仲良い友達には飲みの席で言ったりしてたもんだ。

みんながみんなこのしんどさを乗り越えて逞しく生きていると思っていたけど…、

どうやらそうとも言えないみたいだ。

と分かった時の衝撃よ(しつこく言う)。


HSPの人は5人に1人いる。
だから、しんどさを乗り越えて我慢して何とか社会でやっていっている人も、たくさんいる。
でも、私がしいんどいと思うことをしんどいと思わない人も、たくさんいる。

だから、“その人にとってしんどくない事”が出来ない私を、ヘタレと決めつけるのは違うようだ。

同じことでも私にとっては負担レベルが違うから、「しんどいっす!」と言ってもおかしくないんや。


その気づきは、私を、「私はダメ人間である!」の部屋から救い出したね…。

もっと早く知っていれば、もっと違う形の今があったと思う。
何かを強く感じた時に、「いや、でもこの人は私と同じように感じていないのかもしれない」と思えていたら、発言や行動も変わっていただろう。

でも、「今」知ったことには意味があると思う。

31年で散々サンプリングしてきたから、ものすご〜く身に沁みて実感できる。

これを知ったことによって、「私」という人間そのものは何にも変わらない。
「私」を構成する一つの要素としてHSP気質が備わっていた、というだけで、新たに私に何かをくっつけるわけじゃないし。

ただ、このHSP気質の持ち主の私が、「私はこういう気質をもっている」という自覚があるのとないのじゃ、身の振り方も変わってくる。

本やネットで調べたら、HSPの人が陥りがちなことやそれを回避したり活かしたりする方法がたくさん出てくる。

それを事前にインプットしておけば、今までだったら
「あかんー!しんどいー!私はダメ人間だ〜〜!」
となっていたことも、
「今日は低気圧だからこの反応が出るのは自然だね。耳栓をして対処すれば楽になるから大丈夫。」
と、客観視して冷静に対応できるようになる。

加えて、ありがたいのはこのネット社会。

HSPは5人に1人とはいえ、現実社会で関わる人には
「私繊細なんですよー!すぐへばったりしちゃうんですが、それはしょうがないんですよ〜〜!」
とは言えないもの。(言える世の中になったらいいね)

そんな「しんどいけど言えない」を抱えたHSPの人がネット上、SNS上ではたくさんいて、しんどい気持ちを共有できる。一人じゃないんだって思える。

「負けた方を見るのがつらくて高校野球を観られない」
と言えば、「わかる!」と言ってくれる人がいる。

しんどいことだけじゃなくて、
「空が綺麗」
「この一言が嬉しすぎた」
とか、そういう小さな(でも大きな)感動や喜びを、同じ温度で「ほんとだね!」と言ってくれる人がいる。

今まで、しんどい情報ばっかりキャッチしてしまうSNSは苦手やったけど、意志と目的を持って使えばこんなに心にいい影響があるんだなって、これはHSPのおかげで知ることができた。

HSPは、良い悪いとかいうものではない。

あくまで、自分という者を深く知るための参考文献の一つやと思う。


まだまだHSPについては初心者やけど、「私」とは生まれてからの長い付き合いやから、
「私ってこうだよな」と、「HSPとはこういうものらしい」という知識を融合して総動員して、最っ高の余生にしてやろうと思う。