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江戸だろうが令和だろうが私一人分の一生を

2020-11-03 16:29:00 | 私と私の対談

最近、


「現代人が一日で受け取る情報は江戸時代の人の一生分」


という言葉を目にして、それがずっと心に残っている。


この言葉のどこに反応するかは人それぞれだろうけど。


「江戸時代の人の生活は、同じようなことの繰り返しだった」のだろう。


「同じことの繰り返しの日々」というフレーズは、現代ではマイナスのニュアンスで使われる。


そうなんかな、あかんことなんかな、


って、心に問い続けている自分がいる。



情報をたくさん持っていても不幸な人もいるだろう。

もちろん江戸時代を幸せに生きた人もいるわけで。



ちょっとスマホを触れば、人と会えば、たくさんの情報が流れ込んでくる。


それに対応出来る人はいい。

上手く捌き、取り入れ、学び、批判し、成長し、繋がれるだろう。


でも、そんな人ばっかりじゃないから。



新しい事がわっと入ってくると、キャパ越えしてしまう人もいる。はい、私。


「情報過多によるキャパ越えって、一体なんだ?()


と自分でも呆れるのであるが、でも実際脳みそがパンクするような感覚になるのだ。


どうして情報を入れると暗い気持ちになるのか考えてみたところ、原因は「焦り」だ。 


毎日誰かの一生分の情報が当たり前に” 流れ込んできたら、そりゃ「あぁ、私にはもっとすべき事があるのに全然出来ていない、私はダメ人間だ」 と思ってしまうのも無理ないよ。


でも冷静に考えようよ。


私は一人。


どうやったって一人分の人生しか送れないんだから、胸を張って一人分の人生を送ればいい。


もちろん、欲張っても良いのかもしれない。

せっかくたくさんの情報を得られる現代に生きてるんだから。

それが出来る人はそうした方が楽しいし、より納得できる一人分の人生を歩めるでしょう。


「どうやらそういう生き方はしんどいみたい(・∀・)


という私は、情報との付き合い方、情報を得た時に焦る自分との付き合い方を分かっておかなきゃだ。



情報をなるべく入れないように、心に不穏な波を立てないよう意識している私の生活は、周りから見たらひどく単調でつまらなく見えると思う。


でもね、紅茶の味が、天気によって違うんだよ。


道端に落ちている犬の糞が、日に日に微生物に分解されてゆく様子を見て、感動するんだよ。


「こんな所にいたら危ない」と思って移動させた芋虫が、夜に同じ場所で死んでいるのを見て、自責と後悔と人のエゴと虫の一生に想いをめぐらせてるんだよ。


そういうことにいちいち震える自分の心を、私は大切にしたいんだ。


そんな心、他の人の目にはなんにも映らないけど。

でもそこを手放したら、そこの感度を下げたら、私は自分の人生を生きられないと確信している。


情報を無理して追って、無理して適用しようとして、心の感度を下げるようなことになるなら、私には要らないや。




欲張らずに、自然と自分の手が伸びる情報を手に取って、同じようなことの繰り返しの日々の中で心を震わせて、私の一生を生きたらいい。