MIKIとMAKIな日々

2009年12月9日、MIKIちゃんのママになりました。
2012年12月25日 MAKIちゃんのママになりました。

出産

2009-12-17 16:58:11 | 日記
12月9日 17時3分に2900グラムの女の子 未來(みき)を出産しました。

もともと9日は臍帯の血流や私の浮腫具合のため外来予約が入っており、どうもそのまま入院→陣痛促進剤→出産の段取りになっていたっぽい。。

だんなさんが立ち会うにも9日が都合が良く、前夜、おなかの中のベビーに向かって、「陣痛促進剤嫌よねー、辛いらしいよ。今晩産気づこうや~、パパの都合も良いらしいし。。」
と語りかけ、本当にその数時間後に産気づいた。。。

なんて物分りの良いわが子!!

午前2時頃、生理痛のようなもので目が覚める。
でも、数日前から度々前駆陣痛はあったから、「またか・・」
と思いつつ寝てたら

つーーー。。っっと何かが出る感じが!!

もしや??と思いトイレに行くと、
「うわーー、破水して出血までしてる!!」

陣痛間隔も測っていると、すでに8分間隔。

幸い、少量の破水で、すぐにベビーの頭で蓋をしてくれたみたい。

病院に電話すると陣痛が1時間以上持続してまた℡くださいとのこと。

1時間測っている間に6分間隔くらいになってきた。

先週の検診で3センチ開いてたから早いかも~~、と思って再度病院に電話し、入院の準備をしていざ出発。

午前5時すぎに陣痛室に入室。程なくしてだんなさん到着。

病院で朝食が出たけど、この頃はまだ笑って談笑できる余裕があった。
8時頃には6センチに開いたから超安産かも~~って言っていたのに、ここからが辛かった・・

10時頃にはだんなさんの問いかけに「うん」、「ううん」しか言えなくなり、ここから一向に子宮口が開いてくれない。

陣痛と陣痛の間にひどい睡魔に襲われ、寝てしまうと陣痛が遠のいてしまう。。
昼食もできるだけ食べてね、、と看護師さんに言われたが、つわりのように匂いで吐きそうになり、別室でだんなさんに食べてもらう。

胃液が度々上がり、差し入れのパンも食べれず。。

「最後に体力無くなるとしんどいから何か食べて」と困る看護師さん。
だんなさんが再度買出しに行ってくれ、アイスの「爽」を7割食べることができた。

陣痛の痛みをソフロロジーの呼吸法で逃がすため、口も喉もカラカラ。
アイスが喉を潤してくれてすごくおいしかった。。

子宮口を柔らかくする注射をおしりに打たれ、それでも6センチから8センチまで開くのに5時間かかり、15時頃、ついに「微弱陣痛」との診断が!!

同意書を書かされ、とうとう陣痛促進剤。

陣痛は腰と恥骨が粉砕骨折しそうなほど痛かったけど、一番辛かったのが、陣痛促進剤で一気に進み、「もう生んでしまいたい!!」っていうほどいきみ逃しがしんどかったこと。。

「あふぅ!!」
と今まで耐えていた叫びが出て、ついに分娩台に。

どんなに痛いんだろうと覚悟していたのだけど、分娩台に乗ってからは正直、痛みを覚えていない。。

「やっといきんでいいのね!!」
「もうすぐ終わる」
「もうすぐベビーに会える」

という励みがあったのか、すごく冷静に、叫ぶこともなく、初産にしてはソフロロジーの呼吸法もうまくいってスムーズに出産でき、厳しい看護師長さんにも「上手よ!!」とほめられた!!

事実、録画を後からみたら「スーーーー」っていう呼吸法しか私の声は入ってなく、結果、15時間かかったけど安産でした。

後から先生に「分娩台の上に乗ってからは痛くなかった」って言ったら「えっ?」ってビックリされた。

生まれてからすぐにキレイにする前に抱かせてもらい、キレイな赤ちゃんでビックリ。もっとシワシワで体脂とかベットリ。。と思っていたらツルッとしてた。

その後2時間カンガルーケア。至福の時間。

お産が終わったら痛みから解放!!と期待していたのに、予測に反して痛かった!!

胎盤を剥がすのも痛かったし、後陣痛もかなりのもの。それに縫ってるし・・。
ボルタレンが効かず。。

夕食も食べれず、だんなさんに食べてもらい、だんなさん帰宅。
疲れているのに夜は全く寝れず。。

看護師さんの話では出産後はホルモンが急激に変わるため、2日くらい寝れないらしい。

ベビーを生んだ実感が全くなく、ペタンコになったお腹が寂しい。。
ベビーはだんなさんに激似で、だんなさんデレデレ。。

仕事が忙しいハズなのに毎日会いに来てくれた。

入院期間は5日間で実質、3日しかお世話に慣れる時間がなく、母子別室だけど結構忙しかったなぁ。。

そんなこんなで無事、13日に退院しました。
今は寝れない日々に奮闘中。。