MIKIとMAKIな日々

2009年12月9日、MIKIちゃんのママになりました。
2012年12月25日 MAKIちゃんのママになりました。

電車さん大好き

2012-03-29 13:04:08 | 二歳三ヶ月
ミキさんは電車さんが大好きです

これも、保育園の送り迎え時に踏み切りを通るので、待ち時間にぐずらせないように

「電車さん、どっちからくるかね~?」

「電車さん、ばいば~い」

と教えていたら、いつの間にか大好きになっていました

で、一昨日、踏切を通っていたら、

電車さんがいない~~~と泣き喚いたので

しぶしぶ、社宅内の一番端の線路の前まで行ってみました。。
(普段は電車の騒音がイヤだけど、こういう時は線路が近くて便利



機嫌も直り、走るミキさん。随分速くなりました。


踏切の音が聞こえ始めると、

「あっち(から来る)」と予言するミキさん。


独身の時に電車に乗っていると、よく電車見ている親子とか見かけていたけど、

自分もそうなるとは・・

待ち時間は木の実を採って潰して、ママのコートはクリーニング行きに。。


でも、日が長くなってきたので、公園でも顔見知りの親子とかと一緒に遊べたり、

こういうゆったりしてミキさんと遊ぶことができるので、

春になったと実感

あれから半年・・

2012-03-27 21:29:42 | 二歳三ヶ月
3月27日、父が亡くなってから早いもので半年が経ちました。

実は父の命日は、ミキさんの妹か、弟か分からなかったけど、一卵性の双子ちゃんの命日でも

あります。

正確にいうと、父が亡くなる3日前にお腹の中で心拍が止まっていることを確認しました。

父が生きている間に孫ができたことを報告して嬉しかったけど、

予想外の出来事。

母から伝えてもらうと、父は「ダメだったんか~」

と残念そうに言ったそうです。

さすがに私もショックが大きくて、まさか父が数日後に亡くなるとは夢にも

思わなかったので、その日は顔を見せに病院に行くことができず、

その翌日に見舞いに行くと、父はそのことには触れず、帰る間際、

なんと私に声をかけていいか分からない複雑な表情をして無言で見送ってくれました。

・・・それが父との最後のやりとりになってしまった・・。

急変の知らせを受け、病院に駆けつけ、父を看取った後、

産婦人科に行き、双子ちゃんの心拍停止を再確認。

9月27日に私は実父と、双子、三人分の死亡宣告を受けました。

それからは悲しみに浸る余裕もないくらい忙しく、ミキの時は吐きつわりだったけど、

双子ちゃんの時は少しでも胃に余裕ができると気持ち悪くなる

食べつわりで、子宮内胎児死亡の場合でも胎盤はあるので

悪阻が続いていて、結構それが回りに分からないように必死で普通に振舞ってたな。。

なんだかその時は絶望的な悲しみよりも、父と双子ちゃんと一緒だから

寂しくないね・・って思えて、逆に私が慰められた感じだった。。

父の葬儀から3日後、流産手術を受けたり、一週間の間に一年分の出来事が

あったような感じで、今思うとすごい精神状態だったけど、ミキさんいるおかげで

あまり考え込まずにすんだし、仕事をしていたから楽だった部分もあった。。

でも、直後よりも日が経つにつれ、日に日に悲しみが大きくなって

夜、皆が寝た後に涙が出て不眠になったり、保育所と職場の間の1人の運転中に

涙が出たり。。。


双子ちゃんの妊娠のことは極々一部の人にしか言ってなくて、

葬儀に駆けつけてくれた親戚にも全然知らせてなかった。。

なので双子ちゃんの話は、父のせいで流産した。。と言われたくなくて
(双子ちゃんの体の大きさが違ったので、母体が原因では無いと言われました)

タブー的な感じだったけど、それがなんだか最近私の中でもやもやしてきて、

確かに私のお腹にいたんだから、存在を隠されるのは可哀想!!っていうことで

今日のこの日記になりました。。



自分が思っているより、ストレスは大きいみたいで、

平気そうに振舞っているけど、体は正直でストレスが原因でちょっと不調。。

で、只今通院中の身。。

(鬱とか精神科的なものではないので大丈夫!)


双子ちゃんの妊娠が分かってすぐに少量の出血があって、切迫流産で

休職して自宅安静の日々になったけど、ミキさんの時も同じことがあって

すごく両親には心配をかけたので、これ以上心配をかけたくなくて、

両親には切迫であること、シゴトを休んでいることを知らせず、

普通に過ごしているフリをしていた。。

その時は父も入院していなくて自宅にいたので、

ちゃんと事情を話して私も実家で過ごしていたら、

父ともっと一緒に過ごせたのに。。

フルタイムでシゴトをしている私に、双子ちゃんが父と過ごす時間を作って

くれたのに、無駄にしてしまった。。。

等など、布団の中で考えてしまうと今でも涙が出てしまうのです。。

色々と辛い経験したけど、同時にトモダチや周りの人の温かさにも

たくさん触れた半年でした。

早く元気になあれ。私。

パパとみきさん。

2012-03-26 23:10:38 | 二歳三ヶ月
先週の土曜日、私は母校の同窓会役員のため、バザーの品などを運ばないといけないので

ミキさんを二時間くらいよろしく。。とダンナさんに頼むと、

「お母さんに頼めば!」と母に頼りきっている。。

しばしバトルした結果、

ダンナ「じゃあ分かった!ミキは土日、自分が大島(山口県にある田舎)で面倒みる!」

とのこと。。

あの~~、頼んだのは二時間程度なのですが。。

そこからは、

私「やっぱり連れて参加するからいい!」という私に

ダンナさんはすっかり土日自分がみるつもりに。。

一度決めたら揺るがないヒトなのですが・・・

数時間頼んだハズが、一泊二日だなんて、両極端すぎる~~。

私「ミキとそんなに土日に離れるのは寂しい」

ダンナ「大丈夫よ。ゆっくりしんちゃい」

とのこと。。

でも、ミキさんは夜、私がいないとダメだし、、と、いてもたってもいられなくなり、

夕方、ミキは機嫌いいから大丈夫!!というダンナさんの電話を切った後、

結局車で二時間近くかけ、大島まで行っちゃいました。。

もっと距離が離れていたら諦めもついたんだろうけど、

結局私がミキさんと離れることができずにはるばる行っちゃいました。。

が、到着した20時半にはすでに寝ていた。。。(ダンナさんの腕枕で。。)

普段21時すぎでもキャーキャー走り回っているのに。。

夜中、目が覚めたミキさんが私に気付いて、両手で私のほっぺたを

なでくりまわし、

私の首に両手を回してギューしてくれました。

今、私が一番幸せを感じる時間は、ミキさんと寄り添って寝ている時。。

まだまだ夜泣きもするけど、0~1回に減ってきた。。

まだまだ子離れできない私なのでした。。

みきさんとじーちゃん。

2012-03-23 23:11:41 | 二歳三ヶ月
私の父が亡くなったのはミキさんが一歳9ヶ月の時。。

もうすぐ半年になるけど、嬉しいことに、ミキさん、じーちゃんの記憶がまだ鮮明に残っています。

亡くなってすぐの頃、

「みきさん、じーちゃんは?」と聞くと困った顔をしていたミキさん。

子供にはよく大人には見えないものが見える。。とか言うので

信じるほうではないけど、なんとなく

「ミキさん、じーちゃんどこ?」と聞くと、

いつの間にか

「ココ」と笑顔で自分の心臓のあたりをトントン指差すようになりました。

私も母もビックリして、

実家では「じーちゃんは?」と聞くと、遺影を指差して「ココ」というけど、

実家以外では、胸をトントン指差して「ココにいる」と言うのです。。


母と、なんでかねー?誰も教えてないのにね。。とか言ってたら、

先日、父が大好きで、生前、よく週末を過ごしていた大島に帰った途端、

「ミキさん、じーちゃんは?」と聞くと

キョロキョロして、「いない」と言うのです。。

大島には友達がたくさんいるので、父はそちらに行ったのかな~・・

って思っていたら、それから何週間たっても、ミキさんは

「じーちゃんはあっち!」と言い、もう二度と胸をトントン指差すことをしなくなりました。

すごく不思議だけど、ミキさんには感じてたのかな。。

私はそういうの、全然信じるほうではないけど、

3月10日の朝日新聞に、津波で祖母を亡くした小学生の男の子の兄弟が

ミキさんと同じようなことをしているという記事を読み、ビックリしました。

今は、なるべくミキさんに父の記憶を持続させることが私の役割。

なるべく長く、覚えていてほしいです。

岡山ランチ

2012-03-22 12:43:33 | 二歳三ヶ月
3月18日、久々に岡山で大学時代の友人たちとランチをすることになり、

ミキさんと二人で新幹線乗って行ってきました

みきさんは新幹線大好きなので、ホームに新幹線が入ってたきた時に

おっ!と声を出し大興奮。

電車好きなので移動も楽々になりました♥

お店も個室で、友達の子供もみきさんと5ヶ月違いで一緒にお絵かきしたり

気が合うようで、私は久々に集まった友人達と楽しいひと時を過ごしました★

今回、みきさんが友人の子供ちゃんから借りた

アンパンマンのことばずかん。

かなり気に入ってました。

買ってあげたい病がウズウズ。。