恋ヶ窪、なんとなくロマンチックな呼び名です。この「恋ヶ窪」という地名はどうしてつけられたのでしょうか?恋ヶ窪の由来には様々な説があります。1、武蔵の国の国府に近い窪地だから(国府ヶ窪)。 2、池に鯉が多くいた(鯉ヶ窪)。 3、アイヌ語で崖は「カイ」なので「崖(カイ)ヶ窪」。
いろんな説があるようですが、だからどうだ、どれが正解とか追及するつもりはありません。それより、以下のような悲恋物語がこの地に残っていることをうれしく思っています。
「恋ヶ窪悲恋物語」
平安時代末期、恋ヶ窪は鎌倉へ通じる鎌倉街道の宿場町として栄えていた。この宿場で武蔵国男衾郡畠山荘の武士「畠山重忠(はたけやましげただ)」と恋ヶ窪宿の遊女「夙妻太夫(あさづまたゆう)」の恋物語です。重忠は源義経の平家討伐のために西国に出陣の命を受け、深い愛情で結ばれていた太夫に別れを告げ、旅立っていった。一人残された夙妻太夫は待てど帰らぬ重忠を思い、泣いて暮らす日々を送っていた。そんな太夫に熱を上げていたもう一人の男が、太夫の気を引こうと思って「重忠が西国で戦死した」と嘘をついてあきらめさせようとした。夙妻太夫は絶え入るばかりに泣き伏して、近くの「姿見の池」に身を投じたと伝えられる。近くの東福寺には夙妻太夫の傾城墓碑と太夫の思いの籠った「一葉の松」がある。そんなロマンあふれる名前なのです。
ちなみに日本の鉄道の駅のなかで「恋」のつく駅が4つあるとのこと。西武鉄道「恋ヶ窪駅」、三陸鉄道「恋し浜駅」、智頭急行「恋山形駅」、北海道室蘭本線「母恋(ぼこい)駅」
(出典 恋ヶ窪商店街ホームページ他)