岩手へのちょい旅。
2日目は,盛岡市内にある志波城古代公園へ行ってみました。
ココ,歴史の授業で名前くらいは聞いた覚えがあったけど,
よく分からずに,でもいつも実家に帰る時に高速道路から
見える場所なので,この大きな門や土塀,やぐらなどが気
ちょっとになってはおりました。
志波城の歴史は実に古く,時代でいうと平安初期の西暦803年,
桓武天皇から命をうけた坂上田村麻呂が造営した「城柵」とよばれる
行政と軍事の拠点となる役所なんだそうです。
1976年,東北自動車道建設中に発見された遺跡なのだ
そうで,ご覧のとおり航空写真(床に貼ってあるのね)で
見るとものすごい巨大・広大な遺跡だってのが分かります。
外郭南門から「お邪魔しま~す」
入ってびっくりしたのが,城柵の中に竪穴式住居!!
兵舎として2000棟もあったのだそうですよ。
中には釜戸と煙突があって意外に近代的でビックリしたよ。
縄文の竪穴式とはちょっと違う感じなのです。
驚いたのは,南門から政庁までの大路を一般道が横切って
いるっていうこと。
上の写真の左手に車が走っているのが見えますか?
どうやら地元の人の生活道路になっているみたいで,
遺跡の中に車,というタイムスリップorワープしてる感じで,
なんだか不思議でした。
こちらは大路の先,政庁の南門です。
この中で行政にまつわる様々な儀式が行われていたそうです。
坂上田村麻呂さんは天皇から蝦夷討伐の命を受けてこの地を
平定にやってきたわけですが,意外や意外,武力で支配する道
ではなく,蝦夷との共存を目指したということです。
蝦夷たちもまた,田村麻呂さんのことを慕っていて,
朝廷と共に歩み,志波城の建設に協力的だったのだそうです。
今は正殿のあった場所が分かるだけで何もないのですが,
蝦夷たちを政庁に招きもてなす「饗給(きょうごう)」と呼ばれる
儀式がここで度々行われたそうです。
こんなのが建ってたらしいですよ,古代のこの地に。
私は平泉の歴史はとっても好きで,中学生のころから
よく本を読んだり調べたりしていたけれど,それよりも
はるか200年も前にこの地にこんなものが建っていた
なんて,驚きでした。
陸奥の歴史って,なんて力強く,なんて劇的なのだろう,
と改めて感じさせられました。
連休中にも関わらず,混雑していないし,じっくりと
学ぶことができたし,大満足っっ!!
まだまだ整備途中で,これからも色々と復元工事を
していくらしいので,ぜひまた来たいと思います。