こゝはこれみちのくなれば七月の終りといふにそらふかむなり 宮沢賢治
この「ふかむ」も「ふかまる」を古語に変換した例だろう。
「なり」は断定ではなく伝聞・推定の助動詞なのだろう。伝聞の「なり」なら終止形につく。「~らしい」「~ようだ」などと訳す。断定の助動詞「なり」ならば体言や連体形につく。
こういう作例があることによって言語が変っていくのだとみるべきか。それとも単純に作者のミスかあるいは未推敲と考えるべきか。
ここはこれみちのくなれば七月の終りなれども深き空なり 揺之
推敲してみたが、賢治の方がいいようだ。