汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
今日は中也である。
「夢む」はどう考えても「夢みる」だろう。だがこういうことばは古語にはない。
作者の造語である。
こういう造語がどこまで許されるのかが問題だ。
しかし「夢みる」であれば全体のリズムが壊れる。ここはどうしても「夢む」のほうがいい。
読んで読者に通じればいいという感じもしないでもない。
情けなきうれひけがれてゆくみちも夢見に消えぬ今朝の光は 揺之