kokoronomado

日常のあれこれを、心のままに残しています。

唄うこと

2006-09-17 08:59:32 | 
昨夜、1時間ほどソファーで居眠りをしてしまって、目が覚めたら歌舞伎町で働く人たちの特集みたいのをやっていた。色んな人生を生き抜く人たちの集まり、歌舞伎町。

その中で、一人のシャンソン歌手の紹介をしていた。
35歳でシャンソンと出会い、60歳でCDデビュー。全国から彼のシャンソンを聴きにくるという、そんな彼の歌に魅了された人の一人が、こんなことを言っていた。

彼の歌は「心に体の中に言葉がしみてくる、残る」って。
そう、私も常日頃思っていること。そんな風に聴いている人の心に届く歌が唄えたら嬉しい。そんな伝え方が出来るようになりたい。

最近はあまり思い出すこともなかった昔の私。
昨晩から、少しずつ思い出される色んな場面。

小さい頃から唄うことが大好きで(歌が好きな母の影響がかなり大きかったかも)、気がつくと唄っていた。
小学生の頃、引越しして間もないというのに、私の唄う声はご近所さんにも届いていたらしい。
一緒に遊んでいた1学年年下の「あやちゃん」のお母さんから、テレビにでてみたらと
その頃、結構人気だったかと思う子供の歌番組「おはようこどもショー」の応募先を手渡された。
当時の私は、今ほど図々しくはなく、人前で唄うことが恥ずかしかった。それでも、勇気を持ってオーディションを受けにいった。すごい人数でビックリしたのを、いまでも覚えている。

オーディションは、その場にいるピアノさんが弾いてくれるピアノ伴奏で唄い、審査される。その審査を2度受けに行って、そしてカメラの前で歌うことに。
テレビで放映された翌日、学校を歩いているだけで、振り向き立ち止まる生徒を何人もみた。みんなやっぱり見てるんだ、あの番組。顔から火が出るほど恥ずかしいような、でも、ちょっと嬉しいような複雑な感情を覚えた。

小学校4年生からコーラス部に所属。パートはソプラノ。
ソプラノは、高音で澄んだ声で表現する。コーラスで唄う時は、低音部も含め全て裏声。
高校3年までコーラスできた私には、そんな唄い方が、身についてしまった。別の唄い方が出来なくなっていたことに、後に気づくことになる。

先にも書いたように、小さい頃から私はいつも唄っていた。
話をしていても、その話している言葉から歌が浮かんで口ずさむ。
学生の頃、お付き合いをしていた人から怒られたことがあった。
「一緒に歩いている時に唄うのはやめてくれ」
「いかれた奴といるように見られるよ」
ん。。。確かにそうだよね。歩きながら唄っている人がいたら、頭がちょっとやられてる?って思うよね。
でも、それほど体中から溢れてくる何かを抑えきれずにいたんだよね。
そして、人前で唄うのが恥ずかしいと思っていた幼い頃の姿は、既になくなっていたのでした。
この頃口ずさんでいた歌を、ここ数年で記憶を呼び起こし書き留めている。

だけど、これほど唄うことが好きでも、それすら忘れてしまうほどの状況に陥ってしまうこともあるんだよね。以後、ある時から唄うことをしなくなった長い期間がある。

唄うことは自己表現でもあり、自分の感じるものを伝える手段でもある。それは、自分の身に起きたことだけじゃなく、目にしたこと、聞いたことなど全てを含む。
表現の仕方は人それぞれだけど、私は唄うことで表現しているときが一番素直な自分。

いろんな思いを振り払い、忘れていた感覚を呼び起こされたのが、あるお店で定期的に行っていたライブへ足を運ぶようになってからであった。
それからは、忘れていた気持ちを取り戻し、歌うことへの喜びを再び取り戻すことに。
そして、ボイストレーニングを受けることにより、自分の気持ちを表現できる声の出し方がわかり、歌うことが楽しいと再び思えるようになった。

今は、唄うことが自分の生活の一部であるように思え、幸せなのであります。


慌ただしい一日

2006-09-17 01:02:48 | インポート
休みだったはずの今日、理事長、社長との打ち合せが入り、相手が相手だけに出勤しないわけにもいかす仕事に。

それでも、夕方からある「噺場でのBAKUさんのライブ」には遅れないぞ~と、引き出しに書類を押し込み、行ってきました(^^)v

とは言っても、夜は施設の緊急時連絡網による召集で出勤しなくちゃならないし。。。後半は聴けなかった、残念(T_T)

そんな忙しさへのご褒美はケーキでした。理事長が集まった職員へと用意くださったものです。
気持ちはあり難く嬉しいけど、やっぱりライブ、最後までいたかったなぁ☆HITOMI☆