身近な人がある日からおかしくなる。とっても辛いことです。今までとは何か別の人になってしまう。それまでの幸せな生活にひびが入り、何かがずれて行く。今日は大丈夫かなと不安がいつも心にあり、なかなか落着けない日々。自分がわるかったのか、或いはあの出来事、いじめ、学校、職場、上司、あいつ・・・そんな悪者にしたい者の顔が浮かび、そしていつの間にか非難を心の中で繰り返し、そして疲れる日々。日々、臨戦態勢。敵がどこからやってくるかも、どんな出来事が起こるのかもわからない。とりとめも無いことを言われて、それに答えては口論になり、なかなか分かり合えない思い。どうしてわからないの・・・そんないらいら!家族みんなが巻き込まれ、幸せな団欒が、ある日は心の戦場に!誰が、なぜこんなことが起こるのか?
ある日それが障害だと知ったのは、1年経ってからでした。保健師さんとの出会い、よき医師の出会いで、道が開かれました。「精神科」と言われた私の顔を見て、保健師さんは「お父さんはまだそのような考えを持っているんですか!」といわれました。何も知らなかった私!精神科だけはと思い、内科病院をいろいろ渡り歩き、最後の最後でたどり着いたのが精神科でした。そして病名を聞かされ、無念な思い。そして入院しホームシックに心を悩ます10代の息子を見れば、行き場の無い苦しさと闇、痛みが心臓を満たすような感じでした。しかし100人に1人が羅病した体験を持ち、心の病は奇病のたぐいではなく、誰しもが体験しうるような病気の一つであると、知ったとき、そこに希望が見えました。不幸な出来事ではなく、失敗でも惨劇でもなく、誰にでも起こることなのだと。そして病気にjついて良く知り、発症から経過を知るなら、まさに教科書通りで、それは異常なことでなく、しっかり理由があり。息子は幻聴、幻覚を体験し、心の戦いを戦っていたのだと知りました。それも知らず、目に見えぬ心のかぜと気付かず、息子を寒空の下に叩き出し、「情けないぞ頑張れと」最大の無理をさせ、かぜをこじらせさせ、急性の病気までにしてしまったのです。精神的ストレスが心を圧迫し、それが脳の神経伝達物質の機能を阻害しているのです。
しかし、障害の仕組みを知った後、私の戦いは簡単になりました。確かに難しいことではありませんでした。先生からの助け、愛と祈り、そして神の言葉が答えでした。息子の幻聴や幻覚を認め、その辛さを知り、息子が心の戦士だったことを知った後は、私は援軍、「心の戦士」として彼の戦いをともに戦うことができるようになりました。それは神を信頼し、それには理由があり、ただ自分ができることをし、そして先生が助けてくれ、残りは神が世話してくださる。そして何よりも、「私は心配で心配でたまらない!」そんな思いこそ、相手の思いに敏感になっていてそれを一番気にする当人にとって、一番のストレスとなることなのです。穏やかさ、心配していないよ!・・・・と体でメッセージをアピールし、線を引いて、それから先は神様にお任せする!・・・何かが起こっても心配し、思い悩み分析することをやめて、夜は眠ることにしました。そしたら、嵐は朝には止んでいました。「心の戦士」それは忍耐、待つこと、信頼、そして時間がかかることを知ることです。そして何よりもあなたを大切に、なぜなら戦いは長期戦です。無理せず、ちょっとサボりながら、適当に、それが長期戦、持久戦、そして勝利の秘訣です。それは信頼からのみ生まれます。神様を信じなさいとは言いませんが、目に見えぬまだ発見されていない、なんらかのエネルギーの法則があり、その法則によれば、心配しないで、自分の肉の力で奮闘するのではなく、その法則にゆだねていれば、プラスの変化、癒し、成長が発生する、そう思ってください。
こんな言葉があります。信仰は恐れの終り、恐れは信仰の終り!そして愛には恐れが無い!愛には恐れがありません。目の前で自分があいまいになり、わからなくなっている大切な人、当事者・・・信頼して下さい・・・・愛の目でその人を見、希望を示すなら、必ずこの世界に帰ってきます。またあの日の笑顔や笑い、そして冗談や、あの元気な会話が戻ってきます。時間を下さい!あなたの時計の進み方と、愛する心病む人の時計の進み方は違います。あなたの一分はその人の一時間かもしれません。さあ、その人の腕時計を身に付け、その人の靴をはいて歩いて見ましょう。そしてその人の眼鏡をかけて、見てみましょう。そしたらわかります。異常ではないことを、奇病ではないことを、・・・・・
薬はあくまでも対症療法、幻聴、幻覚、妄想、うつ、心身症などの症状を和らげるだけです。真の癒しは、その人が愛されていると知り、自分に自信を取り戻し、再び人との関係を築けるようになることから来ます。誰かと愛を分かち合える、それが真の冨、そして豊かさ。さあ、今こそ、その真の人生の宝を手にする機会がやってきているのです。神は慎重に分析し、試練を配分しています。それは必ず益となるのが約束です。
そしてそうなのです。
すべてはストレスから始まります。それがその人の耐えられる限度を越えてしまうと、心や体に異常が起こってきます。その心のかぜをこじらすと、脳の伝達物質の伝達以上を起こし、心の病気を発症することになります。ですから、ぜひ、そのサインを見逃さないで下さい。それにすぐに答え、助けの手を添えることができれば、その人の苦しみは最小限ですみます。しかし、そうできなかったとしてもがっかりしないで下さい。愛するのにおそすぎることはありません。これはその人に関わる人、すべての成長につながります。これこそ、その目に見えぬものへの信頼の約束の不思議です。
ある日それが障害だと知ったのは、1年経ってからでした。保健師さんとの出会い、よき医師の出会いで、道が開かれました。「精神科」と言われた私の顔を見て、保健師さんは「お父さんはまだそのような考えを持っているんですか!」といわれました。何も知らなかった私!精神科だけはと思い、内科病院をいろいろ渡り歩き、最後の最後でたどり着いたのが精神科でした。そして病名を聞かされ、無念な思い。そして入院しホームシックに心を悩ます10代の息子を見れば、行き場の無い苦しさと闇、痛みが心臓を満たすような感じでした。しかし100人に1人が羅病した体験を持ち、心の病は奇病のたぐいではなく、誰しもが体験しうるような病気の一つであると、知ったとき、そこに希望が見えました。不幸な出来事ではなく、失敗でも惨劇でもなく、誰にでも起こることなのだと。そして病気にjついて良く知り、発症から経過を知るなら、まさに教科書通りで、それは異常なことでなく、しっかり理由があり。息子は幻聴、幻覚を体験し、心の戦いを戦っていたのだと知りました。それも知らず、目に見えぬ心のかぜと気付かず、息子を寒空の下に叩き出し、「情けないぞ頑張れと」最大の無理をさせ、かぜをこじらせさせ、急性の病気までにしてしまったのです。精神的ストレスが心を圧迫し、それが脳の神経伝達物質の機能を阻害しているのです。
しかし、障害の仕組みを知った後、私の戦いは簡単になりました。確かに難しいことではありませんでした。先生からの助け、愛と祈り、そして神の言葉が答えでした。息子の幻聴や幻覚を認め、その辛さを知り、息子が心の戦士だったことを知った後は、私は援軍、「心の戦士」として彼の戦いをともに戦うことができるようになりました。それは神を信頼し、それには理由があり、ただ自分ができることをし、そして先生が助けてくれ、残りは神が世話してくださる。そして何よりも、「私は心配で心配でたまらない!」そんな思いこそ、相手の思いに敏感になっていてそれを一番気にする当人にとって、一番のストレスとなることなのです。穏やかさ、心配していないよ!・・・・と体でメッセージをアピールし、線を引いて、それから先は神様にお任せする!・・・何かが起こっても心配し、思い悩み分析することをやめて、夜は眠ることにしました。そしたら、嵐は朝には止んでいました。「心の戦士」それは忍耐、待つこと、信頼、そして時間がかかることを知ることです。そして何よりもあなたを大切に、なぜなら戦いは長期戦です。無理せず、ちょっとサボりながら、適当に、それが長期戦、持久戦、そして勝利の秘訣です。それは信頼からのみ生まれます。神様を信じなさいとは言いませんが、目に見えぬまだ発見されていない、なんらかのエネルギーの法則があり、その法則によれば、心配しないで、自分の肉の力で奮闘するのではなく、その法則にゆだねていれば、プラスの変化、癒し、成長が発生する、そう思ってください。
こんな言葉があります。信仰は恐れの終り、恐れは信仰の終り!そして愛には恐れが無い!愛には恐れがありません。目の前で自分があいまいになり、わからなくなっている大切な人、当事者・・・信頼して下さい・・・・愛の目でその人を見、希望を示すなら、必ずこの世界に帰ってきます。またあの日の笑顔や笑い、そして冗談や、あの元気な会話が戻ってきます。時間を下さい!あなたの時計の進み方と、愛する心病む人の時計の進み方は違います。あなたの一分はその人の一時間かもしれません。さあ、その人の腕時計を身に付け、その人の靴をはいて歩いて見ましょう。そしてその人の眼鏡をかけて、見てみましょう。そしたらわかります。異常ではないことを、奇病ではないことを、・・・・・
薬はあくまでも対症療法、幻聴、幻覚、妄想、うつ、心身症などの症状を和らげるだけです。真の癒しは、その人が愛されていると知り、自分に自信を取り戻し、再び人との関係を築けるようになることから来ます。誰かと愛を分かち合える、それが真の冨、そして豊かさ。さあ、今こそ、その真の人生の宝を手にする機会がやってきているのです。神は慎重に分析し、試練を配分しています。それは必ず益となるのが約束です。
そしてそうなのです。
すべてはストレスから始まります。それがその人の耐えられる限度を越えてしまうと、心や体に異常が起こってきます。その心のかぜをこじらすと、脳の伝達物質の伝達以上を起こし、心の病気を発症することになります。ですから、ぜひ、そのサインを見逃さないで下さい。それにすぐに答え、助けの手を添えることができれば、その人の苦しみは最小限ですみます。しかし、そうできなかったとしてもがっかりしないで下さい。愛するのにおそすぎることはありません。これはその人に関わる人、すべての成長につながります。これこそ、その目に見えぬものへの信頼の約束の不思議です。
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