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818:楽天する人生
from 818:楽天する人生
by Activate Leaf
楽天する人生
楽天と聞くと、通販や野球を考える人が多いかもしれませんが、通常の文章の中で「楽天」という言葉を使う時には、「楽天的な性格」とか、「あの人は楽天家だ・・・」のようになります。それでは、楽天とは本来どういう意味なのでしょうか。
辞書には、「自分の境遇を、天から与えられたものとして受け入れ、くよくよしたり、あくせくしたりせず、人生を楽観すること」とあります。そして、そのように生きている人のことを楽天家と呼ぶのです。こうして意味を知ると、「楽天」ってなかなか素敵な言葉だなと思いました。
私も常々、もっと楽天的な生き方をしたいと思うものの、いつの間にかあくせくしたり、くよくよしたりしてしまいます。でも今回、「楽天」の意味を調べてみて、面白いインスピレーションを受けました。その漢字から、「天を楽しむ」という意味に取ってみてはどうだろうかと思ったのです。そして思い出したのが、次の聖書の言葉です。
「憂えてはならない。 主を喜ぶことはあなたがたの力です。」 - 聖書 ネヘミヤ8章10節
「主を喜ぶ」とは、神様がいてくださることや、神様との時間を喜びとすることと言えるでしょう。私の場合、具体的には、神様が造ってくださった大自然を楽しんだり、自分の生活環境を感謝して、その中に小さな喜びを見出したりすることです。そう考えると、さっきの「楽天」の意味に通じるものがあるように感じたので、「楽天」を「神様を楽しむこと」として考えてみたのです。
でも、どうして「主を喜ぶ」と、それが力になるのでしょうか。「喜ぶ」を「楽しむ」に置き換えると何となく分かってきます。誰かのことを楽しむには、一緒にいて、共に何かをすることになります。だから、神様と一緒にいて、神様と何かをするなら、私たちは神様から力や光を受け取ることになるのでしょう。そんなふうに力を受け取れるなら、もっともっと「楽天しながら生きたい」と思いました。
聖書には、喜ぶことについての言葉がたくさんありますが、神様は本気で、私たちがいつも喜びに満ちて生きることを望んでおられるようです。
「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。 これが、キリスト・イエスにあって、 神があなたがたに求めておられることである。」 - 聖書 第一テサロニケ5章16-18節
でも、人生には喜んでばかりいられない状況がたくさんあります。学生の頃、初めてこの聖書の言葉を読んだ時には、「いつも喜んでいなさい」なんてちょっと無理でしょう、と感じたものでした。でも聖書を学んでいく内に、真の喜びは、感情的な嬉しい気持ちとは別物であることを知りました。そして、近年になってからは、喜びは、「喜ぶことを選ぶ」という、心の持ち方についての一つの決断なのだと分かってきたのです。
そこで、私は新年の標語として、下記の有名な格言をプリントし、額縁に入れて壁に飾りました。なぜなら、その頃、辛いことが重なり、うつうつとした毎日を過ごしており、なかなか明るい気分になれなかったからです。でも、この言葉を見つけ、「そうだ、状況に関わらず喜ぶということを今年の目標にしてみよう。もしかしたら、この滅入った気持ちから抜け出せるかもしれない・・・」と思いました。それは、心の持ち方を変えるという、私の決断の瞬間でした。
それ以来、何か嬉しくないことが起こっても、前ほど長く落ち込むことがなくなりました。少しずつ、「喜びを選ぶ」ことが心の習慣になってきたからだと思います。それでは、その言葉を紹介しましょう。
“Joy does not simply happen to us. We have to choose joy and keep choosing it every day.”
これは、オランダ出身のカトリックの司祭であり、元ハーバード大学教授でもあったヘンリ・ナウエンの言葉で、下記のような意味です。
「喜びとは、何ともなしに湧き上がってくるようなものではありません。私たちは喜びを選びとり、日々そうし続ける必要があるのです。」
「喜びとは、選びとるもの」 この考え方は、私の人生を大きく変えました。もし、その時その時の感情に流されて、気分次第で行動するなら、物事が順調な時には幸せに感じても、思うようにいかなくなると散々な毎日となってしまいます。でも、たとえ気分が乗らなくても、何か前向きなことをするなら、物事が好転していくことに気づいたのです。
キリスト教世界では、様々な状況で賛美歌が歌われます。礼拝の時だけではなく、聖書の勉強会の前や、結婚式やお葬式でも。賛美歌は、歌いたい気分だから歌うものではなく、神様がしてくださったことに対する感謝を込めて神様をほめたたえる歌なので、どんな時にもふさわしいのです。
そして、歌を通して神様をほめたたえていると、おのずと喜びがこみ上げてきます。困難な状況や悲しみの中にあっても賛美の歌を歌う、というのは、喜びを選ぶことです。その選択をすると、天からの不思議な力と平安とが注がれるのです。
私自身、何度もそういう経験をしました。試練の真っ只中でも、みんなと一緒に賛美歌を歌っていると、賛美歌にある言葉が心の傷をいやし、そのメロディが天からの慰めや力を運んできてくれるのです。
賛美歌が、歌う人々にどんな影響をもたらすかについて、アメリカのある大学の研究チームが興味深い実験をしました。町の聖歌隊員を対象に、歌を歌う前と後で、唾液に含まれる免疫性物質がどう変化するかを検査したのです。すると、驚くことに1時間の練習で150%、1時間のコンサートの後には250%に増加していたそうです。
もちろん、賛美歌でなくても、歌うこと自体が健康に良いのは周知の事実なので、今では認知症予防やアンチエイジング、健康増進のために、歌うことが大いに推奨されていますが、これもやはり、気分が乗らないからと歌うことをやめてしまうなら、その益を受け取ることはできません。また、歌うことは、歌が好きな人に限らず、歌の苦手な人にも効果があることが研究で判明しています。
そのことを知って、私はあらためて「選ぶ」ことの大切さを実感しました。歌いたい気分でなくても歌うことの効果が科学的に実証されたのであれば、喜びたい気分でなくても喜び、感謝したい気分でなくても感謝することを選んだ場合にも良い効果が出るに違いないと思ったのです。
さらに、優しい言葉を語る気分ではなくても、そうすることを選ぶとか、好きでない仕事でも一生懸命やると決めるなど、気分が乗らなくても前向きに生きることを選ぶなら、人生はどんどん好転していくことでしょう。
神様はいつも、溢れるばかりの祝福をこの地上に注ぎ、私たちのために数々の素晴らしい約束も与えてくださっているのですから、神様が下さったすべてのものを素直に受け取り、天を楽しむ、つまり「楽天する人生」を送ることで、天からの力と喜びを受けて生きていきましょう。
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--- 詩篇 第100篇 ---
全地よ、主(神)にむかって喜ばしき声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。
歌いつつ、そのみ前にきたれ。
主こそ神であることを知れ。
われらを造られたものは主であって、
われらは主のものである。
われらはその民、その牧の羊である。
感謝しつつ、その門に入り、
ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、
そのまことはよろず代に及ぶからである。
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