1995年1月17日 午前5時46分
兵庫県・大阪府に大きな大きな地震がありました
「阪神・淡路大震災」
アタシの住むところは、一番被害の大きかった地点からは
45kmほど西へ離れてるけれど
それでも かなりの揺れを感じたよ
不思議なのは… その揺れが起こるほんの数秒前に
アタシは「??もう朝?外が明るい?」と、覚醒したこと
空が光ったような気がしたんだ…
それから10秒も経ってなかったと思う
すごい地鳴りがしてドーンときた…
アタシの友人・知人の中には 一瞬にして家が全壊した人もいる
5人家族で、末っ子だけがガレキから出ることが出来ずに
亡くなってしまった人もいる
職場の上司は、住んでたマンションは、ひどく傾いてしまって
玄関のドアがまったく開かず、助け出されたのはお昼頃だった
多くの犠牲者が出たこの地震で
幸いにもアタシが直接知ってる人、関係のある人は 無事だった
たとえ家や勤め先が全壊・半壊だったりでも、ケガもなく
みんな命は無事だった
でも、たったひとり… 気がかりな人がいてる
その人とはもう20年も音沙汰がないんだけどね…
以前の職場での先輩だった女性で、とてもお世話になった方
その先輩の結婚式に出席し、お祝いの歌も歌った
子供が出来た時にも、お祝いを持ってかけつけた
優しい旦那さんと2人の男の子と仲良く暮らしていたはずなのに…
高校の同窓会に出席した時、初恋の人と再会して
なんの間違いか、あらぬ感情のまま家出してしまった
旦那さんも子供も置いてね…
家を出てからしばらくして、その先輩から電話があった
「今、神戸で暮らしている」
「置いてきた2人の子供のことだけが気がかり」
「たとえ戻りたくなっても、もう戻れない」
後悔していることがヒシヒシと伝わってきたけど
「家を出てきた以上、新しい生活を築いていく努力をするわ」
そう言う先輩に、2つ年下のアタシは
「がんばってね 落ち着いたら会いましょう」
そういうことしか言えなかった
それから会うこともないまま6年が過ぎ、地震が起こった
教えてもらってた住所と電話番号
今ではもう、そのメモもないけれど「神戸市中央区」だったはず
あの大きな地震で神戸市中央区、いわゆる三宮周辺も
かなりの被害が出た場所
先輩は、あの地震の時、まだ中央区に住んでいたんだろうか…
新聞に被害者の氏名が載るたびに 一生懸命に先輩の名前を探した
再婚したなら名字が変わってるかもしれないけれど、
先輩の名前はひらがななので それを頼りにできる限り探してみた
三宮の東山遊園地というところには犠牲となった人たちの
名前を刻んでいる石碑がある
何年か前にそこへ行って、名前を探してみたこともあるけど
先輩の名前は なかったように思う…
元気で暮らしていらっしゃればいいけど。。。
毎年、震災の日が来るたびに
この、優しかった先輩のことを思い出すこまいぬです
長々と書きつづりましたが
読んでくださってありがとう
この話に思い当たることがありましたら、
ぜひ、教えてください
地震で死んでしまった小動物もいっぱいいたはず…
飼い犬・飼い猫・ハムスター・小鳥・金魚やカメ
ニュースになることもなく犠牲になった動物たちに合掌…

災害は、いつ どんな形でやってくるかわからない
自分は大丈夫 なんて言ってられない
物言えぬ愛しいこの命を アタシは絶対に守るから

兵庫県・大阪府に大きな大きな地震がありました
「阪神・淡路大震災」
アタシの住むところは、一番被害の大きかった地点からは
45kmほど西へ離れてるけれど
それでも かなりの揺れを感じたよ
不思議なのは… その揺れが起こるほんの数秒前に
アタシは「??もう朝?外が明るい?」と、覚醒したこと
空が光ったような気がしたんだ…
それから10秒も経ってなかったと思う
すごい地鳴りがしてドーンときた…
アタシの友人・知人の中には 一瞬にして家が全壊した人もいる
5人家族で、末っ子だけがガレキから出ることが出来ずに
亡くなってしまった人もいる
職場の上司は、住んでたマンションは、ひどく傾いてしまって
玄関のドアがまったく開かず、助け出されたのはお昼頃だった
多くの犠牲者が出たこの地震で
幸いにもアタシが直接知ってる人、関係のある人は 無事だった
たとえ家や勤め先が全壊・半壊だったりでも、ケガもなく
みんな命は無事だった
でも、たったひとり… 気がかりな人がいてる
その人とはもう20年も音沙汰がないんだけどね…
以前の職場での先輩だった女性で、とてもお世話になった方
その先輩の結婚式に出席し、お祝いの歌も歌った
子供が出来た時にも、お祝いを持ってかけつけた
優しい旦那さんと2人の男の子と仲良く暮らしていたはずなのに…
高校の同窓会に出席した時、初恋の人と再会して
なんの間違いか、あらぬ感情のまま家出してしまった
旦那さんも子供も置いてね…
家を出てからしばらくして、その先輩から電話があった
「今、神戸で暮らしている」
「置いてきた2人の子供のことだけが気がかり」
「たとえ戻りたくなっても、もう戻れない」
後悔していることがヒシヒシと伝わってきたけど
「家を出てきた以上、新しい生活を築いていく努力をするわ」
そう言う先輩に、2つ年下のアタシは
「がんばってね 落ち着いたら会いましょう」
そういうことしか言えなかった
それから会うこともないまま6年が過ぎ、地震が起こった
教えてもらってた住所と電話番号
今ではもう、そのメモもないけれど「神戸市中央区」だったはず
あの大きな地震で神戸市中央区、いわゆる三宮周辺も
かなりの被害が出た場所
先輩は、あの地震の時、まだ中央区に住んでいたんだろうか…
新聞に被害者の氏名が載るたびに 一生懸命に先輩の名前を探した
再婚したなら名字が変わってるかもしれないけれど、
先輩の名前はひらがななので それを頼りにできる限り探してみた
三宮の東山遊園地というところには犠牲となった人たちの
名前を刻んでいる石碑がある
何年か前にそこへ行って、名前を探してみたこともあるけど
先輩の名前は なかったように思う…
元気で暮らしていらっしゃればいいけど。。。
毎年、震災の日が来るたびに
この、優しかった先輩のことを思い出すこまいぬです
長々と書きつづりましたが
読んでくださってありがとう
この話に思い当たることがありましたら、
ぜひ、教えてください
地震で死んでしまった小動物もいっぱいいたはず…
飼い犬・飼い猫・ハムスター・小鳥・金魚やカメ
ニュースになることもなく犠牲になった動物たちに合掌…

災害は、いつ どんな形でやってくるかわからない
自分は大丈夫 なんて言ってられない
物言えぬ愛しいこの命を アタシは絶対に守るから
