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komasaram
杉良太郎は助さん卒業後、水戸黄門にはゲスト出演していないようです。卒業したということでしょう。
横内正と伊吹吾郎は格さん降板後も水戸黄門にゲストで出ていました。
大和田伸也とあおい輝彦は水戸黄門とのつながりを大事にしているのでしょう。
残念なのは岸本祐二、山田純大、原田龍二、合田雅吏、照英、斉藤晶、三波豊和が出なかったことですね。
佐野浅夫が週刊新潮の2011年7/28号で里見黄門を批判した件については、里見浩太朗が同じ雑誌の12/15号で反論していました。
佐野浅夫も杖を使った殺陣をやっており、東野英治郎も西村晃もやっています。
佐野浅夫は2000年まで水戸光圀を演じ、2003年の1000回SPでも服部半蔵役でゲスト出演したようですが、今度の週刊誌でのインタビューでスタッフとも関係が切れたようですね。
石坂浩二はその佐野浅夫と里見浩太朗の2人から続けて批判されたくらいなので(里見浩太朗のインタビューは最終回撮影後だったかも知れませんが)、頼まれても出なかったでしょう。
本来、佐野浅夫が降りた直後に里見浩太朗が水戸光圀を演じてもよかったわけで、石坂浩二は里見黄門で堺正章が演じた松尾芭蕉を演じてもよかった気がします。
里見浩太朗から見れば石坂浩二は「ナショナル劇場の水戸黄門」をわかっていなかったか、考えが違ったということになりそうですが、敢えて石坂浩二の立場で言えば、その石坂浩二の「改革」を拒否した「ナショナル劇場の水戸黄門」が、結果として世間から受け入れられなくなって終わったことも事実でしょう。
あと最終回SPの視聴率 14%前後という数字は大健闘としてほめたいところです。
ここ最近は1時間枠のシリーズで10%前後を推移していたので、今の水戸黄門としては 13%以上は上出来です。何しろ北朝鮮の将軍様のニュースで夕方のナビも中止になっていた最中でしたから。
それよりその前の週の1時間枠の最終話「嗚呼、人生に涙あり」の8.7%は何なんですかね。
むしろスタッフは「水戸黄門の役割は終わった」と改めて確信し、署名を10万もらおうと水戸黄門を復活させない決意を固めたことでしょう。
終了を嘆く人も、終了寸前で9%を割る結果にした視聴者の責任を考えるべきでしょう。
回答日時:2011/12/23 19:35:46
編集日時:2011/12/23 22:30:42
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水戸黄門最終回に杉良太郎や佐野浅夫が出なかった理由って何ですか
komasaram
杉良太郎は助さん役卒業後、水戸黄門にはゲスト出演していないようです。水戸黄門からも卒業したということでしょう。
佐野浅夫が週刊新潮の2011年7/28号で里見黄門を批判した件については、里見浩太朗が同じ雑誌の12/15号で反論していました。
佐野浅夫も杖を使った殺陣をやっており、東野英治郎も西村晃もやっています。
>何故、杉良太郎さんや歴代黄門役の人は出演しなかったのですか?最終回どう思われました?
4代目『水戸黄門』石坂浩二 短命降板の裏にあった東映撮影所と暴力団との黒い癒着 - GREE
回答日時:2012/1/2 14:49:42
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ひと:里見浩太朗さん 42年の歴史に終止符「水戸黄門」 - 毎日jp(毎日新聞)
毎日新聞 2011年12月16日 23時54分
民放のテレビ時代劇が次々と姿を消す中、歴史をつないできたが、最近は視聴率が低下。「時代劇を見たい方はたくさんいらっしゃると思う。水戸黄門は日本人の心を映し出してきた。要らない時代になったとは思いません。でも、そういうものを大事にしようという心が希薄になってきたのは認めざるを得ない。水戸黄門は最後まで日本人の心をつなぎとめていた作品だと自負できます」
里見浩太朗はこう語っている。時代劇が乱立した後、淘汰された中、水戸黄門だけが視聴者の心をつかんで生き残ったが、そういう心を大切にする日本人が減った、日本人にそういう日本人の心を大切にする精神が薄れていたという解釈のようだ。
一方、春日太一は1990年代後半の時代劇の減少は個人視聴率の導入であり、水戸黄門は特殊なガラパゴス的な体質だから生き残ったとしている。ただ、水戸黄門の場合、TBSが乗り気でなく、松下電器がやってきた番組なので、時代劇に高齢者ファンが多いということでの撤退なら水戸黄門が真っ先に終わるはずだった。
里見浩太朗は石坂浩二について「ナショナル劇場の水戸黄門に対する考え方が自分たちと違っていた」としている。すると石坂黄門だけが異質で、東野・西村・佐野・里見黄門が「ナショナル劇場の水戸黄門」ということになる。しかし東野・西村黄門ファンは「東野・西村が“ナショナル劇場の水戸黄門”で、石坂・里見がそれからかけ離れた」という見方になるようだ。では里見黄門は石坂黄門を継承していたのか、石坂黄門で外れた路線に戻った結果なのか。スタッフも出演者もファンもそこを総括しなかった。そして水戸黄門というシリーズ全体を否定する人は、東野から里見までの水戸黄門全体がマンネリで飽きられたという見方をしている。
結果としては石坂黄門を含めた「ナショナル劇場の水戸黄門」全体が時代に受け入れられなくなったというマスコミの評価でシリーズは終了した。
4代目『水戸黄門』石坂浩二 短命降板の裏にあった東映撮影所と暴力団との黒い癒着 - GREE
水戸黄門最終回SPの撮影は2011年11月11日。
京都の撮影所の暴力団排除宣言はその11日後の12月22日。
>電通による水戸黄門の製作費水増しの問題について教えてください。
komasaram
杉良太郎は助さん卒業後、水戸黄門にはゲスト出演していないようです。卒業したということでしょう。
横内正と伊吹吾郎は格さん降板後も水戸黄門にゲストで出ていました。
大和田伸也とあおい輝彦は水戸黄門とのつながりを大事にしているのでしょう。
残念なのは岸本祐二、山田純大、原田龍二、合田雅吏、照英、斉藤晶、三波豊和が出なかったことですね。
佐野浅夫が週刊新潮の2011年7/28号で里見黄門を批判した件については、里見浩太朗が同じ雑誌の12/15号で反論していました。
佐野浅夫も杖を使った殺陣をやっており、東野英治郎も西村晃もやっています。
佐野浅夫は2000年まで水戸光圀を演じ、2003年の1000回SPでも服部半蔵役でゲスト出演したようですが、今度の週刊誌でのインタビューでスタッフとも関係が切れたようですね。
石坂浩二はその佐野浅夫と里見浩太朗の2人から続けて批判されたくらいなので(里見浩太朗のインタビューは最終回撮影後だったかも知れませんが)、頼まれても出なかったでしょう。
本来、佐野浅夫が降りた直後に里見浩太朗が水戸光圀を演じてもよかったわけで、石坂浩二は里見黄門で堺正章が演じた松尾芭蕉を演じてもよかった気がします。
里見浩太朗から見れば石坂浩二は「ナショナル劇場の水戸黄門」をわかっていなかったか、考えが違ったということになりそうですが、敢えて石坂浩二の立場で言えば、その石坂浩二の「改革」を拒否した「ナショナル劇場の水戸黄門」が、結果として世間から受け入れられなくなって終わったことも事実でしょう。
あと最終回SPの視聴率 14%前後という数字は大健闘としてほめたいところです。
ここ最近は1時間枠のシリーズで10%前後を推移していたので、今の水戸黄門としては 13%以上は上出来です。何しろ北朝鮮の将軍様のニュースで夕方のナビも中止になっていた最中でしたから。
それよりその前の週の1時間枠の最終話「嗚呼、人生に涙あり」の8.7%は何なんですかね。
むしろスタッフは「水戸黄門の役割は終わった」と改めて確信し、署名を10万もらおうと水戸黄門を復活させない決意を固めたことでしょう。
終了を嘆く人も、終了寸前で9%を割る結果にした視聴者の責任を考えるべきでしょう。
回答日時:2011/12/23 19:35:46
編集日時:2011/12/23 22:30:42
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水戸黄門最終回に杉良太郎や佐野浅夫が出なかった理由って何ですか
komasaram
杉良太郎は助さん役卒業後、水戸黄門にはゲスト出演していないようです。水戸黄門からも卒業したということでしょう。
佐野浅夫が週刊新潮の2011年7/28号で里見黄門を批判した件については、里見浩太朗が同じ雑誌の12/15号で反論していました。
佐野浅夫も杖を使った殺陣をやっており、東野英治郎も西村晃もやっています。
>何故、杉良太郎さんや歴代黄門役の人は出演しなかったのですか?最終回どう思われました?
4代目『水戸黄門』石坂浩二 短命降板の裏にあった東映撮影所と暴力団との黒い癒着 - GREE
回答日時:2012/1/2 14:49:42
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ひと:里見浩太朗さん 42年の歴史に終止符「水戸黄門」 - 毎日jp(毎日新聞)
毎日新聞 2011年12月16日 23時54分
民放のテレビ時代劇が次々と姿を消す中、歴史をつないできたが、最近は視聴率が低下。「時代劇を見たい方はたくさんいらっしゃると思う。水戸黄門は日本人の心を映し出してきた。要らない時代になったとは思いません。でも、そういうものを大事にしようという心が希薄になってきたのは認めざるを得ない。水戸黄門は最後まで日本人の心をつなぎとめていた作品だと自負できます」
里見浩太朗はこう語っている。時代劇が乱立した後、淘汰された中、水戸黄門だけが視聴者の心をつかんで生き残ったが、そういう心を大切にする日本人が減った、日本人にそういう日本人の心を大切にする精神が薄れていたという解釈のようだ。
一方、春日太一は1990年代後半の時代劇の減少は個人視聴率の導入であり、水戸黄門は特殊なガラパゴス的な体質だから生き残ったとしている。ただ、水戸黄門の場合、TBSが乗り気でなく、松下電器がやってきた番組なので、時代劇に高齢者ファンが多いということでの撤退なら水戸黄門が真っ先に終わるはずだった。
里見浩太朗は石坂浩二について「ナショナル劇場の水戸黄門に対する考え方が自分たちと違っていた」としている。すると石坂黄門だけが異質で、東野・西村・佐野・里見黄門が「ナショナル劇場の水戸黄門」ということになる。しかし東野・西村黄門ファンは「東野・西村が“ナショナル劇場の水戸黄門”で、石坂・里見がそれからかけ離れた」という見方になるようだ。では里見黄門は石坂黄門を継承していたのか、石坂黄門で外れた路線に戻った結果なのか。スタッフも出演者もファンもそこを総括しなかった。そして水戸黄門というシリーズ全体を否定する人は、東野から里見までの水戸黄門全体がマンネリで飽きられたという見方をしている。
結果としては石坂黄門を含めた「ナショナル劇場の水戸黄門」全体が時代に受け入れられなくなったというマスコミの評価でシリーズは終了した。
4代目『水戸黄門』石坂浩二 短命降板の裏にあった東映撮影所と暴力団との黒い癒着 - GREE
水戸黄門最終回SPの撮影は2011年11月11日。
京都の撮影所の暴力団排除宣言はその11日後の12月22日。
>電通による水戸黄門の製作費水増しの問題について教えてください。