コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

真面目に取り組む余裕が大事。

2009-05-03 19:07:33 | 
前に書いたかも知れないけれど、今年度前期、とりあえず、まともに成り立っている授業は二つしかない。
受講生一人だけの大学院の講義もあるし、前期の後半になったら専門外300人相手にしなきゃいけない。
こう言うのはまたこれで色々苦労があるんだけれども……。


おかげさまで、二つの授業は、自分としてはめっぽう愉しくやっている。
ありがたいことだ。

講読のことは前に書いた
中々本題に入れなくて、まだ『遊子方言』を読んでいるだけなんだけれど、改めて、この作品の凄味を味わっている。
洒落本が、どうやってこういう描写/語りの方法を獲得したのか、遡って検証してみたくなってきた。授業では、滑稽本や人情本の問題に下りてくる予定なんだけれども。
現代小説や平安文学を専門にする学生たちが、自分たちのテクストに向き合う時に、この授業をちゃんと思い出してくれたらいいなぁと思う。


もう一つは、「静岡の文化」。
これも散々書いたけれど、ほんとに、今年の滑り出しは順調
彦星先生、御紹介感謝!!

このまま全てうまくいく、なんて思ってはいないけれど、前に紹介した学生のコメントにある私の不安は、ほぼ払拭されたと言っていいでしょう。

問題は、その上で、私のやりたいことと、意志を持った学生たちのやりたいことの戦いに移ったかも知れない。
ありがたいことだ。


一つ一つのテーマについては、まだ詳細を紹介する段階ではないので、まぁ、しばらくお待ち下さい。
大学一年生が取り上げるような生やさしいモノじゃなくなってしまったので、かなり取扱注意です。

7月には発表会をやりますので、お楽しみに!



あぁそうそう。
受講生からちょっと指摘があったので、補足。

この授業の科目名が「静岡の文化」なのは、まぁいろいろ“政治的”な理由があります。
で、そのことはそれとして、「静岡を学ぶこと」と言う限定は元々ありません。
と言うか、それは不可能なのです。
ガラパゴスだって、そこだけの研究なんて無いわけです。

大昔の情報ですが、“アッパレ会”と言う名前が付く前、私がこの企画の説明をするために作ったパワーポイント資料の表紙は、こんな感じでした。



静岡で学ぶ。 静岡に学ぶ。 世界を。 世界へ。


結局、内部資料止まりで、拾ってくれた人はいないんですが、私はこれがとても気に入っています。

材料はは、今・ここ。
しかし、学ぶモノは、世界全部。
そして、世界に向かって発信する授業でありたい。

そのためには、勿論“教材”である静岡を徹底的に調べる必要があります。
しかし、それだけじゃ見えてこない。

大変です。
大変だから、面白い。

期待してまっせ~。

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