歴史記述というのは、何か、「結果」のようなものを置いて、そこに至る蓋然性の高いパーツを組み合わせて、あらためて「原因」から展開していく構造物のようなものだ。そして、今、我々は、この「covid-19史」のただ中にいて、終わりに立ち会えるのかどうかもおぼつかない。
全部終わったあと、誰かがそういうものを書くかも知れないし、もしかしたら誰も残らないかも知れない。
今、その「原因≒責任≒犯人」探しをしても何にも解決にはならないんだけど、少し歴史に関わる者として、小さな一コマかも知れない「物語」を一つ書き残しておこうと思う。
東京が新規感染者数の記録を連日更新している。2週間前の「結果」が出てきている感じ。そう、連休の賑わいが「原因」だと言えそうだ。では、そういう行動の「原因」は何だっただろう。
東京は「感染状況が拡大傾向にある地域」であるというのは、3/19の専門家会議の発表で明確に言われていた。私は、この時点で初めて東京はヤバい、と言う認識をし、ツイッターやフェイスブックにもそう書いた。なので、連休の関東の賑わいには驚いた。正直に言えば、私自身卒業式が予定されていた23日に、静岡で少人数、とはいえ、会食もしていたので、東京と静岡は違う、くらいの認識だったが。
東京が楽観ムードになってしまった大きな要因のひとつは、3/20の総理発信だったと思う。
「国民の皆様におかれましては、換気が悪く、多くの人が密集し、近距離での会話や発声が行われるという3つの条件が同時に重なるような場を避ける行動を、引き続きお願いいたします。」
所謂「三密」が「同時に重ならなければ良い」とも取れる言い方だし、地域三分類については全く触れてない。
「一斉休校」の「要請」も延長しなかった。
*この記事には地域三分類への言及があるけど、具体的な地名は書いてない。
「19日の専門家会議の見解では地域の感染状況ごとの対応も促した。(1)感染状況が拡大傾向にある(2)感染状況が収束に向かい始めているか一定程度に収まってきている(3)感染状況が確認されていない――と3分類した。」
そして連休の賑わい。
この3/19・20が、「歴史が動いた」時だったように見える。勿論、これはこれで一つの物語にすぎないし、その背景は全く分からない。2月末の危機感と、3月の楽観論のギャップは何なんだろう。
連休のあとすぐにはその「結果」は出ないので、こういう記事も出た。
「なぜ日本では新型コロナが「感染爆発」しないのか
これは国民一人一人の勝利である」
(3/27 プレジデント Digital 太田 穣)
見出し抽出:
・政府の休校要請の延長なし。明るい兆しがみえてきた
・「隠れた感染者がいる」という見立てに根拠はなし
・感染防止キャンペーンの偉大な勝利と言うべきだ
・ダイヤモンドプリンセス、「やっと褒めてもらえた」(政府関係者)
今読めば、これは歴史の語りとして、間違っていたことは明らかだ。この筆者個人が、何故そういう認識をしてしまったのかはよく分からないけれど、専門家会議の文書をちゃんと読んでいたらこういう記述にはならなかったと思う。
それにしても、今となって改めて、三日月・勝浦の人たち、亀田総合病院の人たちはホントによくやったと思う。
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