原爆投下・・・黙殺された極秘情報(夜久恭裕、松木秀文 著) レビュー
この本の内容は、だいぶ前(NHKにもまだまっとうな放送ができる頃だったのだろう) NHKスペシャルで放映された。
そして、行間を読んでいくと結構新しい発見がある、良書だ。
日本ではアインシュタインに好意的な人が多いのだろうが、彼は、戦争で使用する原爆開発を提言する書類に署名し、ルーズベルト大統領に送っている。
1941.10.9.ルーズベルト大統領はマンハッタン計画として、実行に移した。
東条英機総理は、この計画をかなり気にしていたようだが、日本での原爆開発は、福島県でのペグマタイト掘削など手をつけてはいたものの挫折してしまったという。
日本へ原爆を投下すると決定したのは、1944.9.18.フランクリンルーズベルトとウィンストンチャーチルがニューヨーク州のハイドパークで会談し、秘密協定として決めた。
なんと原爆投下の一年近くも前の話だ。「やむにやまれず云々」などという戯言を信じている大衆が知ったらどうするのか。しかし、戦後はマスコミが米国を非難することはほとんどタブーであることなどから、知る人はほとんどいない。
1945.5.30原爆使用に関する暫定委員会は、原爆はできるだけ速やかに日本に対して使用されるべきであり、何ら警告も行ってはならない、、などと決定した。
NHKスペシャルでは、原爆投下時に、ほぼそれを知りながら空襲警報も出さず、迎撃もせずに見守ったことについて徹底的に調べている。
✴︎ 陸海軍2チームの暗号解読チームが、B29の特別任務を帯びたチームが数カ月も訓練していたこと。広島、長崎に接近していることを上奏していたのに、上層部では何も手を打たなかった。
✴︎広島近辺の八幡などでは毎夜のごとく空襲警報が鳴り響いていたのに、当の原爆を搭載したエノラ・ゲイが接近してきたときには警報はなかった。
✴︎ 長崎では、勿論空襲警報は鳴らなかった上、唯一B29に対抗しうる紫電回の基地があり、隊員も待機していたのに、迎撃命令は出なかった。
エースパイロットの本田稔さんの話
「敵機が来るたびに毎回出ていた出撃命令は、原爆を搭載したB29が来た時には出なかった。悔しくて悔しくてならないです」
日本側のパイロットだけではない。NHKではアメリカ側のパイロットにも取材している。
「広島に原爆を落としているのに、長崎に行けば当然迎撃されると思ったが、全くなかった」
と不思議がっていたという。
米国の委員会が決めた「何ら警告を行ってはならない」と言う指示に従ったように見えるのは、もはや、終戦を見越した裁判を意識して軍上層部は大半が、数十万の国民の命と引き換えに自分だけは助かりたいと思っていたとしか考えられない。
今も昔も、上しか見ていないヒラメ人間しか出世できない仕組みになっていた、、、(ー ー;)
戦後、政府は被爆者救済のための施策は一切しなかったが、1300人を超える研究者が2年以上にわたって被爆者を調査する費用は確保し、研究結果はアメリカに引き渡すことはしている。
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こうしてみると、本当の終戦はいつのことなのか、定かではなくなってくる。
✴︎日本に原爆を落とす。
✴︎ソ連が参戦し北方領土を占拠する。
✴︎天皇制は存続する。
上記条件を満たした上で、無条件降伏することは、8月15日より前、少なくともポツダム会合以前にに決まっていたはずだ。日本の一部政府中枢を含めて。
バタバタと寝返る軍部、政府中枢。その中でとりわけ吉田茂や山本五十六など親英米派と目されていた人物は戦前から寝返っていた節がある。
この本の内容は、だいぶ前(NHKにもまだまっとうな放送ができる頃だったのだろう) NHKスペシャルで放映された。
そして、行間を読んでいくと結構新しい発見がある、良書だ。
日本ではアインシュタインに好意的な人が多いのだろうが、彼は、戦争で使用する原爆開発を提言する書類に署名し、ルーズベルト大統領に送っている。
1941.10.9.ルーズベルト大統領はマンハッタン計画として、実行に移した。
東条英機総理は、この計画をかなり気にしていたようだが、日本での原爆開発は、福島県でのペグマタイト掘削など手をつけてはいたものの挫折してしまったという。
日本へ原爆を投下すると決定したのは、1944.9.18.フランクリンルーズベルトとウィンストンチャーチルがニューヨーク州のハイドパークで会談し、秘密協定として決めた。
なんと原爆投下の一年近くも前の話だ。「やむにやまれず云々」などという戯言を信じている大衆が知ったらどうするのか。しかし、戦後はマスコミが米国を非難することはほとんどタブーであることなどから、知る人はほとんどいない。
1945.5.30原爆使用に関する暫定委員会は、原爆はできるだけ速やかに日本に対して使用されるべきであり、何ら警告も行ってはならない、、などと決定した。
NHKスペシャルでは、原爆投下時に、ほぼそれを知りながら空襲警報も出さず、迎撃もせずに見守ったことについて徹底的に調べている。
✴︎ 陸海軍2チームの暗号解読チームが、B29の特別任務を帯びたチームが数カ月も訓練していたこと。広島、長崎に接近していることを上奏していたのに、上層部では何も手を打たなかった。
✴︎広島近辺の八幡などでは毎夜のごとく空襲警報が鳴り響いていたのに、当の原爆を搭載したエノラ・ゲイが接近してきたときには警報はなかった。
✴︎ 長崎では、勿論空襲警報は鳴らなかった上、唯一B29に対抗しうる紫電回の基地があり、隊員も待機していたのに、迎撃命令は出なかった。
エースパイロットの本田稔さんの話
「敵機が来るたびに毎回出ていた出撃命令は、原爆を搭載したB29が来た時には出なかった。悔しくて悔しくてならないです」
日本側のパイロットだけではない。NHKではアメリカ側のパイロットにも取材している。
「広島に原爆を落としているのに、長崎に行けば当然迎撃されると思ったが、全くなかった」
と不思議がっていたという。
米国の委員会が決めた「何ら警告を行ってはならない」と言う指示に従ったように見えるのは、もはや、終戦を見越した裁判を意識して軍上層部は大半が、数十万の国民の命と引き換えに自分だけは助かりたいと思っていたとしか考えられない。
今も昔も、上しか見ていないヒラメ人間しか出世できない仕組みになっていた、、、(ー ー;)
戦後、政府は被爆者救済のための施策は一切しなかったが、1300人を超える研究者が2年以上にわたって被爆者を調査する費用は確保し、研究結果はアメリカに引き渡すことはしている。
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こうしてみると、本当の終戦はいつのことなのか、定かではなくなってくる。
✴︎日本に原爆を落とす。
✴︎ソ連が参戦し北方領土を占拠する。
✴︎天皇制は存続する。
上記条件を満たした上で、無条件降伏することは、8月15日より前、少なくともポツダム会合以前にに決まっていたはずだ。日本の一部政府中枢を含めて。
バタバタと寝返る軍部、政府中枢。その中でとりわけ吉田茂や山本五十六など親英米派と目されていた人物は戦前から寝返っていた節がある。